ドラゴンボールで学んだこと:大物は地位や名誉にこだわらないものだ

アラフォー世代にとってアニメの2台巨頭はドラゴンボールとガンダムでした。ドラゴンボールの作者鳥山明先生にはいつも楽しみ、感動をいただきました。また、作中で数々の人生訓を教えていただきました。ご冥福をお祈りします。

さて、ドラゴンボールで学んだ人生訓はいろいろあるが、悟空、ベジータ、ミスターサタンを比べてみた人生訓について語ります。

自分の通っていた高校は中高一貫の私学で東大合格者数にやたらとこだわる学校で、東大に合格できた卒業生がいたら学校の正門に合格者の名前を載せるようなところでした。東大に合格出来たら英雄扱いされます。全盛期の桐蔭学園の劣化版で、桐蔭学園を真似するような学校です。

うちの学校の校長はやたらと進学実績にこだわる学校でしたが、大学のグレードでいったらマーチ入れたらいいくらいの学校です。
うちの学校の完成形ともいうべき学校が千葉県にある渋谷幕張です。

東大の理科3類合格を目指す鉄録会という関東と関西の名門の進学校に通うう生徒だけが通える塾があり、桐蔭学園は衰退してしまいリストから外れました。逆にこの渋谷幕張が入りました。
ここは鉄録会の入会リストには入れたことについて「そうなんですか。ふーん」というようにあまりステータスにはこだわらないようでした。

うちの高校だったらもし鉄録会にはいれたら、校長は出しゃばって朝礼でわが校の名誉だと自画自賛するでしょう。

これは、まるで悟空やベジータのような強者に対して小物なミスターサタンのように見えました。セルゲームの頃のサタンは見苦しいキャラとして目立っていて、クリリンからもよく馬鹿にされていました。

うちの高校や、やたらといい学校はいることにこだわっていた自分がこのミスターサタンのように見苦しく感じました。

余談ですが、かの諸葛孔明も立身出世やステータスのためだけに勉強する人間を軽蔑していました。

かのビルゲイツもハーバードの生徒でしたが、こんなところにいても何一つ学ぶものがないと言って中退しました。アメリカは日本以上に学歴社会ですが、こういう大物起業家は一流大学卒というブランドにあまりこだわらないものだと思いました。

悟空やベジータも強くなることにこだわりますが、地位や名誉にはあまりこだわっていないようでした。初登場の頃のベジータはサイヤ人のスーパーエリートだとか地位にこだわり下級戦士だった悟空を軽蔑してましたけど、悟空と行動を共にするようになり彼も変わりました。

ミスターサタンは自分がセルを倒したわけでもないのに、ほら吹いて実力以上のことを口にしていました。

ドラゴンボールで大物のマインドを教えていただきました。

他にも亀仙人が自分の弟子がうぬぼれないように上には上がいることを教えたくて変装して悟空と戦い勝つことや、悟空はサイヤ人の中でも落ちこぼれであったけど修業して強くなり果ては自分よりはるかに強かった相手を下克上したことなど人生訓をいろいろ教えてくれる作品でした。

ドラゴンボールを見て育った子供たちは鳥山明先生の弟子みたいなものです。素晴らしい作品をありがとうございました。

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