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【モテ技術】悲劇のヒロイン症候群を脱せよ

ということを最初の記事に書いたのは外でもない。

「私だけなんでこんなことになるんだ」

なんて思う人が多いから。

少し話は逸れるが

これはあくまでもnoteを書き始めるときに何を目的するんだって思う人も多いかもしれない。

周りには

”ビジネスで使ってます!”

みたいな人がめちゃくちゃ多かった。だから俺もやってみようって思った。

採算言うが

世の中はビジネスでしか成り立っていない。

そういう意味でのコンセプトは

「モテ技術」

とでも言っておくか。

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モテたいかどうかってこと=表現できているかってこと

これは圧倒的に自身の経験に委ねたことだが

大袈裟な話自分でもありがたいことに周りにいろんな人がいてくれて支えてもらっている。

それは自分自身が本当にクソだななんてもんじゃない。

もう

どうなってもいんじゃないか

って思えたときに何か壊れていくような感覚になったことがある。

全ての世の中が色がなくなっていく感覚

というか

逃げても逃げても

結局いずれ必ずつかまるんだな

ってわかったときだった。

前科ではないがぼくはいろんな責任から半年以上逃げ回っていたことがある

その都度

自分でもいつも感じていた感覚がある。

「なぜ誰も助けてくれないんだ」

ってことだった。過去の僕を知っている人ほど

できるんですね

とか

すごい経験してますね

とか

言ってくれるけど

事実がそうだったとしても全くもって意味があったかというと

なかった。

なぜか?

今そこに何もないからである。

そして

だれも助けてくれる人なんていないってことだ

厳密に言えばこれは語弊はあるかもしれないが

動かなければ助けてくれることもなければ助けようもない。

要は

悲劇のヒロインは助けられない

ってことなんだよ。

そう自分のことをそうおもった瞬間にそれは他人にも伝染する

ってことは簡単に言えば

あなたの隣も隣もその隣も

みんな悲劇のヒロインがいる

ってことだ。

だからこそ自分自身が表現しようとしていることが悲劇のヒロインであればあるほどあなたの周りからは人が離れていくわけで

結局主人公みたいなやつがゴミ同然だってことだ。

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悪をもって悪を制す

これは俺の中でもテーマでずっと掲げているのだが

悪のヒーローは仲間が多い

ということだ。

そう組織や仲間をつくるときは悪になることが絶対的に必要だってこと

言い換えるのであれば

足らないところを一緒に補えることを表現する

ってことなんだ。

結局これは自分が足らないことを認めていくこと意外に他ならない。

ヒロインだらけの世の中でヒロインをかっさらうくらいの気合の入った

になることで自分を表現していくのが大事だろう

そういう自分の落ち度に気付ける人が結局は

モテる人になるってことなんだよね。

今の時代にヒロインはいらねーんだよ

さっさと悲劇にヒロインをやめておくことだな。


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