アーティストに「オトナの事情」は通じない
森美術館で開催中の「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」を鑑賞。ネーミングやポスタービジュアルのポップさから鑑賞を迷っていたが、研究している領域の代表的な存在でもあり、予備知識のないままに足を運んだ。
Chim↑Pom展:ハッピースプリング | 森美術館 - MORI ART MUSEUM
6人のメンバーによるこのアーティストグループは、コンテンポラリーアートのカテゴリー的には「アーティスト・コレクティブ(複数のアーティストによる協業形態)」ということになる。本展覧会は、彼らの代表的な作品や活動を辿る大規模な回顧展という位置づけだ。
会場に足を運んだところでまず驚くのは、展示スペースの天井高がアタマがぶつかりそうなほど低く、雑然と作品群が並ぶ巣窟のようになっていることだ。そこで出会うのは、都市の中で育ったネズミを捕獲してその剥製を造形化した初期の作品「スーパー☆ラット」や、カラスの鳴き声をスピーカーで流しながら東京をオートバイで疾走しカラスの大群との追いかけっこをするアナーキーなプロジェクト。狭い階段を上ると、そこにはアスファルトの広場をを模したようなスペースとなっている。つまり、巣窟的な下層とメインロード的な上層の2層にすることで、それまで辿って来たプロジェクトが、都市が覆い隠す「アンダーグラウンド」的な存在を扱っていることを体感させる仕掛けになっているのだ。それは、アーティストとしての自分たちの立ち位置を宣言しているかのようだ。
その先には、社会的にも話題となった広島でのプロジェクト(広島の空をピカッとさせる)、話題となった渋谷駅の岡本太郎作品へのゲリラ的活動(Level 7feat「明日の神話」)そして3.11後の震災地に乗り組んでの活動などが紹介される。
彼らの活動を特徴づけるものは何か。最も印象付けられたのは、その「スピード感」だった。3.11の時には、震災から1か月後には警戒区域内に入って活動を行い、1か月後には渋谷でのゲリラを行っている。まず現場で起こったことを誰よりも早く体感し、そこで感じたことを造形化する。だからこそのリアリティと迫力が生まれる。
加えて、その活動とメッセージの「一貫性」。広島でのプロジェクトを通じて表現した原爆への問題意識は、そのまま3.11の原発問題へと引き継がれている。そこにブレはない。
そして「戦略性」あるいは「したたかさ」。現地での反感を買い展覧会が中止となった「広島の空をピカッとさせる」では、被爆者団体との粘り強い交流を続け、自主企画展や出版に結実させている。自分たちの活動や作品によって巻き起こる論議。それさえも彼らは作品として捉えているのだろう。
こうした彼らの活動、作品や論議によって、隠されている様々な問題が「さらされる」。人は、そもそも脳の構造的に見たいものしか見ていないし、聞きたいものしか聞いていない。普段、無意識に覆っている心の蓋を開けられたとき、心の中に起こるものや目を向けるもの。その「心のザワザワというメガネ」を通じて世界の見え方は変わり始める。アンダーグラウンドと表通りという会場の構造は、そのまま私たちの意識と無意識の構造を造形化していることに、改めて気づかされる。
さて。今、彼らのスピードやしたたかさという「刃」は、驚くような手段で展示主催者である森美術館に向けられている。グループの同士的存在であり、メンバーのひとりエリーのパートナーでもある手塚マキ氏が代表を務める歌舞伎町のホストクラブSmappa!Groupの協賛を「文化事業にふさわしくない」と断った同美術館に対し「じゃ、これならどうだ!」とばかりに、カウンタープランとして何とグループ名を「Chim↑Pom from Smappa!Group」へと変更したのだ。
アーティストに「オトナの事情」は通じない。触れたら火傷するのだ。
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