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青に溶ける《下》短編小説

青に溶ける《上》はこちら

 アオがいなくなった俺の生活は、とても充実しているとは言い難かった。今思うと、当時はそれなりに楽しいと思ってはいたが、苛立ちもストレスも些細なことも全てアオへの暴力と暴言で発散していたおかげで、酷く暴力的なガキ大将になっていた。俺と同じくらい負けん気が強いか、ヘラヘラおどおどとした奴だけが残り、後は遠巻きに嫌な顔をするばかりだ。
 当然のように、選べる高校など無かったが、進学しないなら漁に出すと脅され、嫌々地元の底辺校として有名な高校へ入学した。親とは毎日の様に喧嘩し、小さな港町には暇を潰せる様なところもないので、学校へは毎日行っていた。不満はあったが、何かを変えようという程のものは無く、漠然とした日々。
 けれどそれも突然終わった。最近体調が悪い気はしていたが、酒にタバコに徹夜と、不健康な自覚はあったし、友達や親にもなんとなく言い出せないまま過ごしているうちに、突然倒れた。病院に入院し、告げられたのは絶望的な病名。
 そこからはもう地獄だ。こんなことで治るわけが無いと思えるほど副作用の辛い治療。素行が悪く手を焼いていた息子が余命わずかとなり、戸惑いを隠せもしない両親。暑苦しいありきたりな言葉を並べ立てる友人たちも、どんどん痩せ細っていく俺に怯えてそのうち来なくなった。髪は抜け落ち、体はどんどん肉が落ちて力もほとんど入らない。丸く落ち窪んだ昏い目が不気味で、そういえばアオの黒いのにたまに青色の光が射す目は綺麗だったと柄にも無いことを思ったりもした。

 母親以外ほとんど来なくなった病室のドアを開けたそいつを見た時、酷く嫌な予感がした。艶やかな黒髪に、健康的な肌。丸い黒色の目が病室の明かりにちらりと青く光った時、俺は叫び出したい程恐怖に駆られた。
「秀ちゃん」
 あの、嬉しいのか悲しいのかよく分からない声。首の後ろを撫でられた様な嫌な感じ。それは見違えるほど健康的になったアオだった。
 ガリガリで気持ち悪い、気味が悪いと否定し続けた相手が健康的な姿で現れたのに、今の自分は目も当てられ無い程に衰弱しきっている。こんなに屈辱的なことがあるのかと、俺は返事もできずに固まるだけだった。
「海に行こう」
 にこやかに笑いかけたアオは、変わり果てた俺のことなど気にもならないとばかりに当然の様にそう告げた。何を言っているんだ、と混乱する俺を他所にアオは「夜迎えに来るね」と告げて帰ってしまった。
 今の自分に外出許可が出るはずもない。そもそも夜に病院から出られるわけない。というか、加害者側の自分ですら散々だと思う程にいじめ抜かれていたというのに、何を思っているのか。
 そんな風に悶々としているうちに日が暮れ、消灯時間が過ぎ、もしかしてアオが現れたことすら夢だったのでは無いかと、うつらうつらしていると病室の窓がゆっくりと開かれた。
 驚き過ぎて固まった俺の前に当然の様に現れたアオは、有無も言わせずに俺を起こし、抵抗する暇も無く病院着から私服に着替えさせられた。そのまま抱える様に病院から連れ出され、重たいヘルメットを被せられた俺はアオのバイクの後ろに跨っていた。恐らくそんなにスピードは出ていないが、闘病で弱りきった俺に対して随分酷いことをする。もしかしてこれはあの日々の復讐なのでは無いかと思い始めた。

 海辺の町とは言っても、海水浴場なんてない港町だ。漁港の隅の岩場に連れて来られた俺は、いよいよアオに海に捨てられるんだと確信していた。どの道長く生きられる希望も無かった俺は、されるがままに引きずられるように海辺に座らされた。
 俺の確信を他所に、海に飛び込んだのはアオの方だった。もう何が何だか分からず投げやりな気持ちになった俺に、海から顔を上げたアオは聞いてもいない身の上話を始めた。その目は、深い青色に輝いていた。
 アオは生まれた時から両親はおらず、物心着く頃にはあの婆に「お前のせいで息子は死んだんだ」と言われていたらしい。施設に預けられたアオは、暫くして母方の親戚だという家族に引き取られて、打って変わって大事に育てられたという。その親戚曰く、アオは人魚だと。人魚は愛する人を海に引き込み、その体を食って子供を産む。アオもまた、父親の命を犠牲に生まれ、陸に戻ってきた母親にそれを告げられた婆が母親を殺し、アオ連れて山奥に引き篭もったらしい、と。
 そんな馬鹿みたいな話があるものか、と思いはしたがもうそれを態度に示す気力すらない。なんでそんな話をするためにわざわざ俺を連れ出したのかとやっとの思いで聞いた俺に、アオはゾッとする様な笑みを浮かべた。
「秀ちゃんは、運命だから」
 冷たい指に頬を撫でられ、身震いする。ああ、これは捕食者に対する本能的な恐怖だったんだと、恐怖に震える俺の片隅で冷静に合点がいった。
「人魚の肉は、不老不死の霊薬にもなるらしいんだよ」
 どっちが良い、と囁くアオの目は、深い深い青色に爛々と輝いていた。光に照らされる海面と光の届かない海底の境目は、きっとそんな色をしているのかもしれない。うっそりと細められた青色は、そのまま沈んで溶けてしまいそうな程に深かった。

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