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うどん屋の蟻

二人でうどんを食べに行った。昼休み、最近は雨の日以外、外に出かけているのだけれど、その日は出かける前に誘われて、オフィスの裏側1階にあるうどん屋に行った。

あ、メニューどうぞ。2枚あるうちの一つを渡すけど、一応渡すだけで結局は天ぷらぶっかけうどん2つ。あの時もそうだった、と思い始めたらキリがない。そして決まっているのにメニューの左上から右下、折り返して裏のいなりとかトッピングまで一通り目を通す多分30秒くらいの時間何なんだろう。何でもなさ過ぎて、何なんだろうってなる。

注文してからうどんが出るまで待っている間、ぽつぽつと喋ったり携帯見たりを繰り返す。沈黙になった瞬間うどんのつゆの匂いが鼻からおでこの中央まですんっと通って眉間に皺が寄ってしまう。

ふと視界の右端で何かが動いた気がして手元の机を見ると1匹の蟻。ティッシュ1枚を二つ折りにして攻防戦を繰り広げるも、なかなか思う方向に進んでくれない。いつまでやってんの。と言われたから、潰しますか?と聞くと、潰さなくていいんじゃないと返された。

やっと追いやり、あ、落ちる。という寸前でティッシュを机に沿わせ、上にのせた。潰さずにふわっと軽く包んで端に置いた。そのタイミングでお待たせしました、と向かいに先にうどんが到着し、手前にも置かれるまでの、あの数秒にもならないはずの間が謎にスローモーションに映った。ずっと下を向いて走り回る蟻を追いかけてたからかもしれない。

箸を割ってつゆをかけていざ食べようとしていた時に、あ、蟻どうしたの。と顔を上げる。端のティッシュを指差して、そこに。まだ生きてます。と答えると、あぁと漏らして食べ始める。潰さなくていいんじゃないと言ったことは覚えているのかいないのか。もううどんしか眼中にないといった様子で麺を啜っている。

無責任だよね、と思う。潰さなくていいんじゃないって言い方も。言った後にはもう知らないというような態度も。でもたったの一言やちょっとした態度に左右されて、自分の意思が感じられない自分がもっと無責任なように思えてくる。

責任。その言葉が脳内をぐるぐると回って、暫くすると徐々に目の前のいか天にピントが合っていった。

そもそも今から意気揚々と生き物を食べようとしてる時に、1匹の小さな蟻を殺さずにただティッシュの中に捕獲してるのも変な話だよね。というか、蟻が他のお客さんのうどんとかに入る前に対処した方が店の為にもよかったのでは。そして結局はティッシュの中に蟻がいるとは知らない店員さんに片付けられてゴミ箱に捨てられるだけじゃん。あの閉鎖空間で無駄に命を延長させちゃって、その方が寧ろ罪深いような。

箸止まってるけど。という声ではっとして視線を上げると、そこに向こうの目線はなくて、既にうどんに夢中だった。

食べ終わって蟻はそのままに席を立った。食べてる間にもしかしたらティッシュから抜け出て何処かに行ったかもしれないけれど、そのままそこにいたなら恐らく蟻に未来はない。

私が逃していたところで、おじさんに新聞紙で叩かれるかもしれないし、事務員さんのパンプスの下敷きになるかもしれないし…お会計を済ませて店を出た後も、そんな言い訳のようなことばっかりを考えていた。誰を責めることもできなかった。




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