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Niimi 新美典子

正解のない世界

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織物とは不思議なものだと、つくづく思います。

糸の素材、密度、色の合わせ方。経糸と緯糸が複雑に絡み合い、その少しの違いで出来上がるものはガラリと表情を変えます。そこが魅力であり、悩みでもありますが、楽しみでもあります。

柄はその都度考えながら作り上げます。糸からイメージが膨らむこともあり、魅力的な糸と出逢うと我を忘れてしまうこともしばしば……。その糸を眺めながら、新しい作品を作る想像をするのも楽しみです。

私の人生と手織りの妙

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私の工房は、愛知県の知多半島にあります。温暖で、見渡す限り田畑が広がっていて、私の子供の頃から大きく変わることがなく、この環境も私の作品作りに役立っているのだと思います。

昔からものづくりには興味があり、大学で服飾の学科を卒業したもののどこかしっくりとなじまず、自分のやりたいことを見つけることができませんでしたが、人生の後半に差し掛かって友人に手ほどきをうけた織物にはまってしまいました。今ごろになって「大学で服飾をもっとちゃんと勉強しておけばよかった……。」とつくづく後悔していますが、でもやっぱり人生に無駄はないものだなと感じています。

溺愛の相棒

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縁があって私の元にやってきた2台の織り機。

大工さんが手作りしたというものと、はるかFinlandからやってきた大きな織り機です。どちらも織りをしていた方々から譲っていただいたものですが、これらも不思議なご縁で私の元にやってきてくれました。一見するとよくわかりませんが構造が違っており、大量の糸を通していくところから仕様が違います。早く織りあげたい時、じっくり細かな模様と向き合いたい時、糸の細さ、素材などによって使い分けています。

これらの織り機は、私が織りをしていく上で当然なくてはならない最愛の相棒なのですが、更に溺愛の相棒は、今年7歳になるキャバリアのpocoです。

雨の日も、風の日も、雪の日も……。自宅から歩いてすぐの場所にある工房まで、毎日一緒に通います。嫌がることもなく、毎日、私の後ろを軽やかについてきます。糸埃の舞う工房で、自分の好きな場所へと時折移動しながら
ただただ、ぐぅーぐぅーとイビキをかきながら1日中眠るのです。そして、陽が落ちて工房内が薄暗くなってくると、むくっと起きあがり「今日はおわりーー」と言わんとばかりに、自宅に戻るよう急かす視線を投げてくるのです。

工房ができて以来、かれこれ5年近くこの日々が続いています。そんな彼女との毎日は、私にとってかけがえのないものであり、この先もずっとずっと続いて欲しい時間です。

愛しい愛しい、私の相棒です。

災い転じて福と為す

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数十年、歩くことは元より、走ることなどもってのほか!という生活に身を置いていましたが、コロナや、迫りくる年齢に対する抵抗だったのか……。今年の夏が終わろうとしている8月末、私は首にタオルを巻き、100均で買ったあやしげなスポーツサングラスに帽子を目深に被り突如走りはじめました。

最初は田んぼや畑が広がる農道を、走っては時折歩くを交互に繰り返しながら。次第に落ちていく夕日と共に滴る汗が気持ちよくて、道端の草花に目を留めては染色のこと考えたり、空を見上げては雲の模様に見惚れたり、道端で無残に息絶えている虫や蛇を見ては限りある命を感じたり。工房にこもっていては感じることのない感情や感覚が風のように心を撫でていくのです。その感覚は、何やらとても暖かく心を満たしていくのです。

あれほど、拒絶していた「走る」という行為を続けられているという小さな自信も、今では喜びの一つとなっています。

「災い転じて福と為す」ではありませんが、コロナという大きな負の力に、小さな喜びの数を増やして生きていく手段の一つを教えてもらったのかもしれません。