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出来事の背後には、何があるのだろうか

 今も強く目に焼き付けられている写真がある。眼鏡が外れかけ、驚いたような表情を浮かべた巨漢の男性と、何かを手に挑みかかろうとしている小柄な青年が対峙する。1960年(昭和33年)10月12日、全国テレビでも放映された各党党首演説会の、正に演説中に社会党・浅沼稲次郎委員長が右翼の青年に刺された瞬間をとらえた、毎日新聞の長尾靖カメラマンによる1枚だ。その年の、最高峰のジャーナリズムに与えられるピューリッツァー賞を受賞した。

 参議院選挙中の最中に起きた元総理の銃撃事件が起きたあと、この出来事を追ったノンフィクション「テロルの決算」を改めて読みなおした。前回、大物政治家がテロによって命を落としたのがこの事件だったこともあるが、あの時代を覆っていた空気とはどのようなものだったのか、それを知りたいと思ったからだ。1978年に出版され、後に日本を代表するノンフィクションライターとなる沢木耕太郎が彗星のようにデビューし、大屋壮一ノンフィクション賞を受賞した名作だ。

   同著では、被害者となった浅沼稲次郎と犯人の山口二矢(おとや)のそれぞれの人生を描き、演説会の会場となった日比谷公会堂で交錯するまでを辿る。浅沼は三宅島の名主の庶子として生まれ、早稲田大学在学中に社会主義運動に身を投じ、戦後は日本社会党の結成に参加。その巨体と大きな声、精力的な活動から「人間機関車」と呼ばれたり「沼さん」の愛称で親しまれたりした大衆に人気を博した政治家だった。一方の山口は自衛官を父に持ち、右翼活動家だった兄の影響を受けて、自身も大日本愛国党に入党する。

    では、この事件が起きた1960年とはどのような時代だったのか。ざっとこのような出来事が起こっている。1月、日米相互協力及び安全保障条約(新安保条約)締結。2月、現天皇陛下誕生。6月、安保闘争で東大生・樺美智子さんが死亡。7月、岸伸介首相(安倍元総理の祖父)が暴漢の襲撃を受け重傷を負う。これによって岸内閣は総辞職し同月、池田勇人内閣が成立。8月、ソ連のスプートニク5号が世界で初めて生物を宇宙から帰還させることに成功。11月、ジョン・F・ケネディのアメリカ合衆国大統領当選が確定。12月、池田首相が取得倍増計画を発表。同月、南ベトナム解放民族戦線(通称ベトコン)結成。

    第2位次世界大戦が終結して15年。世界の覇権をアメリカとソ連・中国による社会主義国家が争い、日本はアメリカの「核の傘」に守られながらいよいよ高度成長期を迎える年だった。浅沼委員長襲撃事件は、世界的な争いに巻き込まれる中、日本に勃発した「右か左か」の緊張状態がひとりの青年の心に影響を与えた末に起きた。人は自ら意思決定しているようで、知らず知らずのうちに社会的な空気に背中を押されている。

   この2年後、戦後最も核戦争の危機が高まったキューバ危機が発生。8年後、ベトナム反戦運動、5月革命、東大紛争などの形で世界中の若者が一斉蜂起する1968年を迎える。30年後、ソ連は崩壊した。

   そして62年後の今年、かつての米ソ中の覇権争いを再現するかのような状況が現出し、核戦争の緊張も高まる。まるで時代がグルっとひと廻りしたかのようだ。沖縄返還50周年を迎えた日本は、依然としてアメリカの傘のもとに属している。異なるのは、現在の成長力が1960年当時とはかけ離れたものだということだ。

   浅沼委員長事件が「右と左」の交錯によって生まれた出来事だとすれば、今回の出来事は現時点での情報から「光と影」の交錯と言えるかもしれない。しかし、その「影」はクローズアップされている宗教的なそれだけではなく、もっと深く複雑に絡み合ったもの、それも私たちの中にも潜むもののような気がしてならない。

   コロナウイルスの勢いが収まる気配はなく、世界情勢は一気に緊張し、そして国内で起こったテロ。2022年は、これからやって来るさらなる大変化の「序章」なのだろうか。沢木耕太郎、あるいは「日本の黒い霧」で戦後の闇を見事にあぶり出した松本清張なら、今回の事件をどのように描くだろう。


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