基底欠損




基底欠損という言葉を知って、それが自分の根源なんだと知った

http://shinri.starfree.jp/v_personality_basic_fault.html



小さい頃、お父さんの怒鳴り声で起きては
夜中の夫婦喧嘩をいつも聴いていた
お父さんのエネルギー(怒り)の逃げ道は、お母さんが居なくなってからは私に代わった

今まで私はお父さんに褒められた事が無くて
自分が作ったライブにお母さんが来てくれた事も無くて
じゃあ今になって両親から褒められたら私のトラウマは消えるのかと言えば
そんな簡単なものでも無い



音楽を通じて、私がクリエイターとして動いて得た人間関係は
私が例えば曲を作らなくなったら消えてしまうもので
「頑張らなくてもいいんだよ」って手前の言葉を使われても
信頼することができない
(頑張らなくなったらみんな居なくなるじゃん、だってみんな普段そっちから私に連絡しないじゃん)って


死んで初めて何度もラインを送ってくる友達こそ
生きてる頃の私の存在の優先度は低かった人ばかりで
大体は遊びに誘うのも連絡するのも私からだった

そういう友達に「死んでほしくない」って言われるたびに
引き続き私の友達で居る努力をし続けろと言われているような気持ちになって
そこに愛を感じることが出来ない

あなたが死んだら私が悲しい
私が悲しくなりたくないからお前は死ぬな
適当に話聞いたり遊んでやる程度の事はしてやるから
それ糧にして生きろ

そう言われてる
そう感じるのは私が基底欠損だから
相手が悪いんじゃなくて、私の受信機にバグがある



みーちゃんは世界で唯一私が頑張らなくてもそばに居てくれた存在だから
みーちゃん居なくなって再び私に帰る場所が無くなった

私は自分の曲が好きだけど
その曲が褒められても私自身が褒められている感覚はしない
「良い曲だね」って言われると
「ね、良い曲だよね」ってどこか他人事のような言葉を言ってしまう

自分が生み出した子供みたいなものだから
大事だし褒められれば嬉しいんだけど
でも「私」が褒められているとは感じられない
私と、私の創造物を同一視出来ない

私の曲が愛されれば私も愛されると思っていた
だけど、自我が崩壊してからそれを感じることは無かったんだなって気づいてしまった


ソロで活動できないのは、自分に価値を感じられないからなんだなって
実は私自身に一番近い曲はAEDなんだなって思う
唯一の私の為のソロ曲


自我が崩壊する前に作った曲だけど
知れば知る程私の潜在意識が剥き出しになってた

こんなにたくさん"save me"って言ってた
誰に向かって歌っているのかがやっとわかった
私は『愛』に向かって歌ってた

AEDという機械の機械的な言葉で自分を守りながら生きてた
心臓を動かすのに電気ショックだけを浴びせて生きてた
もう昏睡状態にまで落ちてるのにAEDだけで生きてた

この曲は唯一私の子供じゃなくて私自身だったんだと思う
でも自分で気づくまでに、誰にも見つかることは無かったんだから
やっぱり外に救いを求める事に意味は無いんだなって思った


みーちゃんが死んだあとに、この曲の最後の部分をツイッターに貼り付けて
「私の全部が消えた」って書いた
だけど、なぜかそれがTwitter規約に違反していると判断されて凍結して
未だに違反ツイートとして残り続けている

別に何も違反していないからただのバグだけど
そういう今まで起きた事の無い初めての偶然が「人様に不安を与えるな」って言っているようで
最期にみーちゃんへの愛を訴える事も許されない絶望から首を括った
人を救う運命が奇跡と呼ばれて特別扱いされるけど
運命は同じように人を殺すって事を思い出した
だから奇跡とかスピリチュアルを特別扱いできない




AEDも人工呼吸も、誰かが死にかける命を救う為のもので
私はそれを求めてた
でもそれが満たされる事がない事も知った
基底欠損だからだ


愛に見返りを求めてしまう前の段階で私は線を引いてしまう
このラインまでは誰かを大切にできる
だけどこの線を超えたら私は見返りを求めてしまう

だからひたすらに器を大きくする作業をしていた
根底部分が消えないのは何処かで気付いていたから
それなら器自体が深ければ、海のように深ければ
私も人を愛することができるんじゃないかって思った

欠点は個性で
反発は弱さで
だから許そう、私もそうだからって
私への攻撃性は、何かを守る為の防御だから
私だってキルクス団の人達守る時は同じように牙を剥くし
戦う時には戦うけど、必要以上の攻撃はしないようにしてた
いつだって相手に逃げ道は用意してあげないと
私を悪者にしても嫌ってもいいから逃げてくれと
大切なもの守る為でも相手を壊したくはないから
相手だって誰かの愛の根源だからって
それが器だと思って頑張ってた

でも心のどこかで敵になってしまっている相手にも
(立場が違えば私はこの人の味方になれたのかな)って悲しさを覚えてしまう



人が想っているより遥かに私は人の事を大切に思っている
私は今まで目の前に転がる小さなパンを拾うように生きていて

友達と言える前の段階の人ですら
私のお客さんとは言えない人ですら
その時私の前にパンを落としてくれた人にはみんな恩がある
後々に裏切られたり嫌われたりしても
心のどこかで感謝が残り続けてしまう

自分から離れた人は意識から消して良い
酷いことされたら嫌って良い
って、周りはアドバイスしてくれるんだけど出来ない
私は人を恨んだり嫌ったりすることができないという欠点があった

だから傷付く
「当然そっちもこっちを嫌ってる筈だ、偽善者め」って態度を取られるから
それは偽善じゃない、善でもない、優しさでもない
欠点なんだよ私の



昨日めたんが遊びに来てくれた
その前にはミニミーが一緒にご飯を食べてくれた
いつもあめさんは変わらずラインや電話をくれる
美穂さんも雑談と近況報告をしてくれる
そんな風に、今の私と前の私を区別しないで
前と変わらず普通に連絡をくれて接してくれる人達が居るから今生きている
今の私を許容してくれた存在が私の肩を軽くしてくれる
死なないようにするんじゃなくて、気を楽にする作業をしてくれる

同時にその優しい人達の後ろで私をモルモットのように観察していたり
他の人を利用して私の探りを入れている人が居る
ここに目がいく時点で未だ治癒は必要なんだなって
だからネットの世界には中々戻れないよね


私に今必要なのはカウンセラーでも悩みを聴いてくれる存在でもなくて
心配そうな顔をしないでそばに居てくれるだけの友達で
私の心の話を聴く作業はこのノートを通して私自身がやり続けている


私を原始に戻したら
見返りを求め続ける亡霊になる
そうなってこの人達に取り憑かないように
溺れながら浮き輪に空気を入れ続けている

3月23日に渋谷近未来会館に自分を持っていく為に
私は浮き輪に空気を入れ続けている


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2023年3月23日木曜日
18:30〜(多分)
渋谷近未来会館

チケット代も出演者もこれから決めていくので
何卒宜しくお願いします

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