【ガチヨタ】継続は力なりとは

なんかね、20日毎日なにかしら書いているらしいんですわ。
人生の中の20日なんてね、ほんの少しの期間ですよ、例えるまでもないですわ、一瞬なんですよ。
毎日何かをし続けるってことの難しさに今直面してます。
僕の場合は雑文を書くことですね。
職業的な物書きをしている中で、誰かに頼まれたものを書くっていうのと、自分が感じたものを文字に起こすことっていうのは似ているようで全然違うんですよね。
僕の場合はそれに気づくのに20日かかったってだけで。

僕はかなり内向的な人間で、毎日毎日特になにも決めずにつらつら書いていると、書きたいものが無くなってくるんですよ。
だからと言って、辞めたいわけじゃない。そこが難しいんですよね。
2,3日思いついてやっただけなら、まあ忘れられますよ。でも中途半端になりがちな今だからこそ、形にしたいなという気持ちも出てくるわけで。
とはいえ、家で仕事しているだけじゃ限界があるわけですよ。
じゃあ外に出ればいいんじゃね?って。
そういうわけでもないのが難しいんだよなこれが。
良いバランスを探したくはあるのだけれど、そもそもそこでバランスをとれるのかよくわからない。

タイトルに挙げたみたいに、とりあえず毎日なにかしらを書いていれば、気づくことや他に活かせることがあるんじゃないかと思って始めたこのノートですが、いかんせん全てが難しい。
ネタを考えるところから形にすること、それを他人に読んでもらうこと。
そのすべてがです。
難しいったらありゃしない。
仕事でやるならまた別ですよ?仕事としてやりますし。

僕いつかの話で、「面白い人間の定義」の話を挙げたんですが、ある種ああいうものって自分の「ギリギリマシな部分」を言葉にしただけなんですよ。
歪んだ自己肯定を他人に当てはめているに過ぎないんですよね。
まあ類は友を呼ぶという言葉を僕は信じているので、そういう部分が似通っているのであれば、仲良くできると思って人付き合いをしています。
そんな認知の歪みをフリーな文章という形で表現したらどうなるのかっていうのもこのノートのテーマでもあります。

結局雑文が積み重なって、新しく読む人がもしいたとして、テキトーに開いたページが面白いと感じなければ、それはもうその人にとって、面白くない雑文集だと思うんですよ。
というか僕がそういう判断をしてしまう人間なので。

とはいえ、毎日「今日は最高傑作だ!」っていうテンションで書けないもんなんですよ。
でも毎日書いてしまっているだけに変えるのもなんかむかつく、だから時たまこういうガチヨタ以外の好きなものの話も書く。
本来逆であるべきだとは思うんですけど、カロリー高いんですよね、好きなものを恥ずかしくないぐらいにまとめるのって。



6月2日~
なんか下書きに置いてた雑文があったので、結論まで筆を走らせようと思って読み返したはいいものの、堅苦しすぎてキッツいわ。
こんときの俺どんだけネタなくなってたんって感じ。

タイトルだけ見て今の印象で続きを書いていこうと思う。

継続するということはただそれだけでとてつもないエネルギーが必要な作業だ。
労働、趣味なんでもいい。
これ、と決めたことをただひたむきにこなしつづけ、習慣になるまで続けるということはとてつもなく途方もない作業だ。

人間の体というのはよくできているもので、「恒常性」というものが備わっているらしい。
今の状態を維持しようとし続け、そうでない状態になったときに戻そうとする性質だそうだ。
睡眠サイクルや免疫などのあまり意識の及ばないものがその対象となるらしい。
むしろ、この恒常性の壁を破ったときに、その行為は習慣となるのだ。
例えば、毎日15分早く起きて新聞を読んでから仕事行くのを目標としよう。
はじめは、朝の貴重な15分を無駄にすまい、と猛烈な眠気と戦うこととなるだろう。
だが、その生活を数週間でも続けてみよう。
気づけば無意識のうちに郵便受けまで新聞を取りに行く習慣ができあがるだろう。

誰も、変化など望んではいない。
しかし、思い立ったことを無駄にするのも少し勿体なさがあるだろう。
もし、自分の恒常性を打ち破りたいのであれば、無心にそれを続けるのが一番だろう。

あいにく、僕の恒常性は自堕落を固めたようなものなので、しばらくはそんな生活が続きそうだが。


またnote習慣化したいなと思ったけど、恒常性の壁は厚そうだから、気が向いたときにちょくちょく書いていこうかなって感じです。
気が向いたら読んでネ。


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