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掲げたのは、石原莞爾でなかった?

満州国の建国が宣言される2週間ほど前の2月16日、中国の奉天で撮られた集合写真(「日蓮主義とはなんだったのか」大谷栄一 表紙より)。


本庄繁、板垣征四郎、石原莞爾など関東軍関係者が、張景恵など東三省の要人と一緒に納まっている。

説明されないと気がつかないかもしれない、右奥の方に「南無妙法蓮華経」と大書きされた垂れ幕がかかっている。とても印象的だ。

大谷氏は、この垂れ幕を掲げたのは石原莞爾だと考えている。「化城の昭和史」の作者、寺内大吉氏もこの写真に興味を抱き、同じように推測しているのだそうだ。漠然と、そんなもんかなと自分もそう思わされていた。

そうでない説をつい最近見つけて、新鮮な気持ちになっている。「戦後の田中智学論を糾す」によると、佐賀の日蓮宗代表、元石栄が本庄繁の許可を得て掲示したものだという。

写真中の幾人が法華経あるいは日蓮に影響を受けていたのだろう。例えば、板垣征四郎は、戦後、A級戦犯として裁かれ処刑されたが、時世の句の一つとして、「今はただ 妙法蓮華と 唱えつつ 鷲の峰へと いさみたつなり」を残した。法華経に思いを寄せていたことがうかがえる。

満州国建国は、どんな思いのもと、どんな経緯で進められたのだろう。あらためて興味がわいてきた。


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