名無し

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最近の記事

人は自分の出来ることは気にしないが、出来ないことには理由付けしたがる生き物だと思う。

    • マインドフルネスは根っからの失感情症には意味がないな。だって、やっている最中に何も感じないし。俺にとっては、ただ座っているだけの退屈な行為だ。飽きちゃう。

      • とある飲食店で

        今日、入った飲食店は店員を呼ぶボタンがありませんでした。メニューもテーブルに置いてなかったので、おろおろしていたら、店員の方がメニューを渡してくれました。そして、「ご注文がお決まりになりました頃にお伺いします」と言ったので、待っていました。が、店員の方が全然来ませんでした。待っている途中で自分で呼べということなのだなと理解して、呼ぼうとしたのですが、店員さんが全然フロアに来ませんでした。結局、注文までに十分くらいかかりました(料理はすぐ来ました)。 すぐに察することが出来な

        • 普通であれという呪い

          私の母は私が普通ではないことを許さなかった。 私の母の価値判断基準は普通であることであり、普通の人間である自分の子供(つまり、私)も普通の人間でなくてはならないと思っていたのだろう。 許されなかった。普通じゃないということを。 グズであることを許されなかった。算数・計算が苦手であることを許されなかった。分不相応な夢を語ることを許されなかった。出来ることは出来て当たり前という態度だった。 そんな感じで育ったので、未だに出来ることがあっても自分に自信は全然付かない。自分が

        人は自分の出来ることは気にしないが、出来ないことには理由付けしたがる生き物だと思う。

        • マインドフルネスは根っからの失感情症には意味がないな。だって、やっている最中に何も感じないし。俺にとっては、ただ座っているだけの退屈な行為だ。飽きちゃう。

        • とある飲食店で

        • 普通であれという呪い

          共感って何

          他の人がどう感じているかを考えるのが、認知的共感。それは分かるんだけど、他人の気持ちを理解するのにその人になりきって考える必要はあるのかは疑問だ。 私は他の人がこう感じているかもしれないと考える程度はできるけど、他人になりきっては考えられない。あくまでも、私という人間から見て、その人は何を考えているだろうかと考える。私が私以外の誰かだったらなんて想像できない。 私が考えるに認知的共感は2段階あるのではないかと思う。 一段階目 自分視点から見て、その人は何を感じているように推

          共感って何

          自称哲学的ゾンビ

          私はクオリアを持たぬ者、哲学的ゾンビなのではないかと思う。私は感じるということがないからだ。いつも意図的に考えている。瞑想しても、何の雑念も浮かばない。スイッチを入れた時だけ思考をし、それ以外の時は無だ。何かを感じるということがない。 私からすると、他人の方がよほどオートマチックに思考し、行動していると思う。 人間の意識は通常、無意識に考え続ける部分と意図的に考える部分の両輪で動いている。私には意図的に考える部分しかない。無意識に考え続ける部分を心と呼ぶのなら、私には心がない

          自称哲学的ゾンビ

          衝動性

          衝動性には二つの種類が存在すると私は思っている。未来志向の衝動性と現在志向の衝動性である。 私は現在志向の衝動性が強い。今のことしか考えておらず、未来のことは考えないで行動する。今が全てだ。 未来志向の衝動性は不安と関連していると思う。未来を憂うがあまり、先走ってしまうという感じ。もしくは、未来に期待するあまり、大きなリスクを取る行動を取ってしまう。 傍から見れば、同じようなものなのかもしれないが、その行動原理には大きな違いがある。

          マインドフルネス尺度 MAAS

          MAASとはマインドフルネスの度合いを調べる尺度のことだ。15問からなるテストで最後に点数を問題数の15で割る。 4.38ポイント前後が瞑想の熟達者だそうだ。 私のスコアは5.33ポイントだ。 私は生得的高マインドフルネス特性を持つ者だ。 やたらと持て囃されることの多いマインドフルネスの負の面をここに書き記す。あくまで私の場合なのであしからず。 ・今しか分からない 私の時間感覚は今しかない。過去も未来も存在することは分かるが、それだけだ。 私は自分が過去に抱いた気持ち・

          マインドフルネス尺度 MAAS

          ブレーキ

          老人の爆走事故ニュース見てて、思った。ブレーキとアクセルを同時に踏めば、車は止まるんじゃない?

          ブレーキ

          今日、思ったこと

          芸術表現はコミュニケーションなのではないかということ。 鑑賞者に、 「私は世界をこう解釈しています。あなたは?」と問いかけている。 自分らしさは自分自身で分かるものではないということ。

          今日、思ったこと

          映画

          私は自分が観客席に座っていて、もう一人の自分が動いている映画を見ているような気分で生きている。 映画の自分に何かが起きていても、こちらには何の関係もないような気がしてしまう。 自分にとって重要であるはずのことも他人事にしか思えない。

          SDAM

          私はSDAMと呼ばれている脳現象を持っている。SDAMは自分視点での人生の思い出が極端にないという現象だ。 SDAM持ちの人間は通常、人類が備えているはずの心的時間旅行という機能が上手く働いてないのだと私は考えている。この機能はエピソード記憶を利用して行われる。この機能が正常に働くことで、自分の未来を仔細に空想したり、過去を再体験出来るのだ。 私はそれが出来ない。自分の未来を脳内でリアルにイメージできないし、過去の思い出に浸れない。というか、思い出というものが分からない。私

          今日の日記

          9時過ぎに起床。朝飯はきゅうりを載せた食パン。 録画していた題名のない音楽会を見る。夏らしい爽やかさがある曲が演奏されていて、良かった。 昼になっても昼食は食べず、14時に家を車で出発。 上野桜木にて、墓参り。帰りにバーミヤンで遅い昼食&夕食。食べたのは豚の生姜焼きが上に乗ったチャーハン&半ラーメン餃子セット。その後、帰宅。

          今日の日記

          人間を含む社会の考察

           「動物以下」という言葉が使われていることからも分かるように、人間は他の動物とは一線を画している高等な存在であると思いがちだ。 が、人間も動物の一種に過ぎない。理性というナビゲーターを搭載しているか、いないかの違いである。  地球は大きな動物園で、人間もそこで暮らしている。ただ、通常の動物園と違う点がある。それは人間社会の檻は鉄ではなく、常識で出来た法律という点である。  家族は小さな群れであり、社会は大きな群れである。善悪の価値観はなぜ存在するかというと、群れの統率を守るた

          人間を含む社会の考察

          性格テストはある意味では正確

          自分はこれまで数多の性格テストを受けてきた。 その個人的帰結として思うのが、性格テストは自分がどのように自分を見ているのかを測っているだけだということだ。あくまで主観的なモノであり、実態に即していない。実際の性格ではなく、個人的評価に過ぎない。紙面上での回答と行動との相関関係は0.2〜0.3程度らしいので、ほとんど行動には反映されていない。つまり、実際の姿と本人が認識している自己像には大きな隔たりがあることが分かる。

          性格テストはある意味では正確

          異世界幽霊

          死者も夢を見るのだろうか。 夢とはパラレルワールドに行くための交通手段。 こちらの世界に現れる幽霊という存在は、あちらの世界で死者が夢を見ている間の状態と考えても面白い。

          異世界幽霊