斉藤さん見出し

日本の音楽シーンをパーカッションで変えた、ミュージシャン、斉藤ノヴ氏。

斉藤さん キャッチ

渋谷の某所に、日本を代表するパーカッショニスト、斉藤ノヴ氏があらわれたのはちょうどお昼ごろだった。

「京都時代の中学のとき、学校でビートルズって知ってる?って話になって。それで買ったビートルズのシングルがザ・セインツという聖者の行進、あとマイボニーという曲だったんですよ。

その2曲を聴いたときに、いきなりドッパ、ドッパ、ドッパと鳴ったから、ウァーとなって、もうカルチャーショックですよね。これがロックンロールだよ、って話しになって。それが音楽に興味をもった一番のきっかけかな」

ビートルズの衝撃体験から音楽に関心を持った、斉藤ノヴ氏。

斉藤さん①

「それから東京に出てきて。浜口庫之助先生が、僕の師匠なんですが。先生に、下田逸郎というシンガーソングライターと組め、と言われて。

下田逸郎&斉藤ということで、シモンサイというバンド名をつけられて、1970年の20歳のときにデビューしたんです。そのとき、オレはなにをするんだ、ってことで。マネージャーさんが、コンガとボンゴを買ってくれたんです。」

浜口庫之助先生とご縁があったことが、パーカッショニストになるきっかけに繋がっているんですね。

斉藤さん②

「僕は、パーカッションは、ラテンの楽器だという認識しかなかったのですが。

1969年に開催されたアメリカの伝説の音楽フェス、ウッドストックのライブ映像を観たときに、リッチーヘブンスの後ろで、パーカッションが入っていて。ワ―、カッコいいなと思った。

ジェームス・テイラーとか、キャロル・キングとかのアメリカ西海岸サウンドにも、パーカッションが入っているんです。

それとロンドンに行ったとき、テレビにTレックスが出てて、ミッキーフィンのなんだかわかんないようなパーカッションの叩き方を観ちゃって。それもカルチャーショックで。ロックで、それもギンギンにパーカッションが入るんで。もう衝撃的で。そのあと、サンタナですね。

で、ウォーッとなって。ロックなんだけど、ラテン感覚もあり、でもまったくのラテンでもなく。やはり、西海岸のサンフランシスコのバンドなんですね。」

11月6日の水曜日から、斉藤ノヴ氏のライブが東京・目黒と、京都で開催されますね。

斉藤さん③

「ノヴケインは、2年ぶりなので、みんな気合が入っています。サンタナ・デ・ナイトは、サンタナの、あっ出た!!という曲をやります。すごい仲間たちは、これが音楽だというものを楽しめると思います。

曲はJAZZ、フュージョンですね。ノヴケインの今後の活動は、JAZZフェスにも出てみたいですね。来年、僕は古希なんです。

音楽活動の50周年でもあるので、誕生日の11月になにかやろうと思っています。僕にとって、音楽はセンスより生きざまですね。自分の生きざまが全部でますね。」

来年、音楽活動50周年を迎える斉藤ノヴ氏は、音楽は生きざまだ、という境地に辿り着いた。

斉藤さん④

音楽を、イノチで駆け抜けてきた証だろう。

本物は、人生をイノチで駆け抜ける。

そして人生を弾丸のように速く飛ぶ。

斉藤ノヴのウェブサイトはこちらから。

※この記事は2019年11月5日に掲載されたものです。

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