「ロシア」「ウクライナ」に関係する内容の可能性がある記事です。
極端な内容・真偽不明の情報でないかご注意ください。ひとつの情報だけで判断せずに、さまざまな媒体のさまざまな情報とあわせて総合的に判断することをおすすめします。 また、この危機に直面した人々をサポートするために、支援団体へのリンクを以下に設置します。 ※非常時のため、すべての関連記事に注意書きを一時的に表示しています。
見出し画像

「失われたもの」を取り戻しにいらっしゃい-上野村探訪記

sakai_creativejourney

 昨年度から立命館大学東京キャンパスが主催する「チェンジ・メーカー育成プログラム」というプロジェクトにファシリテーターとして関わらせて頂いている。社会人がチームとなって、地域の社会課題を発見・解決する2か月間の越境学習だ。本年度は、その対象地域が群馬県上野村に決定し、先だって現地視察を行った。

 上野村は群馬県の最南端に位置し、人口が1100名。関東地方では内陸で最も人口の少ない村だが20%がIターンという全国でも有数の移住者が多い自治体として知られている。

   視察当日は、都内から車で出発。関越自動車道を抜け約2時間半で現地に到着した。村の面積の95%を占める広大な森林が広がり、平成の名水100選にも選ばれた神流川(かんながわ)で釣りをする人たちの姿が見える。産業は農業と木工業になる。事前に聞いていた通り、どうやらコンビニもスーパーも無さそうだ。ちなみに、この地域には「神」が付く地名が多く長野県との県境には古事記に登場する神々が生まれる場所の名前を冠した「高天原山(たかまがはらやま)」がある。迫るような森林を見上げると、本当に神々が住まうのではないかと思わせるような神秘性を感じる。

 本プログラムの現地窓口を引き受けると共に、視察の段取りとアテンド役を務めてくださる、ご自身もIターン移住者の株式会社上野村公社の瀧澤延匡(のぶまさ)さんに出迎えて頂き、最初の目的地となる村役場に向かった。

 役場の前には、村の「中興の祖」とも言える先々代の村長 黒澤丈夫(たけお)さんの銅像が置かれている。この村で生まれた黒澤さんは、海軍兵学校を卒業しゼロ戦パイロットとして太平洋戦争を戦い抜き、戦後は村に戻って1965年(昭和40年)から2005年(平成)17年まで10期40年村長を務め、現在の村のインフラを整備した。彼が村長に就任した時に掲げた理念「栄光ある上野村の建設」の4つの理念(健康水準の高い村、道徳水準の高い村、知的水準の高い村、経済的に豊かな村)は今も受け継がれている。

栄光ある上野村 4つの理念

   そして、村長として最も大きかったであろう決断が「平成の大合併拒否」だ。その時、丈夫村長は「自治」の重要さを説く。彼の遺訓を綴った「誇りについて」という本にはこのような言葉が書かれている。

合併を説く人たちが盛んに使うのは「財政力が乏しくなってくる、だから同じ住民サービスをしていくために、市町村が一緒になって大きくして、効率よくやらなければだめだ」という論理。しかし、それでは本末転倒です。財政力とか効率よりも前に、自治の原点である、みんなが協力し合って生きるということが損なわれていないかどうか、それをまず考えるべきなんです。

 村役場では現村長の黒澤八郎氏にお目にかかり、お話を聞かせて頂いた。この村には黒澤姓が多くファーストネームで呼び合っているそうだ。八郎村長は、村役場で丈夫村長のもとで長く勤め、その志を受け継ぎながら村長になった。掲げるのは、持続性のある「上野村型循環経済」。村で出た未利用資源を有効活用することで環境負荷低減の地域社会を実現する仕組みづくりに取り組んでいる。同時に、主要作物であるきのこを大量生産する「きのこセンター」を設立して「稼ぐ力の増強」を図っている。自前の資源によって地産地消で持続性のある社会をつくる。ウクライナ情勢などから、資源を外部調達する危うさに改めて気づき、自らの資源を循環させる大切さが再認識されるいま、大きな教訓を提供する取り組みと言える。村役場訪問の後は、循環型の仕組みの現場となるきのこセンター、森林組合や木質ペレット工場の現場を拝見することが出来た。

上野村森林組合にて

   上野村は教育にも力を入れている。その代表的な取り組みが「山村留学」。1992年以来、毎年都会から十数人の子供たちを受け容れ「かじかの里学園」で1年間、共同生活してもらうというものだ。昨年までに417名が参加した。小学校から中学校にかけて3年間も留学する子供もいるらしい。

   留学を経験して子供たちはどう変化しますか?と八郎村長にお聞きしたら「とにかく元気になりますねえ」との答え。共同生活を通じて、自主的に村での過ごし方や学び方を創り出すようになる。これを村長は「子育ち」と名付けた。この取り組みから学ぶのは都会からやって来た子供たちだけではない。上野村の子供たちも、自分たちとは異なる育ち方をして、留学を通じてたくましく育って行く留学生たちの姿を見て刺激を受ける。双方にとっての越境学習になっているのだ。

 経済産業省は、この5月に「未来人材ビジョン」を発表した。2050年に生産年齢人口が現在の2/3に減少すると予測される中、最大の資源である「人」がどのように育って行く必要があるのかの提言がされている。ここでのキーワードが「自ら育つ」だ。

新たな未来を牽引する人材が求められる。それは、好きなことにのめり込んで豊かな発想や専門性を身に付け、多様な他者と協働しながら、新たな価値やビジョンを創造し、社会課題や生活課題に「新しい解」を生み出せる人材である。そうした人材は、「育てられる」のではなく、ある一定の環境の中で「自ら育つ」という視点が重要となる。(「未来人材ビジョン」より)

   上野村は30年前から、このビジョンを実践して来たのだ。この「自ら育つ」力は子供だけではなく、いま大人にこそ求められているものではないだろうか。

 上野村の名前が全国に知れ渡ることになったのは、歴史的に不幸な出来事からだった。1985年(昭和60年)8月12日に起こった日航機墜落事故の墜落場所が村にある御巣鷹山付近の尾根だったのだ。丈夫村長の指揮のもと、村を上げて対応の支援を行った。それだけではなく、財団法人「慰霊の園」を設立し、事故から1年後の8月に追悼慰霊式を行った。

慰霊の園にて
慰霊の園のモニュメント

   慰霊の園には人が手を合わせる姿をかたどったモニュメントがあり、身元の特定できない遭難者の遺体の一部が骨壺に収められている。事故を伝える資料館には当時の新聞記事や遺品、あるいは事故対応を行った村民の証言を集めた映像も観ることができる。私が所属していた会社の先輩たち数名もこの事故で帰らぬ人となった。いつか訪れなければ・・・と思っていた場所へのご縁がこのようなかたちで実現するとは思いもしなかった。慰霊の園は、現在も村役場の方々が常駐して守り続けている。この事故に対する村や村民の姿は、正に丈夫村長が掲げた「道徳水準の高い村」が実践された事例だ。

 視察の最後には、上野村役場の瀧上守さんと新卒で村にIターンで移住され上野村産業情報センターで働いている岩佐純佳さんにお話をお聞きした。岩佐さんに村の一番の魅力は?とお聞きすると「人と人とのつながりですね。少し濃いぐらい(笑)」という答えが返って来た。

 上野村には、コンビニもスーパーも無い。しかし。豊かな自然、自治の精神、生き抜く力、自ら育つ力、道徳心、人と人とのつながり・・・・いま日本にとって必要とされ、しかし失われつつあるものを取り戻す場所なのかもしれない。 

#上野村  

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!