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奈良よ

「奈良の大仏商法」という言葉は、たしか中学生ぐらいの頃にはじめて聞いた。
当時はあまり意味がわからなかったけれど、大人になり経済活動に参加するようになったり、超観光地のバルセロナに住んだり京都に通ったりするうちに、やはり「奈良はやる気がない」と感じるようになった。

自分の出身地だから、厳しく見てしまう面もあると思う。
そしてそのやる気のなさ、いろんなことがどうでもいいのかな?と思わせる寛容さが、奈良に人を惹きつけているのかもしれない、とも。

先日奈良の観光エリアを散歩していて、小さな鳥居の前で見知らぬマダムに声をかけられた。「ここ、お賽銭入れるところがないのね。ろうそくが刺せるようになっているけど、ろうそく売っているところも見当たらないし…」
奈良に住む者としてなんとなく落ち度を非難されているように感じ、曖昧に微笑んで会釈したところ「すいません」と謝って去っていった。マダムがまとっていた、上品なお線香のような香りだけがその場にしばし香った。

その近くに五重塔で有名な興福寺が建っているのだが、補修工事の予定が遅れに遅れ、インバウンド客で観光が花開くこの瞬間に無様な鉄骨とアクリル板に一部が覆われている。

その向こう側にある奈良県文化会館は、リニューアル整備工事でなんと令和8年まで閉館だという。コロナ禍に先を見据えて先に工事を終わらせていれば、、と機会損失感が否めない。

このすべてを30分ほどの間に目にして、ああ、奈良だなあと思った。
「機会損失」などというせせこましい考えもないのだろう。やはり、悠久の都なのだろうか。

「古都 奈良」は京都に比べてブランディングも弱い。
抹茶や舞妓さん、金閣や千本鳥居のようなシンボルはやはり絵的にインパクトがあり、海外の人にも伝わりやすい。1000年の都の矜持、文化の厚みを感じる。

奈良といえば鹿、奈良漬け、茶粥、あとは柿…?なんだかぜんぶ茶色っぽくて、よく言えば侘び寂びだろうか。Tiktokやインスタにあげたいネタではないだろう。

最近では中川政七商店や、JR東海の「いざいざ奈良」などPRをがんばっていると感じる機会もあるけれど、奈良の人全員が意識高い民ではないので、ぜんたいに漂う空気はなんというか、平和だ。

煌びやかなものと無縁な奈良。
なにも起こらなさそうで、実際になにも起こらない奈良。
我が物顔で道路を横断する鹿、なだらかな若草山が遠くにのぞく。
「このままでええねん」というやる気のなさ、どうでもよさがそこはかとなく漂う。
そんな奈良は、住んでいて「落ち着く」場所なのかもしれない。
ふと立ち寄ったカフェにおいてあった「京都特集」の雑誌をパラパラめくりながら、じんわりと奈良の「よさ」に浸っていた。

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