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宜興紫砂壺の台灣での発展

清康熙42年(1703)に台湾の海防同知に就任した孫元衡は、『赤琰集』を著し、詩の中に、「茶の入れ方は子供に教え、蟹の目は火に飛び、水は竹林の僧坊から引き、芽は大王峰から出る(烹茶之法教兒童,蟹眼潛聽火候工,汲取竹林僧舍水,雨芽來自大王峰)」と書き残しました。清の康熙乾隆には間人周も台湾に滞在し、『台陽百詠』を著しました、詩:「寒榕垂蔭日初晴,自供春蟹眼生,疑是閉門風雨候,竹稍露重瓦溝鳴」、そして注釈に「台湾では、みんな自分でお茶を入れる。 まず香りを嗅ぐこと、そして一番大切なのは、小さな供春茶壺で提供することだ...」これらの記述から、当時広東省の工夫茶の作法が台湾に伝わっていたことがわかります。

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