何かに夢中になることは悪いことじゃない
観終わったあと、気づくと、毎日のように妻と作品の感想やさかなクンのことを話している。「さかなのこ」はそんな映画だ。
監督が「さかなクンの映画であって、さかなクンの映画ではありません」と言っているように、さかなクンの人生を下敷きにしているけれど、単なる実話ものになっていない普遍的なメッセージを我々に投げかけてくれる。
主人公はミー坊。お魚が大好きでたまらない子供だ。最初は奇妙だと思う周囲の人たちも、その姿に自分もお魚への興味が湧いて来てしまう。あるいは、ミー坊を応援したくなってしまう。色々な迷い道もあるけれど、ミー坊はお魚を通して、沢山の人に幸せを届ける存在になって行く。
とてもシンプルな内容だけれど、ときどきウルっと来る瞬間が訪れる。泣かせどころがあるわけでもない。何かを「とてつもなく好きになる姿」や「悪意のないこと」が、こんなにも世の中を幸福なものにする。それを純度100%で見せてくれるからだろうか。
その純度100%な世界の主役を演じているのが「のん」。冒頭にドーン!と現れるのは、この言葉だ。
男か、女かは、どっちでもいい
おそらく、のん以外にこの役を演じる役者がいないんじゃないか。そう思ってしまうほど、この映画の世界観とのんの透明感のある存在感が見事に一致している。
何よりも「ぎょぎょ!!」と驚くのが、ミー坊のお母さんの存在だ。徹底的にこどもの「好き」を信じ切り、支え、時には背中を押す。「好き」を貫き通すのはカンタンじゃない。それを支えてくれる存在あってのものなのだ。むしろ支える側にこそ、覚悟が必要なのかもしれない。映画を観た後、すぐに原作本を買い、読んで再び「ぎょぎょ!!」。あの映画で描かれていること、特にお母さんのエピソードは全部、本当だった、いやそれ以上だったのだ!
この映画には、たくさんの大切なメッセージが込められている。たとえば、誰もがさかなクンのようになれないけれど、何かを好きになったり夢中になったりすることは悪いことじゃない。何かを好きになることに遅すぎることはないかもしれない。そんな勇気ももらえる。でも、込められたメッセージをありきたりな表現にしてしまうと、その宝石は輝きを失う気もする。
私も、あなたも、かつては「〇〇のこ」だったのかもしれない。忘れていた気持ちを思い出させてくれそうな魔法の力が、この映画にはある。
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