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2020年のいま「心地よい経験をデザインする」とは?

   去る6月29日、武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科修士2年の授業「クリエイティブリーダシップ特論Ⅱ」のゲスト講師として、㈱インフォバーン取締役(京都支社長)井登友一さんをお迎えした。井登さんは日本におけるUXリサーチの先駆者で、最近はミラノ工科大学のロベルト・ベルガンティ教授が提唱する「意味のイノベーション」の研究をされているほか、京都大学経営管理大学院の博士課程にも所属されている(研究テーマは「イノベーション創出におけるエステティックの研究」)。

    講義は、プログラミングにおける「Visual basicの父」と呼ばれ「ペルソナ」という概念を開発したアラン・クーパーとの出会いによって転機を迎えたこれまでのご経歴を紹介頂いた後、近年の仕事の話題へと移って行った。いま、顧客からの依頼テーマが「今あるものを進化させる」「連続的な価値をつくる」ものから「まだないものを考える・つくる」「攪乱(かくらん)的な価値を生みだす」ものへと変化している、という。その経緯をGilmore/Pineの経験デザインの進化フレームになぞらえながら、核心となるテーマ「良い経験をデザインするとはどういうことか?」という問いを投げかけられた。

  「良い経験デザイン」とは、快適で、心地よく、簡単で便利にユーザーのしたかったことができるよう、デザインしてあげること「だけではない」というのがミソ。それは、状況や立場、文脈が変われば変化するからだ。そこで井登さんが提示された概念が「不便益(Benefit of Inconvenience)」。便利の押しつけが人から生活する事や成長する事を奪ってはいけない、というもので京都大学デザインユニット学の川上浩司教授が提唱され、その研究所も設立・運営されている。それは特定な環境では、「客を脅す」(!)域にまで達する、という事例を某高級寿司店を事例にご紹介された。

   だいたいのモノやサービスがさほどひどくなくなった日本のような環境では、問題を解決することから「新たな問い」を提供することがより求められる、という文脈から「意味のイノベーション」へとお話は発展し、そこで紹介頂いたのが、このベルガンティの言葉。

            「デザインとは“愛”である」 

 つまり、その商品やサービスを愛することができる「意味(meaning)」を提示するのがデザインの役割。そうしたデザインは、人々のこれまでの「普通」や「生活習慣」まで変えてしまうほどの力を持ち、そこで要求される態度は「批判的につくる(Critical Making)」ということになる。

   さて。私自身は2000年頃、当時勤めていた会社でBernd.Schmitの「経験価値マーケティング」の研究会を同僚と立ち上げ、コロンビア大学のシンポジウムにも参加したことがある。Pien/Gilmoreの「経験経済」が出版されたのと、ほぼ同時期。「経験」の第一次ブーム(?)だった。あの頃、なぜ「経験(Experience)」が多くのマーケター、デザイナーあるいはコミュニケーションに携わる我われ日本人(業界関係者)の心に響いたのか?おそらく、バブルが弾けマスメディア及びそれに伴うコミュニケーションやデザインの在り方が曲がり角に来ていたのだろう。そしていま、デジタルやネットを背景に「UX」という言葉で経験ブームが再燃している。

 2000年当時の「経験」と現在の「経験」の違いは何か?井登さんのお話を聞き、使われるメディアに加え、その経験を欲する源泉に違いがあることに気づいた。2000年当時の「経験」ブームは脱マスメディアの要請を背景に「顧客にどういう心地よい経験を提供するか」というニーズ起点だったが、現在はむしろ「顧客の心の琴線に触れる」内から外への(=ベルガンティ的な?)経験が求められているのではないだろうか。だから、痒いところまで手の届くことだけを良しとはしない。それだけに、提供する(感じてもらう)経験はより多様化、複雑化している。  
 
 「心地よい経験」は、人さまざまだ。私の場合は、以前住んでいた雑司ヶ谷にあるお寿司屋さんが心地よい経験を提供してくれる。決して高級ではない。むしろかなり庶民的だが何とも温かい雰囲気がある。しかし、そこに集うお客様がまさに「ダイバーシティ」。先日行った時は、中沢新一さん門下で哲学を学んだ弁護士の方が楽し気に哲学を語っていた。その隣には紅白にも常連で出場するダンスグループのメンバーが、ひっそりと寿司をつまんでいる。地元のおじちゃんやおばちゃんも「また来たよ!」と入って来る。板さんは、その誰とも楽し気に会話し、お客様同士の会話もそれとなくファシリテーションする。食事が終わり店を出た時、なんとも豊かな気分になっている。

 「ワークショップデザイン」という領域では、3つのデザイン要素が挙げられている。環境のデザイン、コンテンツのデザイン、そして場(関係性)のデザインだ。心地よい空間、美味しいお寿司とお客様同士のインタラクションのある雑司ヶ谷の寿司屋は、その3つの条件が揃っている(私にとって)極上の経験を得ることのできる場なのだ。

 コロナ禍によって在宅を余儀なくされる中、一人ひとりの内省が深まっている。誰もが、自分の生き方や働き方の「そもそも」を考え今後についての見通しを建て直しているのではないだろうか。一方で、様々な「分断」が起こっている。これからの「心地よい経験」とは何だろうか?あくまでも直感でしかないが・・それは、様々な「本質」に自然に思い至らせてくれるものではないか、と思っている。  



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