震災から十年、「黙祷」に思うこと

東日本大震災から十年がたった。

当時、仙台で暮らしていた自分からすると、この経験は大きな記憶としてのこっている。ライフラインは止まり、通信も途絶えた。配給でご飯や水をまかない、ラジオの情報を、ろうそくのもとで聞いた。

福島第一原発の爆発は、配給に並んでいる最中に周囲の人が教えてくれた。

沿岸沿いに住んでいた祖父母は無事だったが、家が全壊した。里帰りの時になんども楽しい思い出があった母の故郷は跡形もなく消え去っていた。

祖父母の家の近くで、時々遊んでいた門脇小学校は津波と火災で過去の姿が思い出せなくなっていた。長渕がここで紅白でパフォーマンスをした時、言いようのない感情が芽生えた。

いとこは福島の避難区域だった。実家を流された祖父母とともにいとこ一家も含めて我が家で住人を超える避難生活を送った。

当時の記憶は生々しいほどに刻まれている。また、震災の映像は見るたびにPTSDのように動機や吐き気に襲われる。嘘のような、フィクションのような事実は、自分のすぐそばで起きていた。


僕は特定の宗教を信仰しない、一言で言えば科学主義である。神も信じないし、占いも信じない、幽霊も信じない。目に見えるものと数値という事実に基づいて行動をする。しかし、震災後に訪れた沿岸沿いで見た被災地の景色には第六感的な恐怖を感じた。

今もそのような無宗教の中でも僕は三月十一日には必ず黙祷をする。この行為になんの意味があるのかはわからない。霊は信じていないから、そこに「安らかな幸せ」なんてないように思う。何か失ったものも取り戻せないと知っている。それでも毎年14:46にかならず黙祷をする。

この行為を通して、故郷への思い、悲しい現実を再確認し、自らの生を再確認しているような気がする。また、そのような行動を通し、起こってしまった悲劇と、そこから得られた教訓を未来の糧にしているような気がする。

毎年、もう取り立てて言うことは減るだろうと思いながらも、3/11は多くのことを想起させ、発信してしまう。

僕は一人のアーティストとして、表現をしないと生きてゆけない。いつか10年前に感じた思いをうまく消化させ、自分の中にくすぶっている思いが誰かを動かす日が来ることを願っている。


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