「結び目」としてのアーティストの役割-アーティスト・ラン・レジデンス“6okken”体験記-
先だって美大大学院での研究がいったんの区切りとなった。修士論文のテーマは「『働くひとの芸術祭』が拓く未来」。多様な領域への入口とも言える現代アートという“眼鏡”を通じて、日本人の働き方や生き方の今後についての検証を行うと共に「働くひとの芸術祭」という実践を行っていくことを宣言した。社会人にとって大学院での研究は、それを社会に実装して行く入口に過ぎないと考えたからだ。
この論文の執筆に際して、その在り方がこれからの働き方や生き方のヒントになると考え取り組んだことが、ruangrupa(ルアンルパ)というインドネシアのアート・コレクティブの研究だった。アート・コレクティブとは、異なるバックグラウンドや個性を持つ3人以上のアーティストによる共同研究またはチームを指す。ルアンルパは現時点において、その代表的な存在ということになる。いや、昨年、世界で最も影響力のある芸術祭であるドクメンタの統括ディレクターを務めたことで、「コレクティブ」という枠を越え、世界で最も注目されるアーティストになった。私が所属したラボ(ゼミ)では、このルアンルパに興味を持つ数人による研究会を行って来た。その活動は現在も継続している。
さて。先だって、ラボの後輩・ソルト君を通じてルアンルパとのつながりのある日本人アーティストとのご縁が生まれた。tsu-tsuさんと言い、演劇をベースとした「ドキュメンタリーアクティング」という手法で活動を行っている。加えて富士吉田市にある「6okken」というアーティスト“ラン”レジデンスを主宰し、アートと社会を接続する活動をされている。昨年、ドクメンタを訪れたことからルアンルパとの縁が生まれ、彼らがアートと教育を接続することを目的としてインドネシアに設立したGUDSKUL(グッドスクール)という施設にも滞在したという。
アーティスト・イン・レジデンス(AIR)は、アーティストが一定期間、ある土地に滞在し、常時とは異なる文化環境で作品制作やリサーチ活動を行うこと(「美術手帖」オンラインより)で、近年、日本でも広まりつつある。しかし6okkenはアーティスト自身がレジデンスを運営する。だから、「in」ではなくて「run」。
tsu-tsuさんと研究会メンバーでオンラインでのディスカッションさせて頂いたが、ルアンルパから彼が何を学び、それがどのように活動に活かされているのか。それはリアルにお目にかかって深く対話してみなければわからないと感じた。そして、「是非一度、6okkenに来てください」というtsu-tsuさんのお言葉に乗っかる形で去る4月末に研究会メンバーは早速6okkenに赴くことにした。そして、tsu-tsuさんからは我々が訪れる同じタイミングで開催されるイベントに我々も登壇して欲しいという嬉しいリクエストを頂戴した。
富士吉田訪問当日。新宿からバスに乗り約2時間、イベント会場の下見のために中央道下吉田駅で下車する。バスから降りると、眼前に富士山が圧倒的なスケールで姿を現し、いきなりテンションが上がる。
会場での打ち合わせの後、市内にあるアーティスト・イン・レジデンス「SARUYA Artist Residency」にご案内頂いた。そこでは、カナダ、オーストリア、イギリスからのアーティストが同居しながら制作活動を行っている。私にとって初めてのAIR体験だったが、短い時間ながら彼らからお話を聞かせて頂くうちに、アーティスト同士が刺激し合うだけでなく、彼らが富士吉田の関係人口となったり、日本人にとっては異文化コミュニケーションを体感的に学んだりできる絶好の場になりうる、という印象を受けた。
そして、いよいよ6okkenへ。富士急行で河口湖駅に降り、タクシーで約20分。河口湖畔にある山の中腹にあるレジデンスに着いた。おそらく、かつては別荘として建てられたであろう一軒家が6棟並んでいる。目の前には富士山がパノラマのように広がっているはず・・・だったが、午後からの曇り空のために姿が見えない。
6okken体験は、東京から調達して来た食材によるすき焼きパーティからスタート。ひとしきり腹を満たしたところで、ぼつぼつと対話が始まる。「アーティストが自ら集まり、生活を共にしながら、答えのないこれからの世界を考え、実践するための拠点」。それが6okkenの理念だ。しかし、その志の前に、様々な現実が立ちふさがる。主宰者のtsu-tsuさんは、抱える悩みをざっくばらんに話してくださり、それをどのように解決して行けば良いのかを話し合った。
「第2部」は、翌日のイベントに向けての作戦会議。我々研究会のメンバーは、どうやら確信犯的に(笑)企画メンバーに巻き込まれた形だ。
このイベントでは、いくつかの実験を行う必要があった。まず「ライブパブリッシング」という手法。その場のディスカッションの議事録をその場で印刷するのだ。次いで、その場でのバイリンガルでのコミュニケーション。会場となるFab Caféには外国人滞在者や観光客が多数訪れる。その場で、話された内容が日本語と英語で文字情報として同時に表示され理解してもらわなくてはいけない。そして、10人以上になったパネラーに、限られた時間の中で、いかに偏りなく話してもらうか。訪問した我々とtsu-tsuさんを含む6okkenのメンバーでワイワイ言いながらソリューションをその場で開発するプロセスは、純粋に楽しいものであり、互いから学びものもあった。ある場づくりをする時、閉じずに外部からのアイデアを募ること自体が、いま最も大切なことなのだ。
お客様のように滞在するような気持ちが、どこか私の中にあったことは確かだ。しかし巧みに巻き込んで頂いたことで、思いがけず、より濃密で意味のある体験をする夜となった。
富士吉田滞在2日目は、イベント本番。会場は、富士吉田市内のFab Café Fuji。既に書いた様々なチャレンジがある一方、イベントのデザイン、ディスカッションのテーマ設定や登壇者の顔ぶれは、とても興味深いものだった。
ディスカッションテーマは「(会場の)目の前の状況」。会場の大窓の前に交差点がある。実は、この交差点(本町2丁目)が全国的にも話題となっているのだ。交差点から商店街越しに富士山がそびえており、絶好の撮影スポット。富士山にはいま、外国人観光客が押し寄せており、晴れた日には、カメラを抱えた鈴なりの列が生まれる。あまり広くない道幅から車道にはみ出すこともしばしば。車の通行を塞ぐこともあり、事故が起こっても不思議ではない。市民から上がった苦情に対して市は警備員を配置した。私も撮影スポットに立ってみたが、高齢の男性警備員さん達が、「Stop!」「Go!」と大声で必死に整理をしていた。
そして、登壇者の顔ぶれである。ラボからの我々4人の他に集ったのは以下のような方々だった。東大大学院で都市デザインを研究しながら富士吉田市地域おこし協力隊として同市を拠点に活動されている伊藤さん、富士吉田市で地域活性化事業を行っていて、我々が訪れたSARUYA Artist Residencyも運営されている八木さん、広告会社で事業開発を行っている津島さん、あるいは愛知トリエンナーレなどのキュレーターを務めて来られた三木さん。
イベントは、こうした多彩な方々と共に、SARUYA AIRに滞在する外国人アーティストの皆さんが加わり、多様な意見を出し合う場となった。
素晴らしいのは、眼の前で現在進行形で起こっている社会的な状況を見ながら対話が行われたことだ。様々な美術館や学校で行われているアートを使った「対話型鑑賞」は絵画という正解のないものから何を読み取り何を感じるのか、観察力や多面的な見方を鍛える手法と言えるが、このイベントでの手法は、それをより先鋭的に進化させた「現場対話型鑑賞」とでも言うべきものだと感じた。
さて。この体験の発端となったルアンルパ。その名称である「ruang」とは「空間」、「rupa」とは「見える」を意味する。つまり「見える空間」ということになるが、物理的な空間ではなく精神的な空間も意味している。その在り方を西欧的なスタジオではない「ruru house」やGUDSKULという場を通じて具現化している。そこでは、あくまで地域に根差し近隣の人たちとの親しい関係性をつくりながら、生活の中で起こる日々の問題を解決して行くことに取り組んでいる。
また、彼らの活動のコンセプトでありドクメンタでも標榜したのが「lumbung(ルンブン)」という考え方だ。インドネシア語で共同体の交易のために収穫した米を貯蔵したり、仲間や困窮者の緊急支援のために使用したりする共同倉庫のことを意味し、共有されるアイデア、物語、エネルギー、時間などのリソースの集合体のメタファーとなっている。
富士吉田というコミュニティでtsu-tsuさんを始めとする6okkenチームが実践しているのは、正にルアンルパが実践していることに近い。いや、この富士吉田体験を通じて、文字や言葉だけではいまいち理解が及ばなかったルアンルパの取り組みの実際や社会的な意義あるいは実践に際しての課題に、少し近づいたような感覚を得た。
そこで浮かび上がって来た言葉は「結び目」。アート活動を美術館のような場に閉じ込めず社会との「結び目」となることで、アートやアーティストのより開かれた価値の再定義を果たしている。そして、それぞれが何かと何かの結び目としての役割を果たしている(イベントの登壇者のような)人同士の繋がりをつくる「結び目の結び目」の役割も果たしている。SAYURA AIR、6okkenやFab cafeという場自体も、社会の「結び目」となっているのだ。
交差点の警備員さんのコミュニケーションの仕方を見て、私はアジア駐在の時に体験した各国の入国審査を思い出した。ある社会主義国は、正に「審査」するように海外からの旅行客や海外からの駐在者に厳しく接する。一方、シンガポールのような他国との繋がりなしにはサバイバルできない国の入国審査官のコミュニケーションは、「我が国に来てくれてありがとう」とお客様をお迎えするようなホスピタリティがあった。訪問する外国人が最初に接するその国の人でもある入国審査官は、いわば国と国の最初の「接点」だ。そのコミュニケーションのスイッチの切り替え方ひとつで友好的な関係にもなれば敵対的な関係にもなりうる。あの交差点の警備員さんも同様に、富士吉田市と海外諸国の接点であり、そのコミュニケーションの仕方が印象を真逆にする。「結び目」としてのアートやアーティストは、問題を投げ込み気づきを促進することで、コミュニティにおける関係性をネガからポジに切り替える触媒のような役割も果たすのではないか、と感じた。
あまりにも濃すぎる富士吉田市での旅を通じて感じたことや気づいたことは、まだまだあって書ききれない。何よりも、ここに書いたような客観的な分析に留まっていてはいけない、と強く感じている。これを“ご縁”に、引き続き6okkenや富士吉田という土地に「関わり続ける、アクションしてみる」ことが何よりも大事なのだ。
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