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千葉市幕張の本屋lighthouse店主 関口竜平さんによる「夜にしがみついて、朝で溶かして」ライナーノーツ

1 料理 

あ、クリープハイプだ!って思ったらちょっと違うような気もするし、でもやっぱりクリープハイプだよなって曲ですね。ダブルミーニングの「尾崎文学」は相変わらずキマってるし、タイトル〈料理〉だし一瞬しあわせな曲なのかと思わせといてやっぱり「横にはツマ(妻)でしょ」なんだからもー。すぐ不穏にしちゃう!このあたりはいつものクリープハイプですね。でも楽器がいままでの感じと違うんでしょうか。たとえばイントロとアウトロでよく聴こえるドラムの拍手みたいな音。あまりイメージにない音使い(エフェクト)な気がしました。それと「ポコッ」って音が好きですね。なんの具材が跳ねたんだろうか......。


2 ポリコ 

僕は尾崎さんがラ行を巻き舌にして歌うやつが大好きなのでこれはもう最高ですね。あと「油断するとリズムがわからなくなるベースラインはじまりの曲はだいたいライブで映える説」を補強してくれる曲でもあります。小川さんもソロでステージの端まで行っちゃうやつ。でも〈HE IS MINE〉をあらためて聴いてみたら、ぜんぜん音作りが違くて驚きました。もちろん音響設備の違いもあるんでしょうけど、重心低いってこういうことなんですね......。 歌詞に関しては、僕は世間的には「擦ってる」側の人間とされてるはずなので、バトることになるのかもしれません(笑)。でもずっと尾崎さんが表現に関して悩んでいて、だからこそこの曲があるんだとわかりますし、見ようとしてる景色は同じなんだと思います。近いうちに「どうでもよくないこと」を確かめあいましょう。


3 二人の間 

やっと平和な曲きた!(笑)いやー、これは安心して聴いてられますね。まぁなんかその、ちょっと あの、言葉にならないそんな感じ?ではあるんですけど、あれですね、いわゆる「間(ま)」の取り方が絶妙ですよね、歌も楽器も。全体的に隙間多めで、でもなぜかスカスカには感じない。エフェクトがいい味効かせてるからでしょうか。音以上気持ち未満の相槌的な何かがたくさん詰まってるんでしょうね、この曲には。で、たぶんこの曲のよさは弾き語りでは出せなくて、バンドサウンドにしないと表出しないものなんだと思いました。もはや「四人の間」ですね。


4 四季 

この曲はきっとひとりひとりが違う物語や思い出を描く曲だと思うので、僕の妄想学園ストーリーをば。春パート、これは新学期とかでワクワクと不安が入り混じってる様子です。ドラムを背にひとりで歌い出すと、強めの春風みたいなエフェクトのかかった音が入ってくる。入学式の景色そのまんまですね、これは。俺、ひとりでもがんばるよ......みたいな。その風=不安?が吹いたまま夏に向かってくんだけど、やっぱり夏休みだからかワクワクが勝っちゃうんですね。刻む ベースが前乗り感ですか?それを曲に与えていて、サークルの合宿楽しみだな!みたいな景色が浮かびます。で、秋になるとガラッと変わる。一般的に秋は寂しいイメージですけど、この曲は調子が明るい。むしろ常にバックで風=不安が響いてた春夏より安定している。たぶんこれは激動の夏を乗り越えて関係性がより強固になったんですね。だから体育祭とか学祭とか楽しくて仕方ない。歌詞もそんな感じですよね。喧嘩もするけどそれによって出し物の質が高まる......みたいな (学生に戻りたい!!)。それを経ての冬。もう完全に熟してますよね。どうでもいいときに降る雪に感極まれるんだから(笑)。もしかしたらこれは来たる新学期への不安なのだろうか。でも去年の春の少しエロい思い出があれば大丈夫ですね。......なんだこれ!?ようするに「僕とあなたの2 人」以外の話としてもとらえることができる曲なのでは?ということです。


5 愛す 

なにこれちょっとオシャレすぎません!?なぜか終始片手、いやもはや両手をハンズアップしてフロアをだらっと跳ねていたい気持ちが芽生えてくる......しかし悲しい曲なんですよね。なんですかこの愛しすぎる矛盾は。肩にかけたカバンのねじれた部分がもどかしい。そういうピンポイントすぎる(のになぜかみんな撃ち抜かれる)切ないやつ、ずるいですよね、ほんと。という冗談はさておき、この曲はやっぱりひとつの転換点でしたよね。明らかにバンドサウンドじゃないし、もちろんいわゆるロックでもない。でもクリープハイプの核である「ダブルミーニ ングで矛盾を内包した感情を表現する」はむしろ完璧にキマってる。バンドサウンド/ロックじゃなくてもこれができるってことを証明できたのは自信に繋がっただろうし、このアルバムに顕著な「変化」もこの曲がキーポイントのひとつだったのかな、と思います。

6 しょうもな 

イントロで「また変化球かな?」と思わせておいてからのザ・クリープハイプでした。特に歌詞 が詰め詰めのサビを聴くと安心しますね。これだよこれ!って。コード進行も馴染みのあるもののような気がします。なので構成要素的には安定感&安心感のある曲なんですけど、ああいつもの やつね、とはならないところにバンドの進化(深化/真価)があるんでしょうね。歌詞のように「これまだやるの?」とはならないので(笑)。たぶん、尾崎さんの中にある直球の怒りを言葉遊びや皮肉という変化球で表現しつつ、でもやっぱりその怒りは隠しきれずに漏れ出てるというか、球に重さがありますよね。だからバットに当てられても前には飛ばない。前に飛んでも野手の正面。 打たれ強い。「お前だけに用があるんだよ」と打者に向かって火の玉を投げ込む曲ですね。


7 一生に一度愛してるよ 

⻑年のファンであればあるほどちゃんと奥まで刺さってしまうセルフオマージュ祭りの1曲。 「あ、これあの曲の」となるとこが随所に散りばめられていて、ファン度を確かめられている感じもありますね。ねえ、ちゃんとあたしのこと見てる?髪切ったの気づいてる?寝癖のままのほうがよかった?うるさいよ。みたいな。楽器の音使いも遊びだらけで楽しいし、軽い気持ちで聴けてしまう。でも本当はいちばん切実な曲なんじゃないでしょうか。インタビューやこの前のライブでも言ってましたけど、⻑くバンドを続けていくことで必ず生じる、飽きられることへの不安や「はじめて」になれないことへの物足りなさ(寂しさ?)がどうしてもある。だからそれを「歌にして逃げてしま」いながらこちらに投げてきてる。打たれたくはないけど、振ってほしい。見逃しは嫌だけど、振られるのも怖い。そういう矛盾もちゃんと詰まってる曲な気がします。うん、アルバムの7曲目くらいがちょうどいいですね(笑)。


8 ニガツノナミダ

音楽を作る尾崎世界観と小説を書く尾崎世界観、その重なりを表現する曲なんじゃないでしょうか。それが曲の構成も含めたところで重層的に詰め込まれている、とんでもなく高度な箱物表現な気がしました。わかりやすいところからいくと、「締切に抱きしめられ」るのは小説家として の尾崎世界観、と思いきやミュージシャンとしての尾崎世界観でもある(締切は音楽活動にもある)。逆に「制約にくるまって眠る」のは歌詞を書く尾崎世界観でもあり、小説家の尾崎世界観でもある(制約は小説の世界にもある)。そして締切も制約も良い面悪い面があって、そのどちらも知ったからこそ書ける歌詞ですよね。加えて曲構成。最初30秒くらいで1段落分の歌詞パートが終わって、間奏のあと曲調が変わりますよね。残りの余生を楽しむパートでしょうか。でもこれも また「しばられるなにしばられてる」ってことか?ってことへの皮肉的な表現とも言えるし、最後はやっぱりはじめのパートの雰囲気(でもちょっと違う)に戻るんですよね。小説を書き出して 「あいつ魂売りやがった」って言われた(かもしれない)尾崎世界観が、「それはそれで悪くないからここはここ」と現在地に至る、といったところで、まだ続きがありそうな雰囲気のなか終わってしまうこの曲。30秒ももしかしたら30年とかかってますか?考え出したら終わらないですね。 人生か!!

9 ナイトオンザプラネット 

印象的なギターリフから始まる、アルバムタイトルの元にもなっているこの曲はやはり白眉でした。シンプルなベースラインや多用されている鍵盤、全体的に漂う「やわらかさ」に寄り添うドラムも含めて、クリープハイプの変化を感じさせてくれる1曲ですね。周年記念ライブをやっていたはずの時間に作った、その空気感がなんとなく伝わってきます。ぼーっと、ひとり部屋の壁を見ているようで見ていない、頭の中ではたくさんのとりとめのないあれこれが渦巻いている、そんな夜。悲しいし寂しいしぶつけようのない怒りもあるんだけど、それらが昇華されるとこういうやさしい曲になる(それとも昇華させるためにはこの質感が必要だった?)のかもしれませんね。 あと、この曲の主人公はきっとかつての恋人のことを思い出していて、その恋人はママになってたりする、みたいなのがメインの物語だと思ったんですが、いま実際にママになってるファン、 つまり学生時代とかからクリープハイプを聴いてる人なんかはまた違う感慨に耽るんじゃないかな、と思いました。20周年のときに聴いたらまた違う聴き方になる、時間の経過とともに育っていく曲になるはずです。


10 しらす 

実は僕はカオナシさん曲がとても好きで、アルバムが出るたびにご褒美のように楽しんでいます (笑)。今回もイントロ・ドンで「カオナシきたー!」となりました。毎回思うんですが、なんとなく⺠謡感というか、もはや妖怪感がありますよね、曲に。基本的に「いきもの」が出てくるからかもしれませんが。それともモノノケ感?なんだろう......森の中で火を熾して、そのそばでこの曲を聴いてる自分(とその周りにいつのまにか集まっている「いきもの」たち)感が常にある。でも不思議と怖くはないんですね。たぶんカオナシさんの視線や感性がその「いきもの」と同じところにあるからなんですけど、故にみんなで火にあたってる風景が思い浮かびます。それにしても 「しらすのお目目は天の川」って......もうそうとしか思えないんですが......なんでそんな発想できる!?ってなるけど一度そう言われたらすぐにしっくりきてしまう......この感性は唯一無二ですね。『しらすのお目目』という題の絵が欲しいので描いてください(笑)。

11 なんか出てきちゃってる 

曲というよりひとり芝居みたいな曲なんだけど、台詞も曲もどっちも主役張ってるっていう贅沢な曲。うまいもんにうまいもん乗せたらうまさ2倍で胃もたれもしない最高のうまいもんできちゃっ た、という。これはみなさん台詞が気になると思うんですけど、歌詞サイトには1行しか載ってないので諦めて聴き込みましょう(笑)。あと、ライブでやることになったら台詞はアドリブ入って面白そうですね。何が出てきちゃってるのかは各自ご自由にご想像ください。僕はアレだと思いましたね、アレ。そうそう、アレ。もしかして一緒のこと考えてますかね?たぶんそうですね。 じゃ、せーので言いましょうか。せーの......って言ったらだよ?

12 キケンナアソビ 

尾崎文学・シリーズ「風俗」の最新刊であり最高傑作となった本作。このシリーズの特徴である 反復と対比を伴った比喩表現、その精度がさらに高まっていることに注目したい。たとえばインディーズ時代の名曲〈欠伸〉では女性目線からの「欠伸」というワードで読者に場面を想像させ、 メジャーファーストアルバムに収録の〈蜂蜜と風呂場〉では男性目線からの「バカみたいに⻭医者で/カバみたいに⻭医者で」という想起によって前作への応答(しかしそこにはズレがある)をしているように思える。そして本作〈キケンナアソビ〉では男女両方からの目線でひとつの行為、 あるいは事象が表現されることになるのだが、そこで描かれる思いにはやはりズレがある。さらにこのズレを印象づけるのに一役買っているのが、「流す(嘘の)匂い〜首から上だけでも〜心がすり切れて揺らぐ/うつる匂い〜首から下だけでも〜体で繋ぎ止めて揺れる」の対比表現だ。流す- 上-心、うつる-下-体。男女間の想いのズレと同時に生じる、ひとりの人間の中にある心身のズレ。そういったことも表現しているのかもしれない。10余年を経てもなお同じところにいるらしき2人と、それを描く尾崎の筆の精度に注目である。〔エロ文学評論家〕

13 モノマネ 

はぁ〜〜〜〜......名曲......。名曲すぎて語彙が消失しかけましたがどうにか言葉を紡ごうと思います。が、ただの好きアピールにしかならない可能性があることを先に記しておきます。まず前提と して〈ボーイズENDガールズ〉が好きだったんですね、でもそっちから話し始めると終わらないのでどうにかして〈モノマネ〉だけに絞りますが、続編ってなんですかもう、こういうの最高って 言うんですよ(語彙再消失)。歌詞=物語については一旦おいて、音の話をしましょう。遠野遥さん も指摘してますけど、1番のギター。まずレフトからのディレイサウンドが続いて、途中から追いかけるようにライトから同じものが入ってくる、そしてサビ直前のほんの少しだけ2つが重なるんですね。これはもう完全に「物語」ですよ。こんだけしか重なってなかったのか!?ふたりの想 いは!?うわあああああ!!!!!「&」じゃなくて「END」だった伏線がここで回収されたあ ああああ!!!!!「何も知らないあたし」はあたしだったあああああ!!!!!そうか......書き留めていた「君に伝えなくちゃいけない言葉」は、もしかしたら全然似てないあたしの「モノマネ」についてのことだったのかもしれないんですね......。ちょっと辛いのでお風呂入ってきます。あ、シャンプー......。

14 幽霊失格 

〈モノマネ〉に続いて名曲で、場所13日目までなんとか横綱に食らいついてきた幕内新入幕力士 はもう息も絶え絶えなんですが、これもまた質の高い「物語」になっていますね。やっぱり聴く人によって様々な解釈の余地がある=各々の「物語」に寄せて聴くことができる曲だし、正確には その「意図」が読み取れなかったとしても「なんかくる」ものがある。この理由を探ってみると、 あまりにも出色がよすぎる歌詞に隠れて見過ごされがちな細かい部分にあるんじゃないかと思いました。この曲は結構「キメ」が多いですよね。ストロークに力が入るところや、音が一瞬消えるタイミング、それらが歌詞(ボーカル)のキメとリンクしている。だから脳のみならず身体(から だ)からも曲に没頭できるというか、共振していく感じがありました。そしてこのアルバム全体を通して意識していたという重心の低さもまた、曲の軸を安定させているように思えます。耳に残るギターリフなのに、意識はふわふわと飛んでいかない感じ。この「幽霊」と同じくらい地に足ついてるというか、むしろ成仏せずにちゃんと「そこにいる」。だからライブで聴いたら(あるいは自分が演奏したら)、心も身体も共鳴して、気づいたら涙が出てしまうと思います。音楽の本質が身体表現であることを思い出させてくれる曲ですね。幽霊の曲なのに。


15 こんなに悲しいのに腹が鳴る 

アルバムラストを飾るにふさわしい余韻の残る曲。というかこれ以外は考えられないですね。イントロの時点で「これが最後だ」とわかるくらい出てます、オーラが(笑)。タイトルから既に見えている「矛盾」と、矛盾によって生じるどうしようもなさ。これはクリープハイプの最大の特徴で、かついちばんの武器だと思っているので、これが全編を通して存分に表現されているこの曲で締めくくられることがとてもうれしい。あと、これは僕の仮説なんですが、永遠にリピートしたくなる曲には「物足りなさ」があるんですね。え、ここで終わっちゃうの?もう1回サビ来てくれないの?そのフレーズをもっとくれよ......という聴き手の欲求をひらりとかわして終わってしまう。だからもう一度最初から聴いてしまう。この曲はまさにその典型だし、アルバム全体にもそういういい意味での「物足りなさ」(インタビューでは「もたれなさ」と表現されてたもの)があるし、この曲がラストに来ることでさらにそれが増す。なんかもう「これしかねえな」という。 ああ、こんなに聴きたいのに曲/アルバムが終わる。

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