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グローバルとローカルを、空間と文脈でたどるアートの旅-国際芸術祭あいち2022を訪れて-

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愛知県で開催中の「国際芸術祭あいち2022」を鑑賞した。2010年から「あいちトリエンナーレ」という名称で3年ごとに開催されて来たが、前回「表現の不自由展」が日韓の外交問題に発展するまでに物議をかもしたことから、今回は名称変更し再出発することとなった。

テーマは「STILL ALIVE-今、を生き抜くアートのちから」と銘打たれ、芸術監督を森美術館館長で愛知県出身の片岡真美が務めている。会場は、名古屋市(愛知芸術文化センター)、一宮市、有松市、常滑市の4か所。私は、妻と共に2日間で4会場を巡った。

愛知会場では「現代美術展」が開催され、3フロアに渡ってコンセプチュアルアートの歴史的な作品や世界中の作家の作品を鑑賞することができる。導入部には、正に芸術祭のテーマにもなっている河原温の「I am Still Alive」が展示されている。

特に印象に残った作品は以下の3点だった。まず、ローマン・オンダック(スロバキア)の<イベント・ホライズン>(2016)。1本の樫の木を100枚に切断し、その年輪に応じて1917年から2016年までの歴史的な出来事を刻印した作品。会期中、1枚ずつ壁に打ち付けられて行くという仕掛けだ。

最初の1枚が「RUSSIAN REVOLUTION(ロシア革命)」だったのは皮肉なめぐりあわせか。

次いで、アンドレ・コマツ(ブラジル)の<失語症>(2022)。半透明の巨大なビニールシートで覆われた空間の中は迷路構造になっており、正に「不透明」な世界の姿を表現している。

3作目は、ミルク倉庫+ココナツ(日本)の<魂の錬成>(2022)。会場外の吹き抜け空間に建築の足場を組み、中を回遊できるようになっている。その天井からは雨水が滴(したた)り落ちて来る。作家は建物自体を呼吸器官、吹き抜け空間を肺と見立てた。現在の状況を俯瞰的に表現した「失語症」とは対照的に、我々の内なるものに関心を向けさせるインスタレーションだ。

どの作品も「いま」という時代の、あるいは今に至る時代の流れを表現して見ごたえ十分。しかし、愛知会場だけを見る限り、芸術祭として開催する内容なのだろうか、通常の展覧会でも良いのではないか、という疑問が湧く。だが、本芸術祭の意図は4会場を巡ることで、より理解が深まるのかもしれないと感じた。

本芸術祭で、私自身がむしろ感銘を受けたのは名古屋以外の3会場だった。いわゆるホワイトキューブ(美術館・展覧会施設)に閉ざされるのではなく、その土地の文脈に沿った展示が行われていたからだ。

まず、一宮会場。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のクライマックスとなる、幕府軍が上皇軍が対決した「承久の乱」の時に鎌倉方の軍議が行われたことで知られる町でもある。江戸時代中期より綿織物の生産が盛んとなり、毛織物の生産へと転換し現在では世界3大生産地と言われる。

一宮市役所ロビーに展示されているのは、眞田岳彦による<あいちNAUプロジェクト・白い維>(2022)。愛知県内各都市や美術館・博物館と連携して、県内の繊維の歴史について学んだ300人の参加者が羊毛をより合わせ、樹木のような造形をつくりあげた。

使われなくなった織物工場を会場にした塩田千春の<糸をたどって>(2022)は、塩田の分身とも言える赤い糸がまとわりつくことで、まるで自動織機が生命を吹き返したかのように感じられる。

次いで、有松会場。江戸初期に尾張藩によって開かれ、東海道沿いの町として栄えた。そこでつくられた有松絞(しぼり)は旅人の土産物として全国的に人気を博したという。

私が訪れた日は、町のお祭りの準備が行われていて、そこここで壮麗な山車を見ることができた。また、現代美術にも位置づけられている、いけばな草月流の作品が町中に展示され、祭りの前の気分を更に高揚させてくれた。芸術祭の会場は、いずれも江戸時代以来の由緒ある家屋が使われ、現代アーテイストの作品と共に、歴史ある建造物や庭園を楽しむことができる。

芸術祭の作品として特に感銘を受けたのは、旧加藤呉服店に展示されていた、国は異なっても「つながり」をテーマにした2つの作品だった。まず、イー・イラン(マレーシア)の<ティカ・レーベン(マットのリボン)>(2020)。ティカは、マレー語で編まれたマットを意味する。本作品は、隔たっている2つの島が浮かぶ海上を、全長54m のティカで橋のようにつなげるパフォーマンスだ。これによって、敵対関係にある民族同士の融和や、家父長制/植民地主義への抵抗をメッセージする。

同じ会場に展示されていたのは、宮田明日鹿の<有松手芸部>(2022)。名古屋市港区などで行われていた地域の手芸部を運営して来た宮田が、その取り組みを有松でも開催した。編み物やおしゃべりで生まれるコミュニティは、「人生を編む」ことを互いに学び合う場。会場には作品と共に、参加者のポートレートや言葉を収めたポストカード集も展示されていた。正に人生100年時代の人と人の繋がりへの示唆が込められていると大きな感動をおぼえた。ちなみに、我々が訪れた前日にNHKの番組でも取り上げられていたと、芸術祭を手伝うボランティアの方が教えてくださった。

有松は決して大きくない町だが、産業と文化が融合して息づいている。芸術祭目当てに訪れる観光客は、有松絞の魅力を知ることになりファンにもなることだろう。

そして、常滑会場である。平安時代から焼き物の産地として知られ、日本遺産にも認定された土地だ。会場となっているのは、昭和初期からの製陶所や廻船問屋などが並ぶ「やきもの散歩道」。先だって訪れた瀬戸内の男木島そっくりの、狭くうねる道沿いに各展示場を巡ることができる。最も強烈な印象を残す「作品」は、土管坂だろう。明治期の土管と昭和初期の焼酎瓶が左右の壁面に敷き詰められている、常滑の歴史が凝縮した短い坂だ。

それぞれの町には、産業を象徴するシンボルが、至る所にある。一宮の産業である織物工場を特徴づけるのは「のこぎり屋根」。作業がしやすいように内部を明るく照らすため、屋根の上にのこぎりの刃のような大きな採光面が設けられている。常滑には、製陶所の特徴的な煙突が、街の至るところにニョキニョキと生えている。のこぎり屋根も煙突も、ある時代の日本の産業や成長の象徴だった。

今年は、新潟で「大地の芸術祭」が、瀬戸内で「瀬戸内国際芸術祭」が、そして愛知で本芸術祭が開催される幸運な一年となった。現地を訪れる前は他の2つの芸術祭と比べて、その位置づけがいまひとつ理解できなかったが、4つの会場を訪れ「空間(タテ)」と「文脈(ヨコ)」の2つの視点でストーリーが編まれていることを感じた。

まず「空間(タテ)」としてのストーリー。名古屋会場では、世界中・古今東西のアート作品を通じて「グローバルの状況」を俯瞰的することが出来た。一方、一宮・有松・常滑会場ではそこに根づいて来た産業・文化や非西欧圏の作家たちによる作品を通じて「ローカルの視点」を体感することができた。

片や「文脈(ヨコ)」のストーリー。平安期に生まれた常滑の陶器や街並み、江戸初期に生まれた有松の町並みや文化、江戸中期に生まれた一宮の産業の歴史や街並みに触れることで、日本の産業の古代から近世、近代にいたる推移を辿ると共に、名古屋市ではそれらが行きついた現在の世界的状況を知ることができた。

惜しむらくは、前回からの反省があったのだろう、キュレーターによる説明文が「丁寧すぎる」ため、何やら授業を受けているような気分になったことだろうか。もっと作品自体から鑑賞者が感じるままに任せても良いと感じた。

私は愛知との関りが深い。三河地方にルーツを持ち、社会人生活の20年以上をトヨタ自動車と関わって来た。そして妻の実家は犬山市にある。特に、トヨタグループの歴史を再現した産業技術記念館設立プロジェクトは最も記憶に残る仕事だ。今回、近代工業の代表的な存在とも言える自動車以前からこの地を支えて来た産業の歴史に触れることが出来たのは、大きな学びとなった。犬山で生まれ育った妻も初めて有松や常滑を訪れたという。芸術祭は、土地の人たち自身が自分でも知らない土地の歴史を学ぶ機会にもなっている。

https://www.tcmit.org/

そして、この旅の最も大きな収穫は、常滑で探し求めて来た酒器(片口)を買い求めたことかもしれない。この片口から酒を注ぐたびに、愛知の旅の思い出が蘇ることだろう。

#国際芸術祭あいち2020  

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