なんでそんなに優しいんだろう
落合陽一氏の魔法の世紀、デジタルネイチャー を読み他の書籍も読み、世界や社会がどういう形をしていてどうその形が変わっていくのかに興味を持ち
知らない事を増やすと言う事を1、2年続けている。
宇野常寛氏の番組を見たり、宮台真司氏の書籍を読んだり、ビデオニュース毎週見たり、過去の放送を見たり(最近DVDじゃなくHPから直接300円で買えるようになった)馬鹿の様にその人たちの視点を盗もうと追いかけ続けていた。
落合さんも、宇野さんも、宮台さんも(神保さんは攻撃的ニュアンス言語を使ってないけど火力は高い)攻撃的な言語を使うし、深い絶望の上でしかしながらやる事はここからだと走り続けている。
僕も走ってはいるが、彼らの様に一騎当千できるような格ではない。
一兵卒として不思議に思う事がある。
何故、人を信じると言う前提で走れるんだろう?
ある種、自由や平和を建前に邁進してきた近代の如く
その建前が失われた時どうするんだろうかと言うほど優しい。
知らない事を知ることによって気が付いた事がある。
いいや、それを経験したから僕は僕の尊敬する人達が何故ああまで優しくできるのだろうか?と不思議に思ったんだ。
優しくできる様に機械になれれば良いのにと思うほどこの世界は狂った様に甘えてくる。
優しくすると、全身全霊甘えてくる人が多すぎるのだ。
甘えて、甘えて裏切るのだ。
面白い方に3000点かける事もなく、覚悟もせず、責任も負わず優しさに全体重かけて、優しさが倒れれば「なんで倒れるんだ!」と裏切るのだ。
落合陽一氏のnoteを読み、感じたのは
近代の終わりを告げるラッパの音だった。
だけど
自由、平和、愛の旗は折れないだろう
システムに甘えそれらがシステムだと思い込んでるクズどもには理解できないだろうが、それらはいつも法の外にあるからだ。
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