アトロクに投稿した『STAND BY ME ドラえもん 2』の感想

採用されなかったので、供養として残しておきます。

最初と最後の「いつも楽しく拝聴うんぬん」とかは削っております。
以下本文

 内容については、しずかちゃんの扱いを含め多くの問題提起がなされていると思います。そこで、私はなぜこの映画がこれほどの不満を集めているのかについて書いてみます。
 端的に言って、それは製作者がドラえもんに対してリスペクトや面白さを感じていないからです。

 パンフレットのCHAPTER.1「ORIGINAL AUTHOR & STAFF」のコメントを引用します。
エグゼクティブプロデューサー:梅沢道彦
(略)
前作『STAND BY ME ドラえもん』を企画するにあたり、(略)
昔、『ドラえもん』を大好きだった大人たちに再び劇場へ足を運んでもらえるのか・・・・・。そこで出した結論がビジュアルを変えて3DCGという表現方法にチャレンジするということでした。そうすればドラえもんの卒業生達が、子供の頃、大好きだった藤子・F・不二雄先生の世界を楽しめるのではないかと考えました。

 これは、漫画やアニメという表現手法=原作とアニメ版の否定としか読むことが出来ません。漫画やアニメをリスペクトしていないのに、なぜこの人達はドラえもんを映画にしようと考えたのでしょうか。

 続けてCHAPTER.2「DIRECTORS」における八木竜一監督と山崎貴脚本・共同監督の対談から引用します。
山崎:(略)『ドラえもん』の名作と言われるエピソードは、1作目でほとんど使わせてもらっていたので

 信じられないほど不快な発言に感じるのは私だけでしょうか。
 ドラえもんを名作足らしめているエピソードは、前作で使われているエピソードばかりなのでしょうか。
 断言しますが、全くそんなことはありません。
 そもそも、ドラえもんは非常に多ジャンルを内包した作品であり、決して”泣かせる”という面だけで名作になっているわけではありません。
 SFやホラーなど、ドラえもんには多くの名作エピソードがあります。
 私が好きなドラえもんは、ゲラゲラ笑ったり、心の底から震え上がったり、ドキドキワクワクの冒険だったり、多くのバリエーションがあります。
 しかし、この人は、全くそんなことには興味がないのです。この人達の興味は、せいぜいが”泣かせる”という機能だけなのです。

 ドラえもんはハッキリとポンコツロボットというキャラクターです。
 それはドラミがしっかり者で優秀であるという対比を考えれば間違いないことですが、この人たちは便利なお助けロボット程度にしか考えていないから
CHAPTER.1「ORIGINAL AUTHOR & STAFF」エグゼクティブプロデューサー:阿部秀司 コメント引用
どんなに苦境に立たされても『ドラえもん』が解決の糸口を必ず見つけてくれる。
 というような発言が出てくるわけです。

 本当に助けてほしいのは、こんな不快な映画を見せられて、心の底から疲弊した私の方です。

以下不満を列挙します。
 『おばあちゃんのおもいで』を映画の縦軸にするなら、「あんたのおよめさんを、ひと目見たいねぇ」というセリフは絶対に変えるべきでした。
 なぜなら、のび太の成長した姿が見たいという願望から、急にお嫁さんへと興味の対象が変わるからです。
 原作ではこのセリフである理由があります。それは、このセリフをフリとして、現代に戻ったのび太がしずかちゃんに今すぐ結婚してくれと頼むというオチになっているからです。ある種のギャグのフリだから、違和感を抱く前にオチるから、原作では問題となりませんでした。
 しかし、今作においてはここからウェットに物語が動くため、おばあちゃんが急にのび太の成長からのび太の嫁に興味が移ることに違和感を拭えません。

 タイムマシン、およびタイムトラベルの納得のできなさ
 たとえ話として、14時に未来を出発して、14時5分に戻ってくれば、5分しか時間は進んでいないんだ。というような話が出てきます。
 だったら、なぜ13時に戻らないのか。
 あの段階においては「たずね人ステッキ」によって大人のび太を探すということが目標です。14時5分に帰ってきても、そこから更に大人のび太を探す時間が必要になります。ならば、探す時間を確保するために1時間なり2時間なり前に戻るべきではないでしょうか。
 そもそも、大人のび太がいないとなった段階で、大人のび太が家を出た時間にタイムトラベルしなおすことくらい、誰だって思いつきます。
 八木監督と山崎共同監督はタマシイム・マシンのくだりなど対談で自画自賛していらっしゃいますが、全く脚本上納得できません

 STAND BY ME ドラえもんというタイトル
 不快です。
 なぜ不快か、それは側にいるということだけが”良きこと”として扱われているということがタイトルにあらわれているからです。
 結婚式のスピーチでは小学校の担任がスピーチを行っています。招待客も大半は見たことある=家族と小学校の知り合いです。
 そういった人間関係の狭さが非常に閉じた印象を与えるので不快です。
 しかし、この製作者達はそれを良きこととして描きたいのですよね?だってSTAND BY MEなのですから。
 そして、そのぬるま湯のような環境でしずかちゃんのように無限に自分を受容してくれる存在と結婚することが幸せなのですよね?
 私にとっては心底不快です。

 八木竜一監督と山崎貴共同監督がのぶ代期ドラえもんを見たことがあるのか疑問です。
 対談において、どこでもドアが2つ出てくるアイディア(入り口のすぐ近くに出口が設定されているため、1画面にどこでもドアが2つあるように見える状態)について自画自賛していらっしゃいます。しかし、のぶ代ドラを見たことある人なら誰でも、エピソードタイトルのシーンで一つの画面にどこでもドアが2つ出てきて、それを覗き込んだドラえもんがこちらに手をふるシーンを見たことがあるはずです。

どこまで書いても不満が尽きませんが、きっと他のメールにも不満は指摘されていると思うので、ここでやめておきます。

最後になりましたが、怒りに任せて長文乱文をしたため、スタッフの皆様、宇多丸師匠のお手を煩わせてしまいました。失礼いたしました。

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