モノは、つくれば人になる。

    去る6月8日、武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科修士2年の授業「クリエイティブリーダシップ特論Ⅱ」のゲスト講師として、川上デザインルーム代表・川上元美さんをお迎えした。川上さんは、東京芸術大学美術研究家(デザイン)修士課程を修了をされ、プロダクトデザインからランドスケープデザインまで、幅広い分野で活躍し、数多くの賞も受賞されて来た。現在は、全国の地場産業の活性化に尽力をされている、デザイン界の巨匠。六本木21_21「デザイン秘展」でも、その軌跡を拝見させて頂いたばかりだ。
https://www.japan-architects.com/ja/kawakami-design-room-tokyo/about

 その川上さんのご講演は、淡々と自分が手掛けられて来られた作品をご紹介される展開となった。他のご講演者のように、自分の理念などを説明されない。それがかえって、「これを見て、君ならどう感じるかね?」と問われているような気にさせられた。そこで、ご講演後配布された資料を改めて拝見してみることにした。「豊穣」という言葉では収まらないほどの、圧倒的な質と量。ウイスキーの「NEWS」やヨネックスのテニスラケットなど、同時代で体験し、どことなく「人柄」を感じさせるスマートでありながらキュートなデザインは、今でも鮮やかに印象に残っている。

 作品群を見返しながら、気が付いたことがある。デザインされた作品(製品)の横に、必ずと言ってよいほど「花」や植栽が添えられている、あるいは、建築物の外には自然が広がっている。領域や作品こそ多様だが、そこに流れる一貫した理念のようなものを感じた。それは何なのだろう、と考えているとき、ある言葉を思い出した。

           「花はいけたら、人になるのだ」
 
 これはいま、私が仕事をご一緒させて頂いている生け花の草月流の理念だ。いけばなは、自然のいのちと人間のいのちの触れ合い、という思想がそこにある。そして、生け花をいける過程は、自然を媒介として人間であることを回復する過程でもある、ということを説いている。
https://www.sogetsu.or.jp/

 川上さんの作品を貫く思想は「モノを通じて、人のありようを追求する」ことなのではないか、と私なりに解釈した。

 ご講演の中で、強く印象に残ったのは、そのお人柄だった。ご講演自体は淡々としたものながら、その後の質疑での受け答えの時の雰囲気が、まるで少年のよう。愉快そうに話し、無邪気に笑う。それを見ている私まで、なんとも楽しい気持ちになった。そして、その快活さを支え、無尽蔵に作品を生み出す源泉が「好奇心」なのだと気が付いた。好奇心があるから、世の中のあらゆる事象を興味をもって観察し、それを徹底的なこだわりで形にして来られたのだ。「デザインは修行より前に、君の好奇心だよ」と仰って頂いたような気がした。

 川上さんが、いま関心を持っているのは「持続可能性の時代に要求されることへの返答」だという。コロナの時代。なぜ、人と人が距離を遠ざけられるようになったのだろうか。それは、改めて「自然に目を向ける、自然との調和を考える」ことを促されているような気がしてならない。人が人として、どう生きるのか。まるで、人と自然の「媒介(メディア)」のような役割を果たしているような川上元美さんの作品群を見て、そのことを諭された。

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