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「土地の記憶の案内人」というアートの価値

 新潟県越後妻有地域(十日町市、津南町)で開催中の「大地の芸術祭」に、初めて足を運んだ。2000年7月に第1回が開催され、今回が第8回となる。今では日本中に広がった感のある地域芸術祭のパイオニア的な存在だ。開催期間は、4月29日から11月13日までと6か月半に及ぶ。その体験記を、「地域とのつながり篇」「作品篇」の2回に分けて綴りたい。

大地の芸術祭 (echigo-tsumari.jp)

 この芸術祭は5つのエリアに分かれ、しかも2000年以来の作品も残っているので、作品数が数百点に及ぶ。加えて、作品と作品の距離も離れている。訪問する3日間の間に、いかにこれ!という作品を効率的に鑑賞するか。妻と共に前もって作戦を立てた。そのお陰で、70点近い作品を鑑賞することができた。

 当日は、東京から上越新幹線で越後湯沢駅まで行き、レンタカーを借りて越後妻有に向かった。現地へと向かう道すがら、ここが雪国だということを改めて知る。大雪から守るスノーシェード(雪覆道)としてのトンネルをたびたび通る。雪を屋根から落下しやすくする「かまぼこ型」と呼ばれる独特の形状をした家が点在する。越後湯沢はスキーのメッカで有名だが、降雪期間以外の時期、スキー場は有休施設となる。だが、芸術祭によってスキーシーズン以外の観光需要が生まれているのだと納得する。

 最初に訪れたのは「絵本と木の実の美術館」だった。最初にして最も感動を覚えた体験だったが、その内容については後編に述べることとする。ただ、大きな感動が生まれた大きな要素のひとつが、受付をされていた現地の方の姿だった。

鉢&田島征三・絵本と木の実の美術館 (ehontokinomi-museum.jp)

 ここは、2005年に廃校になった鉢集落の小学校を「美術館」として田島さんと集落の皆さんが2008年以来、少しずつ一緒につくりあげて来た。だから、公式ガイドブックにも作家名は「鉢&田島征三」と記載されている。

 訪れたのが平日の午前だったせいか、ほとんど訪問客はいない。受付の方は、最初の会場となった体育館の中を歩きながら、楽しそうに田島さんが作品づくりをする様子を話してくださった。芸術祭のガイドブックの冒頭には、生みの親である北川フラムさん(大地の芸術祭総合ディレクター)による、20年分の想いのこもった長い挨拶文が掲載されているが、そこに芸術祭が基盤とする4箇条が述べられている。その第4条はこうだ。

会期中の運営、受付は主として地元・サポーターが担当する。お客さんとの対応がとても大切であり、それこそが「行ってよし、来られてよし」の芸術祭のハイライトだ。ここからさまざまな縁が始まる。

 2日目に訪れた、芸術祭のメイン会場のひとつ「農舞台」でも、私たち夫婦が愛情を込めて「おせっかいオジサン」と呼ぶ受付の方がいらっしゃった。鑑賞者に作家についての説明をしたり、会場周辺の松代(まつだい)エリアの作品への行き方を知らせたり、まるでその人がどこから来てどこに向かうのかを察するようにインフォメーションしてくれる。私たちも、農舞台からほど近い松代城に向かうシャトルバスの存在を、このオジサンに教えてもらわなければ、30度を越す炎天下の中、大変な思いをしていた。人と人との関係が希薄になった都会からいなくなってしまった「おせっかいな」地元の方々の姿を通じて、越後妻有に住む人々にとってアートが「愛情を込めて紹介したい」存在となっていることを感じ、何とも温かい気持ちになった。

 

 初日に宿泊した「かたくりの宿」も、旅の大きな思い出の場所となった。津南エリアの「秘境」とも言える秋山郷結東(けっとう)エリアにある、平成4年に廃校となった小学校の分校を再生させた宿だ。芸術祭の売り物のひとつ「アートと過ごす宿」にリストアップされていたことから、ここに泊まることにしたのだ。
秋山郷結東温泉 かたくりの宿 (tsumari-artfield.com)
 訪れてみて、宿の近くに私の好きな映画「ゆれる」のモチーフとなった吊り橋があることを知り、さっそく訪れてみた。しかし、高所恐怖症の私は想像以上に「ゆれる」(本当に揺れる!)吊り橋に数歩足を運んだだけで渡ることを断念した。だが、その吊り橋の先に現在も4軒の家からなる集落があることを後から知った。

 宿の部屋は、教室名となっている。私たちが泊ったのは「1年3組」だった。食事も地元の食材を使った、いわゆる旅館の食事とは一線を画すオリジナリティ溢れるメニュー。そして、食事の後は、この宿の最大の売り物?とも言えるアート体験だ。

 アーティストの原倫太郎・原游さんが体育館に残された道具を活用して製作した「妻有双六」である。罰ゲーム?として、跳び箱、バスケットへのゴールあるいはピンポンを楽しむことができる。

 翌朝は、宿の食事に使われるお米の生産地ともなっている石垣田を散歩することにした。明治25年頃より火山から噴出した落石を利用して築かれた棚田だと聞いて訪れることにしたのだ。歩く人もいない集落を抜け、視界が開けると、そこに広大な石の棚田が朝の光に照らされて広がり、一瞬、声を失った。

 宿のロビーには、この小学校についての説明文も掲示されていた。この集落がへき地であることを理由に明治25年から43年もの間「義務教育免除地」(なんという欺瞞に満ちた言葉!)に指定され、その間、教育に関するすべてを自主的に村がまかない、昭和11年にようやくその免除が解除されたいきさつが書かれてある。アートを体験するという興味で訪れた宿で、その土地の記憶や歴史をリアルに知り体験をすることとなった。アートは、その価値に誘う「案内人」としての役目を果たしている。これこそが、この芸術祭の大きな意味なのだと実感した。

 旧校長室を改装したお湯に浸かると、こんな言葉を書いた小さなパネルが貼ってあった。

狩りをし、風呂に入り、ゲームをし、笑う。それが人生だ。
(ローマ時代の落書き)

 調べると、この言葉は本当に古代ローマの遺跡から発見されたものだった。自分の人生を取り戻すのも、この芸術祭の意味なのだ。

※後編はこちら
「夢想する力」は、誰にも奪えない-「大地の芸術祭2022」探訪記- |sakai_creativejourney|note

#大地の芸術祭 #かたくりの宿  


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