皆さん宛

元気なトキを想像してる人は読まないでください







興味本位でこのノートを覗きに来た方もいると思うのですごく簡単に説明すると

・2023年1月30日トキの誕生日に、トキの唯一の生きる理由だった猫のみーちゃんが腕の中で亡くなった
・肺の損傷で闘病中だったトキは、みーちゃんを失って闘病の理由も失った
・何も無くなったので首を括ったが生かされてしまった
・そして今、生命を維持しているだけなのに周りから生存確認をされて勝手に安堵されてそれに絶望する毎日を送っている

という感じです

あんまり整理せずに書くので読み難いかもしれないけど、最後まで読んでもらえたら嬉しいです




重度のペットロスと多分断定される状態にも苦しんでいます
あまり良い家庭環境ではない世界で20年二人きりで過ごしてた私の半分のみーちゃんは替えの効くペットでも家族でも無くて

20年前に自分にとってあまりにも大きな最愛の死があって、その死を招いたのが自分自身で
自分を許せなくて一度死のうと決意した時に、小さなみーちゃんを置いていけないからって理由だけで延命して
みーちゃんがトキを延命して延命して延命し続けてくれたから追加で20年も生きてこれたんだけど、
みーちゃんを失った今また20年前の業に立ち会って、もうそれを乗り越える力だったみーちゃんも存在していなくて
大好きだった歌も病気で歌えなくなって
大好きだった、いっぱい気をかけてた友達からも距離取られて

もうなーんにも無くなっちゃったって感じなんです




生きる為の行動は頑張って取ってみたんです
早朝にジムへ行って
朝ご飯を作って食べて
仕事して
ってやってみたけど、ただ辛いだけでした
何の為に健康を維持するのか、何のためにお金を稼ぐのか
ってやっぱり全部みーちゃんが起点にありました


そもそも自ら死ぬ事を悪い事と根本として思っていないから
原理主義的な「死んじゃダメ!」って言葉を投げかけられると深く傷付きます
苦しんで来た事実を根本から否定されるような気がしてならない
「後のことは知らないけどとりあえず生きて今を苦しめ」って聞こえてしまう

大事な物を持っていない人に死ぬなんて愚かと見下される事も
勝手に私の生きる理由を矮小化される事も
社会の規律で正義語る人も多いんだって
死んでみてわかる事です



心の醜い部分を全部包み隠して死ぬつもりが
生きてしまったので
誰かをもうこれ以上傷付けたり、誰かに迷惑を掛けないつもりが
生きてしまったので

生きている限りは極力誰かの為に生きて
最期は自分の為に死のうと思っていて

出来る事を考えた時に
まず自分にとって一番不要なものはなんだろうって
考えた時に「お金」だなってなって

みーちゃんが居なくなって歌えなくなった今
もはやお金に対する必要性は1ミリも感じなくなってしまっていて

どこに投げようかと考えた時に、大事な友達と保護猫かなって思っていて
みーちゃんも元々死にかけの野良猫だったし
私自身、公園の野良猫の世話してたし






2023年3月23日木曜日夜
渋谷近未来会館
を抑えてるんです

これは死ぬって決める前に偶然抑えられたから仮予約したライブハウスで
何をするとか何にも決められてないけどとりあえず抑えた感じなんです

世界観がすごく好きだったから抑えられた時嬉しかった箱なんだけど

最期になるかもしれないし、このライブ通してまた生きたいと思うかもしれないし
わかんないけど、何かやろうかなって思ってます
やるならちゃんと楽しいものにするから安心してね
ライブハウスにこの私を持っていくつもりは無いので、ちゃんとトキが行きます


やるってなったらお金掛かるけど、赤字になったら何の意味もないので
是非なんかやるなら来て欲しい、空けて欲しいです


ライブの売上が黒になったら六道や出演者みんなに還元して
トキと撮ったチェキ代は全部保護猫団体に寄付するつもりで


トキはもうお金なんて要らないので
せめて生きてる間は誰かの救いになりたいです

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