Crescendo Life

昨日より今日、今日より明日・・。たとえ少しずつでも、時とともに、年とともに、よりよい人…

Crescendo Life

昨日より今日、今日より明日・・。たとえ少しずつでも、時とともに、年とともに、よりよい人生にしたいと思い、3年前に高校の教頭を早期退職しました。そして、いろんな人との出会いを通じて「Crescendo life」(尻すぼみの真逆(笑))というものを共有したいと考えています。

最近の記事

「富士山は美しい」も「富士山はゴミが一杯」も、どちらも正しいんだけれど・・・

物事をいろいろな「角度」から 見て行くことは すごく大事なことですが もう一つ、大事なのは どこから見るかという「距離」です 例えば 「富士山は美しい」というのと 「富士山はゴミがいっぱい」というのは どちらも正しいのです 新幹線から見る富士山や 空からの画像や映像で見る富士山は 本当に美しいと思います 一方、世界遺産になったことで 観光客が増えると どうしてもゴミも増えてしまいます だから、そこだけを見ると 「富士山ってゴミ一杯やん」と 思ってしまうのです 同じよ

    • 「バラ色の人生のはずだったのに」と、なってしまう人の共通点とは

      紆余曲折がありながら愛し合って 結婚したのに別れてしまう人 様々な苦労を乗り越えて 出世したのに病んでしまう人 念願の大学に入学できたのに 燃え尽き症候群で退学する人 このような人、増えているそうです 3つの場合を出しましたが これって、「念願が叶った」はずなのに なぜ、そうなってしまうのか? その原因は3つとも共通しています 「目的」と「過程や結果」が ごちゃごちゃになっているのです 結婚することが目的でしょうか? 普通は「幸せな暮らしを送る」とか 「愛する人と人

      • なぜ「失恋」と言うのに「失愛」とは言わないのだろう?

        人生に「失恋」はつきものです 生まれて最初に好きになった人と 結婚して死ぬまで一緒、という人は ごくわずかだと思います その「失恋」ですが 心から愛してフラれても「失恋」・・・ なぜ「失愛」とは言わないのでしょうか? 何を下らないこと言ってるの?、 のレベルの話かもしれませんが そう見えて、実はこの話 すごく深い意味のあるような気もします どういうことかというと 「愛は失くならない」ということではないでしょうか? 自分が好きな人と別れるとか 自分が好きな人に嫌われる、

        • 何気ないけど、「ほっこり」した出来事

          この頃、世間では あまり明るい話がないですね そんな中、 ほんのちょっとしたことですが 「ほっこり」したことがありました 散歩と運動を兼ねて、 いつも近くの神社に行くのですが 昨日、本殿に向かって歩いていると 前に老夫婦の方がいました 本殿の手前に5段くらいの 階段があるのですが おじいさんはほんの少し おばあさんの後について 昇られました もしこけた時のことを 考えられてるんだな ってわかりました 本殿の前での二礼二拍手は 2人の動作がピッタリ揃っていて 「すごい

        「富士山は美しい」も「富士山はゴミが一杯」も、どちらも正しいんだけれど・・・

          メディアを信じたら、幸せになれない

          今、情報統制社会が進んでいます メディアは都合のよい情報を勝手に作り出し 都合の悪い情報は「報道しない自由」を駆使します 今日はびっくりした情報があったので引用します 幸せになるためには「自分で考える」ことが大切ですね

          メディアを信じたら、幸せになれない

          いつも周囲に人が集まってくるの人の 2つのパターン

          世の中には、いつもいろんな人が 自分の周囲に集まってくる魅力的な人がいます 魅力のない人には誰も寄ってきません でも、いつも人が集まってくる人には 2種類あるので、そこは見極めが必要です 一つは、人徳、信頼、人望などがあり いろんな人が集まってくる場合です これは、その人に人間的な魅力があるわけで 集まってくる人も迎える人も 私利私欲や見返りなどを求めないから プラスのエネルギーが貯まっていきます もう一つは、その人の金、地位、利権などに いろんな人が集まってくる場

          いつも周囲に人が集まってくるの人の 2つのパターン

          信用できない人の特徴はいろいろあるけど、一番は・・・・

          皆さんは、人を(組織や社会を)信じれるかどうかは 何を基準にされていますか? その話をする前に(もちろん関連してる話ですが) 下のニュース項目を見て下さい 「政党支持率では『支持政党なし』が増加」 「新聞の発行部数が大きく減少」 「テレビを見ない若者が増加」 何か関係があるの?  と思われるかもしれませんが、 大いにあります(笑) 政治やメディアが信用を無くしている理由は いろいろあると思いますが 一番大きな理由は、彼らが 「ダブルスタンダード(二重基準)」だからでは

          信用できない人の特徴はいろいろあるけど、一番は・・・・

          辛くてどうしようもない時、もう一人の自分と会話で立ち直れることもある

          長い人生、いろいろなことが起こります 身近な人やペットとのお別れ、失恋、失業、諍い・‥‥ 辛くて辛くて落ち込んでしまうときもあると思います その時、どう対処するか… 年を取ってその方法を一つ見つけました (もっと若い頃に気付きたかった…(笑)) 別に特別な方法ではありません 本とかYouTubeでも紹介されてると思いますが 「『自分』と『もう一人の自分』に対話させる」という方法です そして、その対話を「書く」ようにします これ、自分にはすごく効果的でした 人には「言い

          辛くてどうしようもない時、もう一人の自分と会話で立ち直れることもある

          服は真っ白 腹は真っ黒 ~薄っぺらな「人権パフォーマンス」で情報弱者騙す 国会に巣食う偽善者たち~

          「上級国民」という言葉が 近年使われるようになりました 既得権益を持つ連中が「特権意識」を持って 反感を買う振る舞いをすることに対して 皮肉を込めて言われるようになりました その「上級国民」の代表例の一つが国会議員 それも仕事は批判するだけという野党議員 その野党(全部ではないですが)が また国民を舐め切ったような 薄っぺらいパフォーマンスをしています 立憲民主党を中心とした女性野党議員が 「白いジャケット」を着て女性蔑視問題に抗議・・・ はっきり言います「あほか」

          服は真っ白 腹は真っ黒 ~薄っぺらな「人権パフォーマンス」で情報弱者騙す 国会に巣食う偽善者たち~

          賢さ一気にアップ! ~玉石混淆の情報社会で大切なのは「複眼的視点」~

          人が生きていくために「情報」は不可欠なものです まだ現代科学などなかった時代でも 「猛獣が出現する場所」「川が氾濫しやすい時期」 などの情報が無ければ、食い殺され、水死します 昔は情報を得る手段が少なく 情報自体を手に入れることが大変でした 今はその逆で、情報が多すぎて玉石混淆の中から 正しい情報を見極めることが大変な時代です 間違った情報を信じてしまうことは 情報不足以上に危険なことでもあるわけです そんな情報過多の時代に一番大事なことは 「複眼的視点」を持つこと

          賢さ一気にアップ! ~玉石混淆の情報社会で大切なのは「複眼的視点」~

          賢い人とそうでない人の「視点」の違いとは?

          少し前に "「本当に賢い人」と「賢く見せたい人」は、言葉の使い方が全然違う" という事を書きました  https://note.com/crescendolife/n/n03478d9e026b 今日は、本当に賢い人は何を見て行動するのか? ということを、昨日のエントリーに絡めて 考えてみたいと思います 賢くない人、失敗を繰り返す人は 「自分だけ、身近なものだけ」を見、 「今だけ、目先のことだけ」を見て行動します 賢い人、成功する人は 「周囲のこと、社会全体や国のこと」

          賢い人とそうでない人の「視点」の違いとは?

          同じ失敗を繰り返す人へ ~自分の「負けパターン」を知ろう~

          人生においては、その人特有の 「勝ちパターン」や「負けパターン」があります 稀有の名将だった 故野村克也さんの名言 「勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし」 のように勝つとき(成功するとき)というのは 偶然やラッキーが重なって 自分でも不思議に思うことがあるのですが 負けるとき(失敗するとき)というのは 大体いつも同じパターンになることが多いです 名を為した人の歴史を振り返ってみても その勝ちパターンは千差万別です 極端に言えば、100人いたら 100個の勝

          同じ失敗を繰り返す人へ ~自分の「負けパターン」を知ろう~

          人の少ない道を、一人で歩くのにマスクが必要か?

          緊急事態宣言も延長されるようで その根拠や論拠を示せと思うのですが そんなものはないようです 政府はメディアや利権側の声に右往左往し 自治体は「国が」と言って責任逃れ・・・ 昨日の話ではないですが 政治家や官僚、企業のリーダーの「器」の小ささを感じます そんな中、 毎日、本当に不思議に思うことがあります 散歩に行ったり、買い物に行ったり どっちも歩いていくようにしてますが うちのあたりは都会の真ん中ではないので 人が大勢歩いているわけではありません でも、一人で歩

          人の少ない道を、一人で歩くのにマスクが必要か?

          「器」の大きい人と、「器」の小さい人の差が出る時は・・・

          よく、人の「器」と言います そして「器」の大きさで、人は評価されることが多いですが 興味深い話を聞いたことがあります 結婚相談所に長年勤めているベテランの方で 何百組という婚活に関わった人の話です 「結婚を望んでうちに来られる男性で 見た目も良くて経済的にも問題なくいい感じな方でも やはり相性などがあって、うまくいかないこともあります 実はうまくいかなかった時こそ その方の『器』というものがよくわかります ある方は5回ほど会ってお付合いされてて 私も、うまくいくかな、

          「器」の大きい人と、「器」の小さい人の差が出る時は・・・

          「腐ったもの」と「毒の入ったもの」しか食べ物がなかったら…? ~選択肢の無い不幸~

          コロナ特措法が改正されましたが 正直、怒りと溜息しか覚えません 今回の緊急事態宣言でも 一体どういう客観的な基準があるのか 全く理解不能です 政府は国民の方よりも 医師会やワイドショーの声ばかり 気にしているのではないかと 国民から思われても仕方ないと思います 僕は消極的な「自民党支持者」です 自民党には不満一杯ですが 他の無責任野党は論外なので 仕方なく自民党に入れてるだけです しかし、安倍首相が退任して以降 もう、自民党がひどすぎて 支持する気にもなれない気持ちで

          「腐ったもの」と「毒の入ったもの」しか食べ物がなかったら…? ~選択肢の無い不幸~

          人を「鬼」にするのは、恨みや憎しみ、無念の心

          昨日、節分にちなんで「鬼」の話を書きました 大ヒット作の「鬼滅の刃」は 本当に日本古来の考え方を我々に教えてくれます 鬼滅の刃に登場する鬼たちの過去は どこか切なく、悲しいものが多く 恨みや憎しみ、無念の心が 人を鬼に変えてしまう、ということが 非常によく表現されています 日本の歴史をたどってみても 「怨霊」は絵画や絵巻で「鬼」として描かれています タイトル画像の赤鬼は菅原道真の怨霊です そして、日本の文化や考え方が 西洋や中国と全く違うのは 「怨霊」となり、「鬼」

          人を「鬼」にするのは、恨みや憎しみ、無念の心