世界を一つの家に


先日、ふいに子供の頃を思い出しました。

父親の仕事の関係で、幼稚園の年長、小学校1、2年生を宮崎市で過ごしました。市内の平和台公園というところに、週末よく連れて行ってもらいました。どんなことをして過ごしたか覚えてませんが、完全に週末のルーティーンだった気がします。

「宮崎市観光サイト」さん(https://www.miyazaki-city.tourism.or.jp/)から平和台公園の写真を拝借。

川

自然がとても綺麗なところですね。こんな風景、そういえば、あったかもなぁというくらいの記憶。

こちらはよく覚えてます。

はにわ

毎度毎度、はにわが癒しを与えてくれたので、飽きることなく連れて行かれてたのでしょうか。

もう一つ、覚えているのが、宮崎市名物のひとつ「平和の塔」。

平和の塔

(「天皇家の”ふるさと”日向をゆく」梅原猛 より)


高さ36.4mの塔は、子供の自分にひときわ大きく感じられました。

塔の下、四方に巨人が立っています。それぞれ、和魂(にぎみたま)・幸魂(さちみたま)・奇魂(くしみたま)・荒魂(あらみたま)というお名前だそう。毎週末、言葉こそ交わしませんが、確かに彼らと時間を共有していました。

塔の真正面に、縦に大きく、「八紘一宇」と刻まれています。意味を親から教わることもなく、当時はまったく目が向かなかったこの言葉を、ここ数日、反芻しています。

「八紘一宇」は、『日本書紀』にある神武天皇の建国の詔の一節「八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いへ)と為(せ)むこと、亦(また)可(よ)からずや」に由来するもので、もとは「八紘為宇(はっこういう)」。

1913年、国柱会という団体をつくった日蓮主義者、田中智学という人が、これをもとにより語呂のよい「八紘一宇(はっこういちう)」を造語して、世間に広く知られるようになりました。「世界をおおってひとつの家にする」という意味。

大戦中、戦意高揚のスローガンとして使われた負の側面を持つこの言葉は、1945年12月15日、GHQが日本政府に対して発した「神道指令」において、「大東亜戦争」とともに「軍国主義、過激ナル国家主義ト切リ離シ得ザル」語として公文書での使用を禁止されました。

平和の塔を支える基壇には、世界各地から運んできた切り石が使われています。それらは略奪品であるという見方があるようです。自分にとってこの塔は、よりそってくれた存在でした。略奪してきた石々の上に築かれた塔であるなら、それらが放つだろう負のエネルギーを感じとれない鈍感な子供だったのでしょうか。

田中は、法華経の真理にもとづく世界統一を説きましたが、それは、領土的統一ではないようです。田中の「日本国体の研究」に書かれている道義的世界統一に触れた文章には、うっとりさせられます。

道義的世界統一と侵略的世界統一 赤枠


日に何度か「八紘一宇」に思いを寄せるようになりました。手元にハンカチを必要としたこともあります。未来を見通すために、この言葉と向き合っていく必要があるように思えてきました。












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