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col tempo 土居 祥子

縫い目のない革のコインケース

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フィレンツェの伝統工芸品の革小物。
縫わずにつくり上げる独特の技法を用い、革を水で濡らして、型に沿ってひき伸ばしたり貼り合わせることで成型。筆で染色を施し、最後に熱をあてることで独特の色彩と艶を生み出しています。

イタリアでは古くから親しまれてきた形で、開けたフタにコインを出して選ぶことができます。

始まりは、旅での出逢いでした。

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フィレンツェにある、古めかしい空気が漂う雑然とした小さな工房。

そこで1人の職人が作っていたのは、ころんと丸みを帯びた愛らしいフォルムに透明感のある色彩と独特の艶を纏った、革の小物。

その不思議な魅力に、私は一瞬で心を奪われました。

旅先から持ち帰ったコインケースは、私の手に、暮らしに、少しずつ馴染んでゆきました。道具としての秀逸なデザイン、革が味わいを増していく様に、使うたびに心が潤っていく。

この技を知りたいー。

そのまっすぐな想いだけを胸にフィレンツェへ渡って、あの小さな工房に飛び込みました。師匠の手の技を食い入るように見つめ、共に1日に何度もバールでコーヒーを飲み、師匠の鼻歌を聞きながら過ごした工房での日々。

時が止まったかのようなフィレンツェの街には、先人たちから受け継がれてきた技術が、確かに息づいていました。

手先が器用なわけでもなく、ものづくりの経験もさほどない私は、帰国してからも教わった技術を形にすることができずにいました。出産と育児の機会にも恵まれ、ものづくりに向き合う時間がとれない時もあり、ようやく形にできた時には帰国から4年の月日が経っていました。

今でも、手を動かして作る中で、新しく気づくことがあり、ふと想いを馳せることがあります。この技術を生み出し、育み、つないできた先代の職人たちは、身近にある自然の恵みである素材の性質を熟知し、それらを暮らしに活かすべく手を動かしてきたのだ、と。

先人の“営み”がぎゅっとつまったこの技の尊さに、私は心惹かれているのかもしれません。

巡ってきた道具と制作の場所

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要となる最後の艶出しの工程で使う道具が、ブセットと呼ばれる鉄ゴテです。

これを火で炙り、革の表面に押しあて磨くことで、革の毛穴がきゅっと閉じて滑らかに輝きを放つように変化する。この技法を用いるうえで、なくてはならない道具。でも、師匠から、今この道具を見つけるのはとても難しいよ、と言われていました。いくつかの道具屋さんや遠くの町のアンティーク市にも足を運んだけれど、結局見つけられず、帰国の日がせまり途方に暮れていました。

そんな中、たまたま立ち寄った、いつも歩く通りで開かれていた蚤の市で、このブセットと出逢いました。

日本に戻っても作っていいよ。

そんなふうに声をかけてもらったかのような出来事でした。

私の制作の大半は、自宅のリビングにあるダイニングテーブルで行っています。横と前にある大きく開いた窓から陽の光が射し込み、草木が風でなびく様子や、聞こえてくる鳥の声、時に入ってくる風を感じることのできるこの場所がたまらなく好きで、その特等席に座って、制作しています。

家族が帰ってくるころには、片付けられて、姿を消す工房ですが、日々の暮らしと制作の場が共にあることが、今の私にはちょうどよい気がしています。

いま、目の前にあることを。

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この半年、時の流れと自分の心の流れがゆったりだったように思います。

ものをつくる手が止まってしまった春。

ただ、目の前のことだけに心が向きました。
家のこと、庭のこと、家族と過ごすこと、、。

庭にある大好きなミモザ。今年は見事なほどに咲き誇り、黄色の輝きと甘い香りを降り注いでくれました。

庭の恵みでリースをつくったり、季節の果実でジャムをつくったり……。

植物や自然の姿から、時はたしかに進んでいることが感じられて、そのことが救いのようにも思える日々。

自分の足元を見つめなおし、向き合った時間を経て、漸く、つないでいくこと、伝えていくことをあきらめず、今できる目の前にあることをやろう、と心が前を向くようになりました。

今回、このような場を整えてくださったこと、感謝の想いでおります。

それでも、思い出すのは、5月の陽光の中、展示されたさまざまな作品と拡がるたくさんの人々の笑顔。

私は自由な風を感じるクラフトフェアまつもとがとても好きで、あの時と場面を共有する、そんな機会を待ち望んでしまう自分もいます。

いつの日か、また。

36年つないできた、ものをつくる人々の願いと自由な風が吹くあがたの森で、顔を合わせて笑い合える日を願って。