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2か月間の超過勤務、改ざん、そして…

学校が休校になり、成績処理や通知表作成、授業補償のプリント作成に追われている。

…が、修了式にしか知的学級の子たちとしか会えないさびしさから、全く手につかない。


ここで2020年に入ってからの2か月についておさらいをしようと思う。

その前に、この2か月の僕の状態を確認したい。
・知的学級担任
・通常学級へ教科指導(2学年4クラス、週13時間)
・通常学級の授業は、週に7時間分準備
・教科指導以外の時間は知的学級で過ごすことにした
・持ちコマは週30時間


1月

3学期のスタート。

冬休みの間に、ある程度授業を作っており、序盤の出だしは順調。

ではなく、知的学級の次の日の学習の準備もするため、21時ごろ退勤する毎日となった。


そうこうしているうちに、通常学級の授業のストックも少なくなり始め、合わせて作成。


また、冬休みの宿題の点検もしないといけない。
冬休みの宿題に関しては、点検する暇なんてないことが想像できていたため、「出さない」選択をしていたが、「そりゃまずいよ~」と管理職を含め、多くの先輩に言われたため出す羽目に。
(じゃあ点検してよ?と言ってみたものの全員忘れていた)


(これは80時間超えるヤツ。退勤時間の画面を写真に撮って、出退勤した時間をエクセルで作ってみよう)


この考えが甘かった。

1月の時間外勤務が120を超えてしまった。


1月の終わりごろ、知的学級で社会見学に行き、幸せな気分で学校に戻った時のこと。ちなみにこの準備も1人。大変だった。


管理職「先生、残業時間が80こえたよ」

Boar「えっ。(そんなはずはない…昨日の段階で110時間は越えていたはず…)」

管理職「このままだと委員会に呼ばれるよ。」

Boar「は、はぁ。(すでに始末書レベルになっているはずなのになぜ…‼)」


ここで僕は2つのことに気付いた。

誰かが出退勤時間を書き換えていること。
そして僕はコミュ障であること。


結局1月は時間外勤務時間120時間で終えた


2月

この月の最初は校長面談から始まった。


「今の仕事の中で何が一番負担になってる?」

という質問を校長からされた。


「(え?通常学級に授業に行き始めたことで超過勤務になったのは明白なのに…この方はもしやお頭が…?)はい!通常学級への授業です!」

これで週の授業時数を減らすなどの処置があったり、休職代替を呼ぶだろう。と思っていたが、返答は意外なものだった。


「知的学級の書類とか、計画とか、非常勤の先生に回せることはあるか?」

僕が授業に行っている間は、非常勤の先生に面倒を見てもらっている。
3学期からなので、当然子どもたちの特性は知らない。


この瞬間、僕は会話をあきらめた。


通常学級への授業の負担軽減ではなく、担任クラスの負担軽減を企てやがった…歯車が全く合わない…


「ムズカシイトオモイマス」


こんな感じで校長面談が終了。



そして2月には定期考査がある。

このシーズンは
①試験範囲の決定
②提出物の決定
③問題作成
④採点
⑤返却業務


これは200時間も夢じゃないぞ。


しかし誰も手伝ってくれない今、何とか楽をするしかない。
そう考え始めた僕は、あることに気付く。

「3学期の評定は、1・2学期の平均を基準にする」


僕は水を得た魚のように、各クラスに向けて
「問題は副教材のワークからそのまま出す。点数でワークを解いたかわかるから提出はしなくていい!」
と言って回り、②と③の軽減に成功するのであった。


ちなみに、「そんなことして校長に怒られたりしませんか?」と、生徒から心配の声が上がったが、そんなことはない。


理由はひとつ。
知的学級の担任が、「授業に来てあげてる」のだから、文句を言われる筋合いはないということ。

我ながらクズであるが、知的学級の子のためにも倒れるわけにはいかない。


さらに記号で答える問題を非常に多く(というかほとんど)することで、④の負担の軽減に成功。

採点ミスが減るため、⑤も軽減。

これに関してはナイスアイデアだったと思う。


ただやはり、日常業務の多さから、130時間を超えてしまう。

そして改ざんされる。


時間外勤務が100時間を超えると、パソコンの画面上で「時間外勤務時間」の欄が赤く表示される。


改ざんされては100時間を超えるので、この月は時間外勤務の欄を3回ほど赤に変えてしまった。



突然訪れた「勝利」

3月に入って、学校が休校となる。

毎日事務処理をしては、社会見学の時の知的学級の写真を眺めている。

さみしすぎる…


そんな中、校長面談がやってきた。

「今までご苦労さんだったね。あの激務を超えて、なにか思うことはあるか?」


2か月の激務が落ち着き、最初に出てきた言葉は…

「とにかく知的学級の生徒と保護者に申し訳なかった。急に担任がクラスから離れて、ほとんど関わりのない非常勤の先生がその代わりとなったときの彼らの不安は、僕にも想像できないほどだと思う。学級内での小さなケンカなどが、僕のいない時間に起こっているのがその証拠。とにかく申し訳ない気持ちでいっぱい」

という、僕の言葉に対して校長は…


「先生が若いというところで、通常学級への授業の経験もしてほしいという考えが軽すぎた。それによって大人ではなく子どもが一番の被害者になってしまっていたな。すまなかった…」


と頭を下げた。


え?なんて?
もしかして話通じた?
でもそれは子どもに言うべきだよね、でも一歩前進だ!


こんな形で勝利を勝ち得たのである。


その後の面談も、建設的な話が進み、特別支援学級担任としての想いを理解してもらえた、と思う。



あの激務を経験して、僕自身にも思うところはずいぶんある。

しっかりと自分の栄養にしていこう。


そしてまずはコミュ障をどうにかせねば…!

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