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宇野維正先生考察第二十九段 三原勇希 × 田中宗一郎 POP LIFE: The Podcast 脚本家 坂元裕二回で坂元裕二氏を終始褒めつつ嫌いな脚本家、映画監督をディスり続ける宇野先生 + 宇野先生のYOASOBI炎上について個人的見解

今回の宇野維正先生考察はPOP LIFE: The Podcastの脚本家 坂元裕二氏特集の四回シリーズからの宇野先生の発言のピックアップです。終始、坂元裕二氏への愛が溢れ続けている宇野先生と嫌いな脚本家、映画監督をディスり続ける宇野先生です。では、始めていきます。また、一番最後に宇野先生のYOASOBIの炎上について私が思う事も書きました。


#131 編集者の24時間・365日:下田桃子さんの場合 Guests: 宇野維正、下田桃子(MOVIE WALKER PRESS)

『僕の一日は内緒なんで僕の話ではないですけど』
『僕の知り合いだと例えば鹿野淳さんとかがすごい坂元裕二ファンなんですけどタナソーさんと鹿野さんと僕と三原さんで坂元裕二さんの話をするってジェンダーバランスとか以前に年齢的に地獄だなと思ってふと僕の良く仕事してる人だと下田さんが坂元裕二さん好きだと思って声を掛けされて貰いました』
『下田さんとはFOXサーチライトの映画のパンフレットの仕事を一緒にやっていた』
『FOXサーチライトはディズニーに買収されたがディズニーにサーチライトというレーベルは残りこれからも一緒に仕事をやっていく感じ』
『下田さんが入った会社の当時の上司の編集長で現在の社長が僕の大学時代の一番仲の良い友人。その人から若いけど優秀な編集者が入ったと紹介されたのが下田さん』

『Tと言う雑誌で年末SixTONESの取材をした』

下田さん「さっきの上司から宇野ちゃんって言う俺の親友でめちゃくちゃ文章面白い奴いるから一緒に仕事すると勉強になると思うよと言われて紹介されたけど最初凄い怖いかも?と思って取材行ったら怖くなかったです」
『怖くないよ』三原さん「私も同じです。こわそうだと思ってた」

下田さん「今でも原稿とかは緩く、フワッと返してしまうとビシッと怒られます」
『文章に手を入れられた時は怒るよね』下田さん「句読点とかをちゃんとしてなかった時に怒られたのを今でも結構覚えてます」

『編集者がライターの文章に手を入れるのずっとあるし特に新人の編集者は多分やりがちだよね。それに慣れてるライターもいるのかも知れないけど俺は句読点一つ読み返したら一瞬で分かるので毎回ブチ切れます。絶対にダメです。こう直しましたと言う赤にして直すのは全然良いんですけどしれっとゲラで直された時には例外なくブチ切れてます』

「赤字は良いですけどしれっと直すのは新人ありがちでマジでありえないので』『年に三回ぐらい未だにありますよ』
『大手の出版社は雑誌の編集と単行本の編集者は別れてるけどと思うけど僕がロッキングオンとか宝島社とかは同じ人が両方やる。特に2000年代以降雑誌が売れなくなってから雑誌の編集者が雑誌の売上を立てると言う意味で編集者が年に3本単行本を作るみたいなノルマを課せられてただでさえ雑誌作るのに忙しいのにその合間に単行本を作る所があると中堅どころではあって、僕もそう言う出版社にいたんだけどとにかく雑誌作りと単行本作りは全然違うから僕は凄い逃げてた』
『単行本は書き手に対する信頼関係を本当にちゃんと結ばないといけないから』
『僕らも一緒に仕事をした新潮社のキムさんとか見てるとこう言う人が書籍をバコバコ作ってるんだなとか。全然違う人種だな思う』
僕の編集のスタイルもタナソーさんと同じデタラメ。凄く難しいのは単行本の編集者と雑誌の編集者は違うし更に下田さんと違うのはその変な会社にいたから自分も書き手だから。タナソーさんと僕がデタラメな理由は基本的にはそれ間違いなく。自分も書き手だからなんか締め切りとかを自分が書いてないのに人にせっついったりする。常に自己矛盾の中でデタラメにならざる得ない。のとあれ年に一回触るぐらいだけど今のロッキングオンとかロッキングオンジャパンとかって編集者の書く分量が減ってる。インタビューとかは流石に巻頭とかはやってる。それだとまともな会社は出来ない。まともな会社になるためには書き手と編集者を分けるのは大原則なんだよね。』
ただそう言うのが他のジャンルでもプロレス系の雑誌とかファミ通とか非常にあの音楽雑誌とか、特にロッキングオンは酷かったけど。音楽雑誌、プロレス雑誌、ゲーム雑誌とかの特定のジャンルだよね。編集者と書き手が一緒なのは。だからほとんど参考にならないと思うよ。編集者と書き手としては』
『タナソーさんはPOP LIFEのサインマガジンも編集者的な仕事をしてるけど僕はその面倒臭さからいかに逃げるか、フリーになってからいま13年目なんですけどようやく逃げられた。たまに下田さんとかとパンフを作る時に編集者っぽいこれ誰々に書いてもらおうとか無責任な立場で言ってる。タナソーさんは今でも責任を負ってるのでそこは偉いなと思いますよ』
『パンフは本当に特殊で当たる映画だからってパンフが売れるとは限らない。パンフが買われる率が異常に高い映画とかあってバードマンとかスリービルボードとか』
下田さん「ウェスアンダーソン系は売れるとからある」
『昔ってライブとかにもパンフレットあったんだよ。昔の来日公演とか今でもジャニーズとか安室ちゃんとラルクとか。パンフレット文化って日本の特有の文化』
下田さん「映画のパンフレットって日本にしかないんですよ」
『海外アーティストのライブのパンフレットがなくなったように映画のパンフレットも無くなるかもしれないしなくなっても良いかな?と思う事もあるけど下田さんみたいに映画雑誌よりもちゃんとパンフレットを作ってる人もいるしちゃんと文化として意外にしぶとい。未だに売れるパンフレットは売れるし』
『記念品としても側面もあるけど内容を知りたい時にちゃんと答えてくれる』
『ムーンライトとか公開から2年後にA24が本を出してその序文をフランクオーシャン書いたりみたいな事はあるけど基本的に海外にはパンフレットはないよね』
『最近は日本でもパンフレットない映画もあるよね』
『でも、書き手も編集者も映画ファンも同じ方向を向いてパンフレット文化を守ろうとしているんじゃないかな、とは思います』
『どんどん煩くなっているネタバレを気にしなくて良いって言うのはありますよね。僕はネタバレ自体は悪い事だとは思わないけど世の中圧力的にネタバレに厳しくなってる。特に無料メディアは。そうなると相対的にパンフレットの価値が上がってる。本来なら批評や評論はネタバレしないと出来ない訳だから』
『すべてのパンフレットが全てしっかり作ってる訳ではないけどね』
『でも、バードマンのパンフレット一番書いたのは俺だね』
『雑誌は表紙でいかにして表紙のファンダムに買わせるかにほとんどなってしまっている。編集者としても書き手としても辛い所だと思ってる』
『ライナーノーツもCDともになくなっていくんでしょうね』
『映画館を守ろうの中にはパンフを守ろうもあるよね』
『僕がシネビバン六本木というミニシアターで働いていた時に、映画館のデザインでパンフレットを統一したのはシネビバンが初めてだと思うけど全作品バックナンバーがあって結構過去の作品を買われていくお客様はいたね。20歳からここで働いてたから恐ろしいね。30年パンフレットの仕事してる向け』
『2008年にフリーになった時は紙とWEBの仕事量が9:1だったけど今は完全に逆転して1:9になった。しかも1の連載だけ』
『紙が0になるかも知れないと思って0になっても大丈夫なように仕事を持っていって今では0になっても大丈夫になったけど』
『僕は連載はGLOWと装苑、ムジカ。でも、ムジカの仕事はやめてる。もう良いかな?と思ってる。でも、年間ベストとか出さないと「買ったのに宇野さんのやつが載ってない」って言われる事があってそれが辛いんだよね』
『僕はマガジンハウスはブルータスとかハナコとか仕事してるけど』
『例えばananとかあからさまな表紙のファンダムに買わせようとするけどギリギリ、マガジン ハウスは雑誌のファンがいて表紙以外のところで定期読書がいる想定で作ってる』
『文芸誌はここ数年元気を取り戻した数少ない雑誌のジャンルだと言われてるんだよね、フェミニズムとかブラックカルチャーとか一番古いフォーマットの雑誌が一番新しい社会の動きに連動して作ってるのが若干ある。俺も書くけどまあちょっと眉唾ではあるよね。優秀な編集者がいるのは分かってるけど』
『蓮実重彦の最初で最後の新書 見るレッスンって言うのを買ったんだけど蓮実さんが山戸結希 監督ことを凄くディスるのよ。ユリイカは何で山戸結希を表紙にしたのか分からないとかやたらユリイカの表紙になる事が凄く権威のように書いていて。ユリイカは大根仁を表紙にするような堕落したメディアなのに。記事を書いた事あるけどギャラが驚く程安い。蓮実先生の世代ではまだ権威なんだっていうツッコミ所が素晴らしい本だけどある本で未だに雑誌が権威になってるし世代の悲しさを感じてしまったんだよね。お約束のディスを挟みながら。ディスは蓮実さんへじゃないよ』
『僕はカサブルータスとかイルデコとかに載ってる物は昔なたけえなこの椅子とかこの机とか思ってもさ。若い頃とかいつか買える気がしたけど今はそういう物欲を盛り立てるって言うのが成り立たなくなって来た。昔でも雑誌に載る物は高い物が多かったから買えなかったけどそれを社会が許容してたけど、欲望と結びついてたけどそこが崩壊しちゃったよね』
『タナソーさんが言うようにそもそも文芸誌なんて規模が狭いから雑誌の中では売れたって言う微々たるもんですよ。どんなに売れても。全然世の中に響いているかと言えば局所的な話でしかない。代わりになるのはWEBメディアしかないから頑張るしかないよね』
『俺が書き手として去年ぐらいから凄い意識的にやってるのは単行本の編集者と同じようにWEBメディアの編集者と付き合うように自分の方からするようにした』
『ルーティンで連載やって次号のネタは何ですか?とかレコード会社とか映画会社にこれをやってくださいってその時に編集者が宇野に書かせようとか、それよりも多いのはレコード会社、映画会社が僕が書いてるメディアだったら「宇野さんにお願い出来ないですかね?」と編集者が言って僕に来る仕事。そういうのをやってた訳じゃない。別にそれはやりますが基本的にはそういう仕事はなくなると思ってる』
『本を作る中で単行本を作る編集者って凄いなって思うようになって来た。自分がどういう書き手であるかを自分よりも分かってたりするから』
『そういう関係性をWEBメディアでも自分で作って下田さんとも「映画のことは監督に聞け」とかもやり始めたのも、本にするかどうかは分からないけど本にするつもりで書かないとダメだってな。メルカリでやってるやつもそうだけど』
『あれも本にするかどうかは別にして本の担当者ぐらいの気持ちで付き合っていかないとそれ以外の仕事はライターも編集者も自分とは関係ない仕事になっていくんだろうなと思ってる。それは編集者が書き手とかをあんまり真剣に考えてない気がするから。流れ作業の中でやっていくのは怖いなと。この流れ作業自体なくなるぞと』
『単純に宣伝予算があって宣伝予算を元にWEBメディアが動いてその予算持ってるところが俺を指名してくれるっていう。それはありがたい話だけど』
『それが今はnoteとかメディアが出来た。noteもいま色々言われてるけど。直で来るようになってる。だったから直で良いじゃん。メディアの意味ないじゃん。だから自分がその作品のnoteに書くとメディアが持続過給付金の電通みたいになってそれいらないじゃんって。だったら映画会社とかストリーミングサービスとか直で仕事をした方がみんかハッピーじゃんって事になるのが目に見えてるから』
『編集者としてじゃなくて書き手として企画を立ち上げる。何で俺の話をしてるかと言えばそれを下田さんとしてるから』

【寸評】

編集者時代の宇野先生の仕事に対する姿勢などを語っていて宇野先生研究にとっては良いエピソードでした。宇野先生と仕事をする若い編集者は大変そうです。相変わらずの大根仁ディスも来てます。


132 21世紀日本を代表する脚本家、坂元裕二 Guests: 宇野維正、下田桃子(MOVIE WALKER PRESS)



『三原さんの世代だとクドカンなんかスター脚本家でしたよね』
『僕は前のクールだと恋する妻たちとこの恋あたためますか?の2本観てしか観てない。厳選して観てますけどある時期までドラマを全部観てました』
『少なくとも初回はゴールデンタイムのドラマを全て観てた。二十歳ぐらいから30後半ぐらいまでずっと続けてきた』
『90年代ぐらいまではフジテレビとTBS以外のドラマは基本2流だった。特にドラマのTBSと言われていて70年代ぐらいまでは。北の国からとかが出て来るまではドラマといえばTBSだった。北の国からみたいなフジテレビが社運をかけてお金と時間を掛けて作ったエポックメイキングな出て来た事とトレンディドラマでフジテレビが頭角をあらわし90年代の半ばぐらいまではTBSとフジテレビとほかに明確な差があったけどそれ以降たまに日テレで良作を出したり。野島伸司が日テレで書いたりとか。以前は一流脚本家は日テレでは書かなかった。それとテレ朝は相棒みたいな高齢向けの長いシリーズで成功しテレ東は深夜枠からの実験的な物でという流れがありつつ、未だにTBSが強いけどどの局が飛び抜けてるって事もなくなった』
『なんで観てたかと言うとあれだけどここ数年はNetflixとかの海外のシリーズが観れるようになって来たからそっちを観るようになった。なんでこの10年はあんまり観てないけどエキスパート面されて貰うよ。その中で飛び抜けているのが坂元裕二さん。ダントツです。ナンバーツーはいません。それぐらい吐出した存在です』『NHKは朝ドラと大河ドラマあまちゃんとカーネーション以外みたことない。未だにリアルサウンド映画部と言う名ばかりのドラマでしかPVが稼げないのでないサイトで朝ドラとか未だに強いんですよ』
『NHKの連ドラは2回とか5回とか民放とクールの考え方が違うし。けど観てはいますよ。でもドラマと言う括りでNHKが抜けるのは朝ドラと大河ドラマを観てないから』
『渡辺あやさんも僕も特別な方です。でも彼女の名前を出さなかったのは本数が少ないと言うかいまほとんど書いてないので。彼女が書かなくなった理由は今のテレビドラマ。渡辺あやとNHK以外ほとんど組めないと言うのがいまのテレビドラマの大きな問題であって優秀な脚本家がなかなか書けない。僕が海外を観るようになったからだけじゃないこの10年日本のテレビドラマがしんどくなった。良いドラマの数は減ってないかも知れないけど平均値は減っている。テレビ局が経済的、経営的、製作費的にも娯楽王様から落ちてるって言うのも大きいと思う。お金が掛かってない。ゲームオブスローンズとかウォッチメンとか観てる目で言うと全然違う目で観ないと。テレビドラマなんですよね。テレビシリーズとかなかなか言いにくい』
『もっと言うと芸能事務所とか繋がりが余りにも強くなり過ぎて。キャスティングとか座組みの時点からしんどいな作品が増え始めたのが10年前ぐらいでこれからは芸能事務所の力が落ちていくから改善されていくのかも知れないけどそれが一番酷かったのは10年前』
『坂元裕二さんがなぜ特別かと言えば倉本聡さんとか山田太一さんのドラマがなぜ凄いかって話にも繋がるが。僕は全部観てます。2人は若い頃に地位を築き上げ、倉本聡さんなんかNHKととんでもない喧嘩をしたりして描きたい物しか書いてない。しかもキャスティング権も持ってる。書きたいものしか書かずキャスティング権も持ってる脚本家がなかなかなかなか現れないのがテレビドラマっていう特別なメディアで映画とか海外のテレビシリーズは監督やショウランナーが自分の書きたいものを書いてキャスティングもやっていく。それが我々の批評の対象している物。ポップカルチャーであり、アート。でもテレビドラマってあまりにもしがらみが強い物なので特別な作家が生まれるのはそこから抜けて出して特別な力を持つ作家。だから構造上の問題があってその後も北川悦吏子さんとか野島伸司さんとかスター脚本家はいてさっき三原さんが言ったクドカンとかその地位に近いけど。あと三谷幸喜さんとかその世代事に数人現れるけど。この辺の人たちはテイストの問題でそこまでのめり込めなかったけど。坂元裕二さんは連ドラ書くとしばらくお休みしてますけど坂元さんくらいですよね。書きたい事書いてる人は。でもその坂元さんもしがらみの中で何とかやってる。渡辺あやさんなんかはそこまでたどり着かないし妥協はしないから作れない。でも坂元裕二さんうまい感じの妥協の仕方を心得ている。』
『テレビドラマの世界が嫌になって書いてない時期があった』
『18歳でフジテレビのシナリオ大賞を取って東京ラブストーリーが23歳。そのあと二十歳の約束を書いたあとしばらく休む。その後6年後復活して2010年のMotherがターニングポイントではあったと本人も言ってる。でもその前も作品も好きなのいっぱいありますよね。太陽と海の教室とか私たちの教科書とかね。』
『私たちの教科書は向田邦子賞をとってる』
『業界内評価はそこからで明確に視聴者のレベルで坂元裕二が意識されたのはMotherとそれでも生きていく。この2作が坂元裕二が特別になっている理由ではある。その後は最高の離婚、ウーマン、問題のあるレストラン、いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう、カルテット、あのね。全部凄いよね』
『こういうと野木亜紀子さんはどうなんだ?って言われると思うけど僕と下田さんがいるんで坂元裕二信者の会になっちゃうよね』
『映画の世界における作家主義に触れる前に山田太一が最大の作家だった』
『映画とドラマと会うか言う異なったアートフォームはチャンネルを変えて観てる』
『たまに視聴率なんて気にしなくて良いと言う馬鹿なことを言う役者がいますがテレビドラマである以上視聴率を気にしないといけない明確な理由があるんですよ。脚本家はその責任を背負わざる負えない。10話の予定が8話になったりする』
『ドラマの脚本家は自分書いた脚本がどのように映像化されているのか一話観るまで分からない。それを観て脚本をまた書いていく』
『日本のドラマは脚本家が撮影と同時に書いていくかなり歪なアートフォーム』
『もちろん倉本聡さんとかは安らぎの里とか何百話書き終えてから撮影してます。それは逆に凄いけど』
『90年代以降は放送しながら書く人がほとんど』
『10年前に酷かったテレビドラマが紛いなりにもここ数年盛り上がってるように感じるのはソーシャルメディアとの相性が良くて応援しがいがあるから』
野木亜紀子さんがインタビューでおっしゃっていたのが視聴率が悪いとWEBのしょうもないメディアが役者を叩き始める。人気がもう下火だとか。そう言うことを避けるためにも全力で数字をとりにいかないといけないとおっしゃって、本当そうで』
本当にゴミみたいなWEBメディアが山のようにあってちょっと視聴率が悪くなっただけで叩かれるじゃないですか。過酷にはなってるけどソーシャルメディアとかWEBメディアの中でテレビドラマ盛り上がってるのは凄く分かる。相性が良くも悪くも良すぎるので。あんまり深入りはしないけどはっきり言って野木亜紀子さんのドラマはそこに最適化し過ぎてるので僕はドン引きながら観てる。ソーシャルメディア時代のドラマとしては優秀なのかも知れないけど。坂元裕二さんはそこと絶妙な距離を取ってる』
『語るべきissueみたいな物を使命感はあるとは思うけど色んな問題意識みたいな物をとにかく詰め込んで蹇々諤々して語られるみたいなドラマの作り方を意識的にやり過ぎてこの間の逃げ恥の新春スペシャルとか「俺はなにを見せられてるだ?」って言う。あそこには役者の演技はほとんどない。それは情報量の多さもそうだし語らなきゃいけないって言う。だからやっぱうーん、結局ディスってるな。坂元裕二さんはそことは一線を隠してる。けど凄く客観的に言って二大人気脚本家であるのは事実なんで』
『野木さん最初の逃げ恥のシリーズでも込めたい物はあったと思うけどそれご背景にあった物をもっと前に出して行くのが正解みたいになったのがこの4年間であれで。獣にならない私達とか、NHKでやったフェイクニュースとか。ご本人もそうかも知れないけど僕の基準の中で作家じゃないですね。野木さんは。ある種の優秀さはあるけど。まだ作家とは言えない。ニーズに応えてる感じがまだあるかな。今後やりたいことも作家として素晴らしい作品を作る事もあるかも知れないけど。映画の罪の声の僕は去年のワーストに近いですね。作家ではないかな』
『山田太一に戻ってしまうけどフィクションにこんなに面白いんだなって言う目覚め、だからストーリーですよ。だから脚本家重要ではあって。』
『海外のテレビドラマの中には映画を凌駕する撮影と編集の作品も沢山あるけど幸か不幸か日本ではその基準にあるテレビドラマを作ると誰も観ないので』
「一時期ハゲタカとかをやってた頃の大友さんとかは割と意識的に映画的な撮影と編集をやってたけど大友さん自体が監督になってしまったので映画監督になるためのステップとしてのNHKの社員でありNHKの演出だったんだなと言うのが明確に分かるので、となると撮影や編集は、もちろん並木道子さんとか良い演出家の方はいらっしゃいますし演習家の名前で見ることはあるけどやっぱりストーリーですよ』
『日本のドラマはアメリカやヨーロッパのテレビシリーズとは作り方が違うので』
『日本のドラマも面白い作品は未だに面白いよね。年に一本か二本』
『逃げ恥の新春スペシャルもそうだけどパンデミック、コロナをどう扱うのかがすげえ見せ所でリアルに起こってる事をリアルにやるって言うので上手くやってる物と上手くやれてない物が露骨に力量としてあらわれてしまう。海外よりもそういう意味では早い。日本にはコロナをフィクションにしてる作品っていっぱいある。恋する妻たちも最後はそうだったしそういう意味では海外のテレビシリーズにはまだない。年末にDeath to 2020がNetflixであったぐらい。その数ヶ月前から日本ではやってる。日本のテレビドラマがいかに特殊かって言う』
『野木さんのMIU404が一番早かったのかな?オリンピックのある東京とない東京のダブルエンディングで最後やったじゃないですか。あんなスピード感。そこは立派ですよ。野木さん全然ディスって訳でないけど作家として全然評価できないしあの人は作家なのかな?とは思いますけどそういう優秀さありますよね。チャレンジングだし』
『僕は山田太一、坂元裕二原理主義なんでそこによっちゃうけど独自の文体を持ってるかどうかですよね』
『不揃いの林檎たちはセリフ回しが独特。ウッチャンナンチャンがパロディにしたように。日常会話っぽいけど日常会話では決してあり得ないテレビドラマの会話とは全然違う』
『倉本聡さんも北の国からでの純くんのモノローグのようなや独特の文体がある』
『僕は花束みたいな恋をしたいオフィシャルライターでインタビューとかもしてるんですが』
『坂元裕二さんはそれでも生きて行くで文体が確立した。瑛太と満島ひかりが敬語で話す。口語として敬語で話。ある一般人がUstreamで話してるのを聴いてそれを丸々パクったと本人が言っている』


『僕は自分が好きな物はどうでも良いってよく言うけど坂元裕二さんも同じことを言っていた。でも僕は坂元裕二さんの影響で言ってる訳ではない。固有名詞に自分の好きな物を入れない。普通は野木亜紀子や大根仁のように固有名詞には自分の好きな物をいれる』


『坂元裕二さんは最高の離婚のでんぱ組を出すけど坂元裕二さんは別にでんぱ組が好きな訳ではない。観てる人は坂元裕二さんはでんぱ組が好きだと思わせる。そこを思わせても良い。そこのクールな感じが話してて「え?おれ自分と話してる?」って思う』
『坂元裕二さんの代弁者みたいになってるな。批評じゃねえなこれ』
『坂元裕二さんは自分で本当に思ってる事をセリフに書くのが嫌な方なんですよね。それは東京ラブストーリーの頃から一貫してる。東京ラブストーリーは赤名リカの話。リカは自分の事をほとんど言わない。他のトレンディドラマは自分の思ってる事を好きだ、嫌いだ、本当は好きだとなんでも言う。東京ラブストーリーの洗練は主要キャラクターが本心を話さない。セリフで本心を離さないというのが常にある。その反転として手紙がある。書き言葉でしか本心を話さない。一貫してる。それが坂元裕二の作家性なんですよ』
『愛の不時着だとキャラクターの思ってる事がモノローグで出てくる。なにをやりながら観てる事を前提に作ってるとは思うが。それをはねつけてる作ってるのは坂元裕二さんぐらいだと思う』
『坂元裕二さんはカルテットは17歳の特定の人に向けて書かれた作品だと言っている』
『坂元裕二さんはドラマの出演者は視聴者層に合わせて30代にしているが僕は常に10代、20代に向けて作品を書いている。それは一貫していると言っていた。優れた表現は基本的に10代、20代に向けて作ってる物じゃないと響かない』
『それが作家の仕事。視聴率が15%で2000万人に向けてものを物を書いてる作家は偉いけどそれは作家ではなく職人。作家と職人どっちが偉いかって言うのは職人のが偉いと価値観もあるとは思うけど僕がさっきから言ってる作家性はそう言う事』
『あとあまり語られないけど坂元裕二さんのドラマは海外で凄くリメイクされてる。言語が変わってもストーリーテラーとしてある種の普遍性を持ってるほぼほぼ唯一な人なんじゃないですか。最高の離婚は韓国でリメイクされて人気もある。われわれは韓国ドラマが人気があって韓国に抜かれたよねと言いたがるけど、ちゃんと逆もある。あと坂元裕二さんの日テレのウーマンとかマザーとかさらにストーリーテラーに特化した作品はトルコでリメイクされて人気がある。坂元裕二さんの色んな作家性がある中のストーリーテラーって面だけでもやっぱり現実的に吐出してるんじゃないですかね』
『その吐出したストーリーテラーを放送と同時に書いているのも凄いですよね。絶対、結末は決めずに書くって言ってたから』
『映画はそれが出来ないからずっとやってたけど。今回、久しぶりに映画の脚本を書いた。スヌーザーとかのパトロンでもあってリトルモアの孫さんと言う方が書いてくれ、書いてくれと口説いたのがキッカケだった』
『最近の坂元裕二さんの仕事のスタンスは断っても断っても頼んでくる人の仕事をしてるって感じ』
『バイアスとしては俺が坂元裕二さんを好き過ぎる。バイアスが掛かってる事は一般的なテレビドラマ好きな方はちょっと気に留めて頂ければと思います』

【寸評】

終始、坂元裕二さんの褒め続ける一方、現在、最大の人気脚本家である野木さんにはちょっと褒めつつも基本的には言いたい放題の宇野先生です。そして続く大根仁ディス。



#133 映画『花束みたいな恋をした』は奇跡? Guests: 宇野維正、下田桃子(MOVIE WALKER PRESS)



『僕とか下田さんは坂元裕二さんのファンだけどタナソーさんが坂元裕二さんを好きになるのかな?と思ったけどタナソーさんが『花束みたいな恋をした』を好きになったのは意外なんだけど』
『もともとタナソーさんって日本の芸能界を含むメインストリームのカルチャー疎いじゃないですか。単純な理由で無知ゆえの偏見があるのかな?と思ったのと日本のポップカルチャー、この場合がサブカルと言う言葉を使ってもいいと思うけどそこへの立脚した物への拒否反応もあるのかな?と思った。坂元裕二さんの作家のとしての本質に行く前にノイズにやられるんじゃないかな?と思った』
『東京ラブストーリーの「カンチセックスしよ。」は原作からあるセリフで坂元裕二さんは本当は使いたくなかったと言っていた』
『僕と下田さんは何度も映画のパンフレットに坂元裕二さんに寄稿をお願いしたけどやってもらった事ない』
『タナソーさんはあまちゃんとカルテットは観てたんだ。ミーハーだよね』
『この映画は2人の恋愛に無邪気に自分達に引き寄せて語る事が多いけどタナソーさんは全然違うね』
『ceroの高城さんを好きな脚本家が書いたら死ぬほど恥ずかしいと僕も思うのね。でも、僕は違うのを知ってるから』

『時代が時代からあの主役の2人はスヌーザー独自だしなんならPOP LIFEを聴いてるかも知れないよ』
タナソー「そうなのよ。自分の雑誌読者であったファンダムの恐らく6割はこういう彼らで」

『自分の好きな物はどうでも良いと言うのが共振しちゃうんだけどその一方で坂元裕二さんは嫌いなものは入れたくないと言っている』
『自分の趣味ではないけど嫌いではない、その微妙な感覚』
『固有名詞の過剰なまでの羅列はテレビドラマでやれない事をやっているのではないか。あと結局生きてる人間を描く時にその人が聴いてる物、着てる物、読んでる物を現す事が良い方なんじゃないか?と言う方法論が過剰に極まったんじゃないか。今回の映画の好きな音楽、読んでる本などなど1人の女性のインスタのストーリーから得てる情報だとパンフレットのインタビューで坂元裕二さんが言っている。』
『知らない女性のインスタのストーリーをストーカーのように見続けて主役の女性の人物像を作り上げてきた』
『人数も2、3人ぐらいしか見てないと言っていた』


『自分な好きな物の固有名詞を入れる大根仁的な前時代的なものではなく』


『今回の映画は坂元裕二さんにインタビューをしてるんで解説めいてしまうけど、今回のテーマは坂元裕二さんの言葉を借りると小説とかドラマってなんならかの障害とか課せ作る事で面白くなる。多くのラブストーリーはそうじゃないですか。それじゃなくてそれを全て取り払った時に恋愛それ自体が面白いという物を描きたかったらと語っている。』
『今回の2人はめちゃくちゃ恵まれてるわけではないけど過酷な環境にいる訳ではない。純度の高いラブストーリーを作りたかったんだと思う。』
『去年、坂元裕二さんは珍しくスイッチというコメディの二時間ドラマをやった。連ドラをしばらく休む中で違う事をやってるのはあるよね』
『僕はね、本当に三原さんとほぼ同じなんですよ』
『映画や音楽を好きな人と付き合った事はない。自分が知らない事を知ってる人を好きになる』

『この映画みたいな付き合い方をした事ないから逆に抵抗も感じない』
『この映画の主人公に近い年齢の人ほど観ると傷を抉られる感じはあるんじゃないか』


『(今のキラキラ青春映画やティーンムービーの70年代版が四畳半フォークカルチャーとしてリンクしていたと言うありがとう宇野先生の解説について)全然俺の世代じゃないんだよ。俺がこんなに詳しいのは映画を勉強してるからなんだよ』


『そういう映画の微妙なアップデート感が面白かったのはある』
『宣伝文句としては普段、邦画を観ない人に観てほしい洋画っぽい作品というのは分かるよ。70年代四畳半フォーク映画を更新しましたと言っても誰も来ないもん』
『生々しい話をすると二十歳から25歳ぐらいに付った相手。別にお互い嫌いになって別れる訳じゃないじゃないですか。やっぱり20代前半に付き合った相手は特別なのかな?みたいな感じはない?』
『坂元裕二さんは作家の自由を得てるようでいて基本スタッフの要望は聞くんですよ。倉本聡さんとか山田太一さんみたいに自分の意思を貫く人ではなく妥協点を見出すからこそ続けて作って来れたが映画はテレビドラマで妥協した部分をやり切った面もあるんだろうね』
『問題のあるレストランみたいな社会派の作品がむしろ異色だよね』
『20代前半で付き合ってそのまま結婚して幸せなカップルとかいるよね。凄いよね。考えられないよね』
『映画の中にGoogleマップが出てくるのは日本のGoogleの担当者が坂元裕二さんのファンだったから許可が降りた。結局の作家の自由の過去の作品なんですよ。もちろんスタッフの頑張りもだけど』
『坂元裕二さんは自分が脚本したドラマで検索のシーンで架空の検索エンジンが出てきてとにかくずっこけて今回は固有名詞を全部使いたいと思ったそう。これは日本のドラマ、映画で常に話してる問題で僕がメルカリマガジンでプロダクトプレイスメントの話をしてるのも実はそれが理由なんですけど日本はポップソングにも言えるけど固有名詞を入れない。許可を取るのがめんどくさいとの普遍性がなくなると勘違いしているから。本当は固有名詞を入れる事が普遍性なのに。ラップとかもそうじゃん。日本のポップス聴くと俳句みたいな季語しか入ってねえぞ、下手したら季語もないってないぞみたいな』
『そういうものに対してのアンチテーゼ』
『自分が好きな物はどうでも良いとか、日本の表現に固有名詞なさすぎと言う僕が常に言ってる事を全くそのままやっててファンの妄想ですけど他人とは思えないね』


『僕ぐらい自己愛が強いと基本自分に似てる人が好きなんだよね』


『恋愛の対象は趣味とか違う方が良いけど表現者はね。頭がおかしい奴が話してると思ってくれて良いので』
『坂元裕二さんでもカルテットの椎名林檎さんは坂元裕二さんが椎名林檎さんのファンで椎名林檎さんも坂元裕二さん好きみたいだね。あれはすごく幸福な主題歌。それぐらい幸福な関係が結べないなら実際の主題歌なんてほぼほぼない方が良いからさ』
『坂元裕二さんのシグニチャーはファミレス』
『優れた作品は偶然と必然の見分けがつかない。それはこの映画にもある。観る人に深読みさせてしまうのが優れた作品』
『カルテットの総合プロデューサーで今作の監督は土井監督。坂元裕二さんとの信頼関係もある。土井監督はつまらない作品もあるけどビリギャルは面白い。ビリギャルは有村架純さん。土井監督、坂元裕二さん、有村架純さんのこの座組みが奇跡的だと思ってるから。これを超える事はないだろうから今後は映画じゃなくてテレビドラマをやって欲しい』


【寸評】

宇野先生は自己愛が強そうと言われてますが本人も認めてるようですね。そしては俺は映画に詳しいという相変わらずの自信家ぶりが羨ましい限りです。

そして、坂元裕二さんは俺だと思ってる宇野先生。トラヴィススコットも俺だと思う発言をしています。

坂元裕二氏 ≒ 宇野維正先生 ≒ トラヴィススコット

という謎の式が浮かび上がりました。

そしてまたもや大根仁ディス。


#134 坂元裕二作品のどれのどこがどう凄い? Guests: 宇野維正、下田桃子(MOVIE WALKER PRESS)



『テレビシリーズはいつ放送されたかも重要。同じ時代の空気を吸いながら作られてるから』
『それでも生きていくは震災の後に作られている』
『好きなのは最高の離婚で作品で凄いと思うのはいつ恋』
『最高の離婚は観た時期もある。子供はいたけど結婚して数年経った時に放送されて、身につまされ系だった。あとウッディアレンぽい』
『LDHに占領される前の中目黒をキャプチャーしている』
『花束みたいな恋をしたも歩く映画』
『映画は動く物をいかにとらえるか』
『いつ恋がベストだと思うのは、自分の角度がどれだけあるのか不安になってくるけど、15分ぐらいあるファミレスの最後のシーンに代表されるドラマの演出における凄みを久々しに感じさせてくれた。やべえな凄え普通のこと言ってるな。』
『フジテレビドラマの一番凄いところ、フジテレビは演出力はかつてはトップだった。それを思い起こさせてくれる』
『漠然としててすいませんね。最近見直してないから』
『坂元裕二さんにとって特別なのは満島ひかりさんと有村架純さん』
『あの頃の真木よう子さん魅力的だったねえ。過去形になっちゃうけど』
『カルテットは嫌な言葉だけど坂元裕二さんが権威化した後の黄金の座組感があるけど最高の離婚は上り詰めてる感じがあった』
『最高の離婚って全員が魅力もキャリアもアップした凄い作品だと思いますね』
『有村架純さんの目の情報量は凄いよね』
『大竹しのぶさんにせよ、八千草薫さんにせよ、田中裕子さんにせよ大女優さんと臆する事なく組んでる。それが今結構欠けてるんですよ。特にティーンムービーなんて極端で親が出てこない、出てきてもモブキャラで演じてるのも名のある方ではない。ギャラの問題もあるしお仕事に対する向き合い方もあるし。特に名女優とされる』
『この間さ、なんかで記事が書いた時にビックリしたんですけど女優って言葉を全部勝手に変えられてて、ジェンダー的に問題があるって事だろうけど女優って全然蔑称じゃないですから。』
『最高の離婚は瑛太さんのキャラクターは坂元裕二自身を珍しく投影している。坂元裕二さん的なキャラクターがドラマの真ん中にいるのは坂元裕二ファンとして興奮ですよ』
『あの主人公を批判されて自分が否定されてるような気分になったと言っていた』
『最近テレビドラマってラブストーリー少ないですからね。職業物ばかりで』


『いつ恋の高畑充希さんの役が好きと言うかああいう人は知ってると言うか。高畑充希さんはあの頃までは良い女優だと思っていたけどなあ』
三原さん「今はダメなんですか?」
『作品に恵まれてないと僕は思いますよ』


作品に恵まれてないと言うと事務所のせいだと言われるけどこんな力のない事務所辞めればいいので、満島ひかりは事務所やめました』『作品に恵まれてないのは本人のせいです。これだけ芸能事務所の力が弱まってる中で作品にめぬてないの事務所のせいって役者はダメになるんです。ということを言いたい』『ハリウッド映画で一番映画観てるの役者ですよ。一番詳しいんですよ。何故なら誰と仕事するかで自分のキャリアが決まるから。だから監督と脚本家と役者が座組を作るんですよ。その仕事を怠ったといて日本のテレビドラマや映画はつまらないと言う役者はあなたたちがやるべき事をやってないからです。それにつきます』
『もっと言うと日本は良い役者結構います。だから本来やるべきだ。いきなり熱く語っちゃった』

『いつ恋の高畑充希の役が好きと言うか付き合ったことあるみたいな』
タナソー「俺もああいうタイプの女の子にガーッと来られたこと何度もあります」



『いつ恋の有村架純さんは俺なんか遠すぎてよくわかんないって感じだよね』
『高畑充希さんの役を好きと言ったのは他の女性は坂元裕二さんの作品はめんどくさそうな人が多い』
『僕はダメなんですよそう言う。世の中めんどくさくない女性なんていないって言うのは生きてて分かってるんですけど』
『いつ恋の有村架純さんの役が好きと言うのはタナソーさんのダメなところだろうなと思う』
『田中裕子さん上手すぎて怖いんだよな。あれでうち帰ったらジュリーいんのよ笑』
『カルテットの吉岡里帆さんは好きよ、もちろん』
『問題のあるレストランの高畑充希さんの好きだねそうだね』
三原さん「しょーもない話ですね笑」

『自分を投影する役最高の離婚の瑛太の役になっちゃう。理屈っぽいところとか蘊蓄を気付いたら言うところとか。ようはウッディアレンなんだけどさ。ウッディアレン映画のウッディアレン的な物は逃れられないとしてあるから。そういうと全然違うって言われるけど』
『タナソーさんはそれでも生きていくのサイコパスに自己投影してるんでしょ?笑』
『坂元裕二さんは書くのがどんどん遅くなってるらしいですよ。必要なページの倍以上書いてそこからカットして削ぎ落としていく、普通の脚本家より描く量が多い。あと50代になって明らかに集中力が減退してると言っていた、連ドラの放送しながら書くみたいなスタイルがもしかすると後数作しか出来ないのかな?と言う感覚がある』
『それとは別に書き留めておくと言う放送もあるけど』
『人物の履歴書を書いてセリフも倍書く。その作り方は手間も時間も掛かる』
『清原伽耶ちゃんは凄かったね。あのフレッシュな若い2人と並んだ時に有村さんと菅田さんの2人がくたびれて見える。それは2人の演技力が凄いんだけどあの対比があったおかげで救われたと坂元裕二さんは言っていた』
『俺からすればどっちも若いじゃんって感じだけど』
『坂元裕二さんの10代の作品も観てみたい気もするよね』
『20代、30代の人気俳優を並べただけみたいな映画はそれを作るのが好きな人が別にいるのであえてベテランと10代とかの物を観てみたい。10代に向けて作ってるのを10代で作って欲しい』
『anoneは2010年代のドラマで一番乗れなかった。ファンタジー要素がうまく乗れなかったのと日テレの坂元裕二ドラマよりフジやTBSのが好きだから。海外では日テレ坂元裕二ドラマが人気だからテイストの問題だと思うけど』


『もしご本人が聴いてたら俺の言ってる事が一番つまらないと思うんだよね、本人の言葉の代弁というか俺の言葉で翻訳してるだけと言うか。これを聴いてる人はそれなりな有益な話出来てるとは思うけど、ダメだね今日俺、勝手に成り切ったイタコみたいになってるから』


『坂元裕二さんは有村架純さんにはifの念が大きかったね。僕は未熟で有村架純さんを生かし切る本をなかなか書けないみたいな』
三原さん「えー!?」
『満島ひかりさんとは戦友みたいな所があると思うけど有村架純さんに関しては有村架純さんと仕事してる人は分かってくれると思うけど自分の人生経験では活かしきれないみたいな事を坂元裕二さんはおっしゃってた』

『また伝聞であれだけど』

三原さんって有村架純さん系ですよね。』
三原さん「申し訳ないですけど有村架純さんに似てると言われることがよくある」
『あれだよね、タヌキ系って言って良いですか?大丈夫ですね?』


『前に伊賀大介さんに取材したときに有村架純さんはイオンに売ってる服が似合うけど凄い女優だって話をしてた。』
『是枝さんの有村架純の撮休は彼女の魅力を出すのに肉薄してたと思う』
『女優って言葉使って良いと思うな俺は。最上な言葉だと思ってるから』

『僕は坂元さんはこう思ってるんじゃないかな?みたいな事しか言ってなくて自分の批評軸を出せず作品の前に完敗してる感じです』


『僕が喋れるのは坂元裕二さんぐらいだけどそれでもこんな感じになっちゃったな』
『緊急事態宣言が出た日に収録してるんですよ。夜興行映画がやってない状態で公開されるから是非映画を応援してあげてください』


【寸評】

宇野先生の高畑充希さんをはじめ日本の俳優陣への𠮟咤激励とディスの中間のような提言。真面目な話、そういう事を忖度せずに言うのが宇野先生のシグニチャーですよね。そこを素直に凄いと思います。


なんでもズバズバ言う宇野先生が最近YOASOBIについて言及して炎上してましたが、あの程度の発言で炎上するのか…という感じがしました。宇野先生的に言うならYOASOBIのファンダムの問題ですね。そしてTwitterというSNSの問題点だと思います。宇野先生が吉田豪氏を「SNSで火に油を注いで自分は傍観者のふりをしている」と批判してました「宇野を燃やしてやろう」という愉快犯もいたのではないでしょうか。

大根仁についてのディスに比べれば本当に些細な指摘だと思いますがこれらの発言が炎上することはないですし今回の高畑充希さんへの発言の方がよっぽど厳しい発言だと思います。

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個人的にこの発言にしいて問題があるとすればYOASOBIのファンダムと世間に対してぐらいで音楽ジャーナリストとしてYOASOBIに対しての発言としては特に問題ないのではないかと思います。これが許されない世の中になれば批評がなくなってしまう。もちろんYOASOBIは素晴らしいという意見も尊重されるべきですがそれだけしか言ってはいけない、厳しい批評がなくなればメディアは太鼓持ちだけしか許されなくなってしまう。それは芸術でも政治でもなんでも危険な状況です。宇野先生への批判の中に「アーティストでもない、音楽を作ってない奴が音楽を批判するな」という物もありましたがそれは「政治家以外は政治に口を出すな」という某与党幹事長の最悪な発言と同じだと思います。どんな物でも批判的に批評する立場の人がいて当然ですしその意見を封殺しようとするのは危険な行為です。今回の宇野先生のYOASOBIの批評が炎上すると言うのはちょっと腑に落ちないですね。納得出来なくてもそんな意見もあるんだな程度の認識にすべきだと思います。

例えば宇野先生の「東京の女の子、どうした?」発言はミソジニー的ですしマンスプレイニング的な発言なので問題がありこれを不快に思う方がいて炎上するのは理解出来るのですがこれと同じ感覚で音楽を少し否定的に発言しただけで炎上させるのは違うのはではないかと個人的には思います。







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