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十四才

ハイロウズさんの、
十四才って曲について、語ります。
ってだけな話。

昨日、イエモンさんの、
fatherを紹介して。

なんか、イントロが似てるなぁ。
と思ったんですね。
あくまで、私の感覚ですが。

それが、ハイロウズさんの、
『十四才』って、曲。

知ってる人は、知っている。
知らない人は、知らない。
(当たり前)

十四才って曲は、曲調も、
めちゃめちゃカッコイイので、
ハイロウズ好きには人気のある曲、
だと思います。
(しらんけど)

繋がるか知らんけど↓

十四才の僕に、
レコードの音楽が突き刺さる。

心臓に刺さるのではなく、
心に刺さる。

心臓と、心は、似てるけど。

物理的なもんじゃ無くて、
身体の感覚を超えて突き刺さる、
って意味だと思うんですね。

気になる方は、
歌詞を調べていただきたいんですが。

全体的に、ぱっと見ると、
なんだか、わかったような、
わからないような歌詞です。

この歌には、主に、
4人(?)出てきます。

僕、ジョナサン、石、
そしてレコードプレーヤー。

これらが絶妙に入り組んでいるので、
わかりにくい感じになってますが、
それが、またいいんですね。

ジョナサンに呼びかける形で、
石にたとえて話をする。

自分を、自分の将来を、
石にたとえて想像している、
のかもしれない。

石にも、いろんな石がある。

宇宙の彗星も石だし、
そこらへんの石も、おなじ石。

置かれた場所に
置かれたままの石がある 

この部分、特にスキですね。

置かれた場所に。
置かれたままの、石がある。
ただ、それだけ。

特に何をアピールするわけでなく、
ただ、そこにある。
置かれたままに。受け入れる。

そういう、石の姿勢を、
見習いたいものです。
(???)

もう一つのキーワード、
ジョナサンってのは、
おそらく、カモメのジョナサン。

リチャード・バックさん、
という方が書いた、
アメリカの昔の小説。

私も、この歌詞から、
ちゃんと読もうと思って、
カモメのジョナサン、
買って読みました。

短いけど、
なかなか考えさせられる小説です。

後編がどうのこうの、
ありますがね。諸説あり。
まぁ、いいですけどね。
そのへんも含めて。

あらすじで言うと、
カモメのジョナサンは、
飛ぶことに命をかけている。

いかに高速で飛ぶかを、
徹底的に追求し、
伝説のカモメになるってお話です。

一般的なカモメは、
ただ餌を得るために飛ぶだけ。
飛ぶこと自体、何も考えてない。

だけど、ジョナサンは、
ただ餌のため飛ぶ、ってことに、
意味を感じなかった。

もはや、餌もとるのも忘れて、
いかに早く飛ぶか、を追求した。

いわば、当たり前や常識を疑い、
見事に打ち破ったんですね。
たった一人で。

飛ぶってことに、気がついた。

気づき、ですよ。
そういうのが、カモメのジョナサン。

歌詞を書いた甲本ヒロトさんも、
カモメのジョナサンが好きなはず。
たぶん、そうやと思う。

無駄なことは、無駄でいい。
無駄になるか、無駄にならないか、
自分次第なんじゃないかなって。
そう、思うんですよね。

そして、レコードプレーヤー。
そうして、大人になった僕に。

多感な十四才のころの感覚を、
忘れるなよ、って、
言ってくれてる。

レコードプレーヤーが、
話しかけてくるってのも、
ロマンがあふれますよね。

十四才って、
すごい微妙な年齢なんですよね。

民法でも、例えば、
何か事件や事故を起こしたとして。

本人の責任能力が問われる、
つまり、自我の判断能力がある、
と判断されるのが、十四才らしい。

十三才くらいまでは、
判断能力は微妙な場合が多い。
そういう場合は、保護者の責任。
保護者の、監督責任になるらしい。

だけど、十四才は。
自分の考え、自分の判断で、
する、しないが判断できる。
そう、みなされる。

そう、十四才って。

そんな年齢なんです。

ちゃんと、自分で判断できる。
判断した上で、行動できる。

それが、十四才。

レコードプレーヤーが、言います。

いつでも、どんな時でも。
スイッチを入れろよ。

そんときゃ、必ずオマエ、
十四才にしてやるぜ?

いまでも、とってもスキな曲です。



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