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ふたつの人生を生きた人

去る6月3日、母のささやかな七回忌追善興行が浅草見番で行われた。母は、芸名を「志賀山葵(しがやまあおい)」と名乗り、日本舞踊最古の流派と言われる志賀山流の継承に尽力して来た。2016年に90歳でこの世を去ったが、お弟子様達が今回の企画をしてくださり、コロナなどの影響もあったことから1年遅れでの開催となった。

当日は、おそらく50名ほどの方々が、流派の代表曲の披露、母を偲ぶ対談、そして母のライフワークとも言えた公開レッスンの3部構成でのプログラムを楽しんでくださった。私と妻もご招待頂き、最前列で鑑賞させて頂いたが、会が行われた2時間半の間、さまざまな想いが駆け巡った。

志賀山流は、江戸元禄時代に始まる。歌舞伎界とも深いかかわりがあり、中でも先だって中村勘九郎が演じてドラマにもなった初代中村仲蔵が今日にいたる名作を生み出した。しかし、他の流派とは異なり花柳界とは縁をもたない方針や「ナンバ」と言われる難易度の高い体の使い方をすることなどから、衰退して行った。

母は、無形文化財としても良いほどの価値を持つ流派を、様々な形で遺そうと試みた。若い頃は、クラシックの曲を使用した創作を行なったり、壮年期にはお茶の水大学のモダンバレーを専門とされる先生と舞踊における身体表現の違いの共同研究をしたり、追善の会でも再現された他の流派に志賀山の振りを披露する公開レッスンといった実験を行なったりした。

そうした母の実験精神は、何処から来たのか。おそらく、その育ちにあるのではないかと思っている。母の実家は大阪の比較的大きな商家だったようだ。そこに婿養子として入った祖父が篤志家のような存在で、芸術家のパトロンをしていたり、朝鮮から移り住んで来た家族の支援をしたりしていたと聞く。織田作之助との親交もあり、その作品中にも祖父と思われる人物が登場する。そうした環境の中で、母の独特の感性も育まれて行ったのだろう。

子どもの頃から、舞台のある自宅でのお稽古の様子を垣間見たり、公演の手伝いなどもしたりして、舞踊家としての母の姿を、それなりに理解していたつもりだった。しかし、亡くなった時に弔問に来てくださった方々のお話を聞いているうちに、私は母の舞踊家としての人生を何も知らなかったのではないか、という感覚に襲われた。

母のポリシーは、舞踊の活動をしても、家庭のことは疎(おろそ)かにしないというものだった。昔気質の芸能関係者には、芸に専念して家庭を顧みないのが美学のような気風があったようだが、それを良しとはしなかったのだ。

私に見せていた顔は母としての顔であり、私は舞踊家としての母の人生のほんの一部しか知らなかったのかもしれない。

心理学に「ジョハリの窓」という概念がある。人間は対人関係において、「開かれた窓(自分も、相手もよく知っている領域)」「隠された窓(自分は知っているが、相手には知られていない領域)」「気づいていない窓(相手はよく知っているが、自分にはわからない領域)」「未知の窓(自分も相手も知らない領域)」の4つの領域を有している、という考え方だ。


(ジョハリの窓:リクルートマネジメントソリューションズ・サイトより)

これは子供と親の関係にも言えるのではないか。私に見せていた母としての顔は志賀山流のお弟子様達から見えない「隠された窓」だが、逆に舞踊関係者に見せていた母の顔は、私にとっては「気づいていない窓」のようなものだ。

では、母にとって舞踊が「仕事」かと言われればYesでありNoだった。一応報酬を得てはいたが、それは仕事というよりも人生そのものだった。つまり、母は、本名(家庭)での人生と舞踊家としての人生のふたつの人生を生きたのだと思う。

さて。7回忌追善興行は、私にとって誠に不思議な場だった。驚いたのは、社会人1年生の新人コピーライター時代の師匠のおひとりが、そこにいらっしゃったことだった。聞くと母のお弟子様の友人が、その方の奥様だったのだ。そこには、私が子供時代から可愛がってくださった母の一番弟子の方(母が13歳で始めて弟子をとった時、4歳で入門された)がいらっしゃったし、私の人生の折々でつながりのあった代々のお弟子様方がいらっしゃった。

まるでフェデリコ・フェリーニの映画のように、私の人生が凝縮されたような感覚をおぼえた。そして、知らなかった母の側面も含めて、私の感性も育まれて来たのだと感じた。

母とはある時期確執もあったし、私がしっかりしていれば、もっと幸せな形で人生の幕を閉じたのではないか・・・という後悔も残った。しかし亡くなって7年経ち、こうして50名もの方々が母の人生に遺したものを楽しんでくださる場に立ち合うことができ、ふたつの人生を生きた案外幸せな生涯だったのではないか、と思い始めている。

人生は巡るものなのかもしれない。



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