風だか雨だか知らねえが

希死念慮

希死念慮は、生きたくないと考えたり、死ぬことを想像したりすることである。 自殺念慮はより積極的なものを指し、自殺の準備や計画の策定が含まれる。 本項では便宜上、希死念慮を自殺念慮も含む語とする。 希死念慮を持っているほとんどの人は自殺企図に至らないが、希死念慮は自殺のリスクファクターと考えられている。 wikipediaより

昔から胸がキシキシするときがある。
それに名前がついているのを知ったのは半生を過ぎたころだった。
油の切れたねじまき人形みたいに、音を立てながらギリギリ痛むんだ。
自分をカテゴライズするつもりは甚だないけれど、どこかの油は切れたまま生きてきてしまっているのかもしれない。
キシキシ。

最近もっぱら元気がなかったが、なんの脈絡も無く稲妻に撃たれたように胸のつっかえが取れた。
自然に湧き出てきたもので洗い流されたのか、それとも見えない誰かが油をさしてねじをまいてくれたのかもしれない。
少なくとも朝、目に映る全てを呪っていた男の心情とは思えないほど晴れやかな気分が訪れた。
少しばかりの全能感すら覚えるほど脳からはアドレナリンが流れ出て、孤独とは思えない量のオキシトシンに溺れていた。

いつも心臓が軋轢音を立てて働く毎日のあとには、晴れやかな数日が訪れてくれる。
ここだけ見ると俺もなにかにカテゴライズされるべきな気はしてくるが、名前をつけられるのは苦手で、いつも問診票を書く途中にタバコを吸いに出てしまい、そのままの足で駅のホームまでたどり着いてしまう。
後回しにする悪癖もここまでくるとライフスタイルになりつつある。
このまま逃げおおせればいいのだが。

ちなみに今回は明るい話のつもりで書いている。
なぜなら俺にかぶった灰を、雨だか風だかが洗い流して吹き飛ばしてくれたのだから。
この気持ちを形容し尽くせないことに歯がゆさを覚えるよ。
久しぶりに心臓が動いている感じがする、視界に色が溢れている。
世界が少しだけ彩りを取り戻した気がする。

向こう数日ぐらいはこの気分を楽しんでもいいだろう。
ハードボイルドな世界で俺一人が脳内物質の海に溺れて誰が咎めるというのだ。
忘れないように書き記しておこう、胸がキシキシし始めたらここに油を置いていったことを忘れないように。

まずこれを愛としましょうか。
おやすみなさい

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