「海外ではみんな言ってるよ」ポリスのあさましさ
「まわりがこう言っている」「(海外のどこそこでは)みんなこう言っている」を評価基準に振りかざし、自身では対象を見ず我が評価とし、マウンティングしている高学歴属性が多い。
SNSでより目につくようになった存在。
見目のいい歴で入り込んだ現場でそれを振りかざすのが目につくのが特に文化系だ。
この方々にとって作品などの対象はどうでもいいのだろうと感じられることが多い。
困難な社会の中で文化の表現(アートとは私はいいたくない。ここでは)を通じて解決云々といい、それを語りたかったり、輸入したがったりする。しかしその「困難な」現場におりて手を動かさず、そのイベントの場にいたり、トークで御高説をお話しになられたりする。
すなわちその構造において自分が満たされればいいのだろう。こういう存在が中枢に入るといろいろ壊していくのだ。
壊していっても成果として、渡り鳥のように羽ばたいていくのだ。何も残らない。まるで外資企業ホッパーのたちの悪いののようだ。
それを跋扈させ、本来の発展が阻害されている状態こそ、未熟な状態であるということだろう。わが国で回りを見渡すといい。
日本は未熟と指弾する人が未熟だったという、悲しいおはなし。
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