「天皇とプロレタリア」を読んで

難しい本だ。骨格がつかめた感じがしたのは五読したあたりだったか。昭和4年に出版されて大ベストセラーになった同書は、学術書ではなくて庶民向け通俗的読み物だそうだが、どれだけの庶民が消化できたのだろうか。

今日、「国体」という言葉は死語かもしれない。どこかで出会ったとしても、漠然とそれは天皇制を指しているくらいにしか考えないのではないか。少なくとも自分はそうだった。

しかし、「日本に於ては、天皇最尊ではなく、国体最尊である。ー(中略)ー 国体の前には君主といへども服従したまふを以て原則とするのである」(P255、p256)と聞けば、では、国体とはどんなものか、知りたくなる。

一貫して、ありがたい「神ながらの道」を繰り返して、どんな社会をつくるべきかに触れない国体論者を批判している。日々の暮らしに精一杯で、神さまが集まる高天原の所在など考える余裕のない庶民は、国体を障害とさえ思ってしまっていた。本来、庶民の味方であるはずの国体を捉え直すべきだという。

明治維新、当時の国際情勢からやむを得ず、日本は資本主義制度を採用したが、発達するにつれ、有産階級と無産階級との生活差がはなはだしくなると、生活苦にあえぐ無産階級の人々は支配階級を憎み、無産階級を解放しようとする思想にひかれるようになる。マルキシストの本が飛ぶように売れた。

思想善導運動の予算をつけ、社会総出で国家思想、民族主義、道徳主義などを押し付けるが効果上がらず、政府は共産主義を弾圧するようになるが、貧しい中、必死で生きようとする要求から起こってくる国難思想を、目の前の社会秩序維持だけを考えて撲滅しようとするのは近視眼だと指摘する。国体主義者がお決まりの日本礼賛を繰り返し、高天原を眺めている一方で、マルキシストこそ、資本家の不当な富の壟断と無産階級の圧迫とを打破せんとする理想主義者だと、一面理解を示している。

国体主義者はマルキストを唯物的だと攻撃するが、人は食べなければ生存できないという当たり前のこと忘れている。物質のおかげで、はじめて精神的に生きられる。食うことは道徳問題でないような顔をしている道徳や倫理を捨てて、なまなましい生活の中に国体を把握すべきだと説く。

無産者の生活への根本脅威である資本主義の根源を君主制度だと理解したマルキシストたちの日本国体についての無知は正さざるを得ない。征服者であり人民の利害と対立する欧州各国の君主と日本の天皇は違う。人民の利害は即天皇の利害。もし、国民の中に、天皇神聖に対して邪想を持つ者が現れたなら、社会のどこかに欠陥があると考えて国民全体の大責任として反省すべき。天皇について正しい認識を持つことができれば、階級闘争のような西洋思想によらないで、また怨みをぶつける形をとらずに、国体の大義にもとづいて全無産階級一致協力の猛運動を起こして成功を勝ち得るのだと強調する。

資本主義は日本の国体とは全然別物。庶民に資本主義と国体を同一視させるかのように言行する資本家、同一視してしまう無産階級、資本家の利益擁護機関となっている為政者、いずれにも非難の矛先を向けている。

治安維持法が国体と私有財産制度を同列に扱った悪例だという説明にはハッとさせられた。

旧法の第一条は、「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲシリテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁固ニ処ス

なるほど、「国体ヲ変革」することと「私有財産制度ヲ否認」することが「又ハ」で連結され、同じ罪が割り当てられている。言われてみれば妙だ。歴史教科書や一般向け説明でこの角度からツッコミを入れているものがあるだろうか。

昭和3年改正の新法では、「国体ヲ変革」することを第一項、「私有財産制度ヲ否認」することを第二項にと分けられ、両者の刑に差が設けられた。旧法に比べて一歩前進としながら、まだブルジョア階級が神聖なる国体を自己防衛の道具として悪用する卑劣さが残っていると難じている。

もともと日本には君臣の二階級のみで、それ以外の中間階級は無かったのだという。すべての職業が神聖化されて、皇運扶翼の前に人々はまったく平等。資本家等が、天皇と庶民との中間階級的存在として、物質的勢力を襲断することは、反国体的。歴代天皇の諸勅語などを紹介しながら、矛盾を露呈している資本主義社会を精算して人格的共存共栄の社会組織をつくっていく方法を提示している。


著者、里見岸雄が同書を執筆したのは32歳のとき。昭和49年まで生きた。そんなに昔でもない。

その学究は国体の法的表現である憲法にも向かった。立命館大学で憲法学の教鞭を執っている。日本国憲法をどう見ていたのだろう。今後、もし憲法に向き合う機会があれば、氏の説を脇に置いて考えることはできない気がする。

「天皇とプロレタリア」解題より


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