崖の登り方を知っているというストレングス

学生から社会人まで、なんの挫折もなく線路を作って乗りこなせる人にはもうなれないと諦めた

諦めたからといって社会人そのものを諦めたなんてことはない

長年の時間とエネルギーをかけて作った線路はいとも簡単に崩れるということを知っている

線路が崩れ崖底に落ちかけている者へ、手を差し伸べる人はいても、一緒に落ちてくれる人はそうそういないということも知っている
世の中、一番大切なのは自分の命と生活であるよ

絶望を何度もみて、聞いて、感じたけれど
生活自体には絶望していなくて。

崖底についた者でないと、崖の登り方はわからない。崖の登り方は難しく、実際に体験しないと見つけられないような藪の中にあることがほとんど。

崖の上に戻れた時、昔の自分のように崖底に落ちそうになっている人間がいたとする。その時手を差し伸べるフリをするだけではなく、119にかけて支援の輪を広げるキッカケとなれるだろう。

(わたしは経験主義の考え方が嫌だった。それは、新社会人の権利が会社においてすごく弱かったからである。何をするにも上の人から順番。夏休みなんて取れなかった。有給も、体調不良で休んだ時に「賞与の判定に役立つからね」なんて言葉で全部使われた。だから、自分の権利が欲しかった。そのためには経験なんてくそくらえで、自分の知識だけで勝負するしかないと思っていた。学生時代そんなに勉強してなかったので、必死に図書館に通っていろんな本を読み漁った。それでも無理で、仕事を休まざるを得なくなった時、知識だけじゃ強大すぎる敵には正攻法で勝てないことに気づいた。そこでの絶望から救ってくれたのは、『自分の挫折経験を次に活かす』という方法での自己肯定だった。)

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