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恋愛も友愛も信頼も、対等な時だけが幸せ

『今際の国のアリス』のはあとのじゃっく。

信頼が試されるゲームで、敵を打倒した二人が言う。
信頼は、信心でも和平でも洗脳でも正義でも恐怖でも誓約でも服従でも欺瞞でも催眠でもない。対等だ。

ただ、
「人身操作の基本は、相手を決して見下さないことだ」
とも。相手に対等感を得てもらうためだろう。

「友を見れば、その人が分かる」ともいう
You are what your friends are. だろうか。
類は友を呼ぶ、とも。

友人になる時点で、その人たちは同じくらいの土俵にいる。時期によって停滞していたり、進歩していたりさまざまなので、一瞬を切り取ることは難しいけれど、長い目で見れば同じ土俵にいる。

恋人も夫婦も変わらない。連れ添う人はみな同じ土俵にいる。
友人と違うのは、土俵が変わってしまったときに、さよならするのが大変だということだ。子供だけがかすがいになっていて、さらに経済的に服従しているような最悪な状況では別れるにも別れられない。

友人も恋人も、最初に関係が深まるときには同じ土俵にいる。
しかし、一方が停滞し続けたら置いていかれてしまう。後退していたらもっての他だ。どちらも成長していても、成長度合いが大きく違っていたら、時間と共に距離は離れていってしまう。

だから、とても長い時間連れ添うということは、今同じ土俵にいて、今後も同じ土俵に居続けて、初めて健全な関係として成立するようになる。

実は、一番簡単に土俵を揃え続ける方法が一つだけある。出会って以降は、お互いに停滞し続けることだ。
こんなに簡単なことは無い。
変わる必要も努力する必要もない。ただ変わらなければ良い。
成長欲なんてほとんどの人には無いんだから、別にこれでいいんだよ、って言う人なんて山ほどいると思う。
noteには少なそうだが。

だが残念なことに、人は結構成長できることに喜びを感じる。充実感を覚える。
不意に転職したり、新しく関わる人ができたりして、環境が変わって、成長できる環境を手に入れてしまうと、成長を始めちゃったりする。
停滞し続けるのは意外に難しい。
終身雇用が崩れていて、色んな理由で女性も仕事を続けるようになっていると、あまり環境を変えないことが難しくなっている。

まあ、自ら進んで停滞するのもね。
いやよね。

楽しくないよ、それは。

ただ成長し続けている人はそんなに多くない。それに自分の方もあまり停滞していると捨てられてしまうだろう。
相手に求めるということは、自分も求められる。

実際のところは、現時点の土俵にいる人たちと仲良くして、土俵が変わったら付き合う人も変える。友人だって、恋人だって。
人生100年。恋人も結婚相手も変えていけばいいと思う。人は連続的一夫一婦制と言われるし、動物的には違和感はない。
ただ、親子関係はちょっと変えられなくてしんどいこともありそう。

他にも政治や宗教などの価値観、それに趣味とかもある程度一致しないといけないし、それも加味すると全然出会える気がしなくなってくる。
途方もないことだ。

どこにどれだけいるのか分からないが、そんな長く付き合い続けられる人と、ひとりでも多く出会えることを切に願う。

そんな人に出会えたら、本当に大切にしていかないと。

ではでは。

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