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二つの本願寺 〜東本願寺・西本願寺〜

京都のど真ん中にある、
有名な大きなお寺の話です。

東本願寺と、西本願寺。

その、東西の違いや、
なぜそうなったのか、
ご存じですか?
って、だけな話。

なぜ急に、そんな話を始めたか。

このGWで行ったから。

ハイ。

詳しくは、私もよく知りませんが。
(オイ)

京都在住ですが、ニワカな私が、
分かる範囲で、簡単に書いてみます。

なんとなく、興味のある人だけ、
ふ〜ん、、って感じで見てください。

ちなみに。

私は仏教徒でもなんでもないので、
宗教的なアレは何もないです。

そういったことにこだわるかたは、
閲覧をご遠慮ください。

また、ややこしいことになると
アレなんで、ホントに素人目線で、
不確かな内容が含まれることを、
最初にお断りしておきます。

正確な情報が欲しい人は、
各自でお調べください。

ではでは。。。

京都には、京都駅の北側に、
ものすごく大きなお寺が、
二つあります。

それが、東本願寺と、西本願寺。

京都駅のすぐ北側にあるのが、
『東本願寺』です。

その数百メートル西にあるのが、
『西本願寺』です。

名前も似てるし、どちらもデカいし、
よく知らない人は、混同しがちです。

私もそうです。(オイ)

もともとは、どちらも同じ、
『本願寺』だったんですね。

どちらも、
親鸞聖人を祖としています。

その後、お弟子さんなんかで、
本願寺家として、続きます。

それが、いわゆる戦国時代に、
東と西に分かれたんです。

私のスキな時代です。

時は戦国。

織田信長と、この本願寺家は、
戦い続けていました。

そのときはまだ、一つだった。
本願寺は、一つだったんです。

時の権力者、織田信長さんと、
バリバリに渡り合ったのは、
当時の本願寺家当主、
本願寺顕如(けんにょ)さんでした。

実際、信長の野望(ゲーム)の知識が
主な私としては、この、
本願寺顕如さんも、すごくスキ。

能力値はものすごく高いですし、
めっちゃ有能な部下が多い。

普通に優秀な大名と遜色ない。
信長勢力とも、対抗しうる。

で、この顕如さんが現実には10年ほど
戦い続けたんですが、なんだかんだで、
結局、信長さんと和解しました。

しかし、ですよ。

この歴史的な和解に、
納得いかなかった人がいます。

それが、顕如さんの長男、
教如(きょうにょ)さんです。

教如さんは、
織田信長さんとの徹底抗戦を
主張し続けます。

ここでまず、お父さんの顕如さんと、
息子で長男の教如さんの、
決定的な溝ができてしまいます。

そして、結果的・構造的に、
本願寺家は二つに分かれます。

めっちゃ簡単にいうと、
穏健な顕如派と、強硬な教如派。

お父さんの顕如派には、
息子で三男の准如(じゅんにょ)が
ついて行きました。

なんなら、跡継ぎ問題ですね。
まさに、真っ二つ。

顕如さんが亡くなったあと、
教如(長男)VS准如(三男)の
構図にもなり、対立は続いていき、
なんだかんだで、現在に至ります。

現在では、当時ほど、
険悪な関係ではなく、
お互いの交流なんかもあるみたいです。

でも、一緒に戻るほどではなく、
お互いの流派を守って、
やっていきましょうね、
っていう感じみたいです。

実際、東本願寺も、西本願寺も、
今でも、ものすごいので、
わざわざ今さら、合体する必要はない、
ってとこでしょうね。

で、顕如→准如(三男)のほうが、
現在の西本願寺です。

こちらは、信長さん亡き後、
豊臣秀吉さんに土地を寄進してもらい、
堀川七条に現在もあります。

観光バスなんかで、車で、
南から京都市内に入ってくるとき、
堀川通を通ってくると思います。

そのとき、JR高架をくぐって、
京都市内に入り、左手にみえるのが、
この『西本願寺』です。

秀吉さんに寄進してもらった縁なのか、
境内には、秀吉さんの聚楽第の遺構、
ともいわれる、『飛雲閣』があります。

これが説明したかったんですね。
実は。

あとで、記事にしますよ。
まぁ、前フリ、ですね。
(オイ)

ほかに、細かいことを言うと。

両方の本願寺には、どまんなかに、
どちらにもデカい建造物が、
二つあります。

御影(ごえい)堂と、
阿弥陀(あみだ)堂です。

宗教に興味ない人も。
この二つのキーワード、
覚えといたほうがいいです。

ごえい堂と、あみだ堂。

西本願寺では、
北側に阿弥陀堂、南側に御影堂、
となっています。

対して、東本願寺。

北側に御影堂、南側に阿弥陀堂、
となっています。

コチラは、顕如と仲違いした長男、
教如さんのほうが建てたお寺です。

なんだかんだで、准如とうまくいかず、
徳川家康に、烏丸七条に土地を
寄進してもらい、現在に至ります。

結果的に、秀吉と、家康の対立構造も、
この寄進対象から透けて見えるようで、
なんとも、時代を感じますね。

そんな単純ではないんですが。

さておき、この東本願寺は、
京都駅から北側に歩いたらすぐです。

西本願寺とは逆に、東本願寺では、
さっきも言ったとおり、
北側に御影堂、南側に阿弥陀堂
があります。

そもそも、どっちが逆なのか。
なぜ、逆なのか。
意味深ですね。
私も、知らないんですが。
(オイ)

これが、『東本願寺』です。

両方の本願寺を、
混同してしまいがちなのは。

なんとなく。

○京都駅近くにある。
○とにかく敷地がデカい。
○寺の東側に大きな通りがある。
○その東側に入り口のデカい門がある。
○御影堂、阿弥陀堂がある
○どちらも親鸞聖人を祖とする
○めっちゃ観光地
○なんにしても、デジャヴ感がある

これらが、共通しています。
なので、混同しやすいんです。

素人には、ね。(オイ)

細かいことを言い出したら、
キリがないので、とにかく。

京都駅のすぐ北のほうが、
『東本願寺』。

もっと西にある、堀川通のほうが、
『西本願寺』と覚えてください。

あ、、、
もっと単純に言うと。

東にあるのが東本願寺、
西にあるのが西本願寺、
と覚えましょう。
(まんまやな)
(めんどい説明要らんかったで)



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