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僕は、そう想う。ドキュメンタリー映画「生きろ 島田叡(あきら)―戦中最後の沖縄県知事」の試写会に行っての、素直な感想だ。僕は、死ぬのはイヤだ。とくに戦争で死ぬのはイヤだと想う。


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玉砕こそ美徳という思想に覆われた、
1940年代のアジア太平洋戦争末期の日本。

僕は、当時の「お国のためにという考えには共感できない。
僕は、自分のために、美味しいものを食べたいし、エンターテイメントの映画に身体の奥でドキドキしたいし、恋愛小説を読んで淡いこころにキュンとしたいのだ。

「安保関連法制(戦争法)」が成立した現在、九州の南は与那国、石垣島、
宮古島への自衛隊の配備がすすんでいる。

軍事化が推し進められ、
アジア太平洋戦争の悲しい沖縄戦再来もなきにしもあらずである。
市民などの反対運動はあるが。

市民自ら、軍事基地を認め、軍民一体化をも認めている面もある。
アジア太平洋戦争での沖縄戦から、
「官僚の鑑(かがみ)」、「本当に民主的な人」と語り継がれている人物、それが戦中最後の沖縄県知事「島田叡(あきら)」である。

沖縄戦直前、米軍上陸必死の死地であることを感じとりながら、
県知事として赴任。

60万県民のイノチを委ねられた一人の内務官僚に光が当てられたドキュメンタリー作品、
「生きろ 島田叡(あきら)―戦中最後の沖縄県知事」。
沖縄本島決戦の中で、
一人でも多くのイノチを救おうとした官吏の記録である。


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当時から現在にかけても沖縄県民の方々の
こころに残る島田叡とは、いったいどういう人物なのか。
次々と県民が犠牲となり
亡くなっていく激しい沖縄戦の中で、「生きろ」とこころの奥で叫び続けた島田叡。
人は、何をなすべきかが生きることではない。
人は、どう生きるべきかが大事なのではない。生きることとは、とてもシンプルである。
生きることが、生きることである。


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●解説
アジア太平洋戦争の末期、日本軍の敗色濃厚だった1945年1月31日、ひとりの男が沖縄の地に降り立った。戦中最後の沖縄県知事・島田叡(あきら)である。沖縄の那覇は、1944年の10月10日、米軍の大空襲を受け、行政は麻痺状態だった。

内務省は新たな沖縄県知事として、大阪府の内政部長、島田叡を沖縄に赴任するよう白羽の矢を立てた。辞令を受けた島田は、家族を大阪に残し、死を覚悟してひとり沖縄の地を踏んだのである。

県知事就任と同時に、島田は大規模な疎開促進をすすめ、食料不足を解消させるために、危険をおかして自ら台湾へ飛んだ。大量のコメを確保し、沖縄に戻ってからは県民の身になってさまざまな施策を断行。

米軍が沖縄本島に上陸すると、自ら壕(自然洞窟)を移動しながら決死の行政を続けた。しかし、戦況の悪化に伴い、多くの県民が戦闘に巻き込まれ、沖縄戦の犠牲になっていく。

島田自身も理不尽極まりない軍部からの要求と、行政官としての使命、住民第一主義という信念の板挟みになって、苦渋の決断を迫られる。

戦時下の教育により、捕虜になるより自決が美徳とされた時代、島田は自ら、周りの人々に対して、「生きろ」と叫び続けた。

そのイノチの源となる「生きろ」という言葉は、どのように島田のこころの奥に育まれてきたのか。


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語り継ぐべき沖縄戦の全貌に迫ったドキュメンタリー
「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」
2部作で沖縄戦後史に
奥深く切り込んだ佐古忠彦監督が、
沖縄戦中史に真正面から迫った待望の野心作。


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生きろという意思は、人間の本能だ。
性欲、食欲、睡眠欲、生きろ欲、である。
たっぷり眠ることと生きることは、同じ土俵にあるのだ。
人が、地上に生まれて、大切にしなければいけないもの。

それは、水とごはんと生きぬくことだ。


【公開表記】
2021年3月6日(土)より沖縄・桜坂劇場 先行公開
2021年3月20日(土・祝)より東京・ユーロスペースほか全国順次公開

【コピーライト表記】
©2021 映画『生きろ 島田叡』製作委員会 

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