病的なほどの連絡不精①

以前はそこまでではなかったように思う。
友人・知人・恋人・家族・職場からの連絡はその日中に返したり、それなりに連絡はきちんとするようにしていた。
でも恐らくそれらは全て「自分に負荷をかけながらの維持」だったのでは、と今になって感じる。

現代では半数の人々がLINEやSNSをしているだろう。
もれなく私もその1人である。
それはスマートフォンの普及に伴い、当たり前に在るものとなった。

周りはガラケーからスマホに変えたら即LINEアプリを入れるのが普通のようであった。
ガラケーユーザーであった当時、知識としてはLINEがどのような物であるかは私も認知しており、少し面倒臭そうだな、という印象がそもそもあったのでようやく重い腰を上げLINEを入れたのは、スマホに変えてから1年半経ってからだった。
それも複数の友人に「LINE入れてよ」と言われ続け、渋々入れたという流れで。

実際LINEは便利だと思う(メールもほぼ似たようなものだけど)。
相槌ならスタンプだけでも済ませられるなどの利点もある。
ただ、既読未読が分かるのは少し嫌だなと当時はとても気にしてしまった。
既読だとメッセージを読んだのに返信しないのは相手に対して申し訳ないかな、という気持ちになりがちなのが人間というもので。
今でこそ先にメッセージを読んで、ゆっくり返信出来るタイミングで変えそう、という感覚に落ち着いたけれど。
たぶんこれが嫌だと思う人も少なからず居ると思う。
所謂既読スルーというもの。
一時的でも返信を放置されるのを嫌がる人は嫌がるし、気にする人は気にするだろう。

世間でも何年か前に問題になっていた記憶が。
既読スルーをしたことからのいじめや、LINEの通知&返信にライフスタイルが固められてゆっくりお風呂に入ることも出来なくなる若者が増えているとニュースで見たことがある。
 
なんとも窮屈な生き方である。
ある意味現代病のような感じなのかな。
相手の顔色を読みがちな日本国独自の感覚もある気がするけれど。
しかしそれが良いか悪いかは本人の捉え方次第だと思うし、本人がそれで良ければ他人が口出しするものではない。

話は逸れるが、スマホに変えて良かったと思うことはそれなりにある。
寝転びながらでもネットで手軽に調べ物が出来るようになったのはとても有難い。
手元に置いた状態で料理のレシピを見れたりするし。ゲームも然り。
毎日パソコンを起動しなくて済むのは楽である。

私はパソコンを滅多に触らなくなってライフスタイルも少し変わった。
決まったメンバーでなんとなく音声で繋がってなんとなく思ったことを話し、なんとなく夜更かしをすることが多かった「Skype」というものから完全に離脱したのだ。
アプリでもSkypeは出来るようになったらしいけれど(今もそのアプリがあるのかはわからない)今は全く開いていないし、何ならパスワードも忘れてしまったのでもう今後Skypeをすることは無いだろう。
Skypeを通じて知り合った人とは今も友人として繋がりがある人も居れば、完全に連絡を絶った人も居る。

Skypeというものは、通話やチャット相手に依存しやすいツールだと思う。
だからこそ接する相手に近付きすぎて疲弊してしまうことがあったり、疑心暗鬼になったりしがちなのだ(あくまで私個人の感想)。
ただでさえ苦手な人間関係の構築をリアルを超えてネットでも悩むことが馬鹿らしくなった。
深く依存されることに怖さを感じたのも正直ある。
よってたかって一人の人を心が壊れるまで集中的に叩きのめすいい歳の大人たちも居て、このような空間に居続けたらおかしくなる、と察知したのが人との適切な距離を保つ私なりの一つのステップだったように今思う。

そこから何年もかけて物理的にも心理的にも様々なものを断捨離し、ライフスタイルも人間関係もシンプル化したのが今の日々である。

~その②に続く~

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