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学びと時間管理

 「若い頃の経験は買ってでもしなさい。」とはよく言ったものです。同級生より遅れて就職した私。高専は短大卒業と同等な扱いですから、卒業したのは21歳になる歳でした。入庁した同級生もほぼ1歳年下になります。先輩は同い年という不思議な現象も起こりました。それも、私が遅れて入っているから当たり前のことなのですが、入ってみると、割と気になったことの一つです。
 警察に入るためには、公務員試験を受けなければならないというお話は、前回もしましたが、警察は県庁職員とは別の試験を受けます。香川県庁と香川県公安委員会。私が受験したのは、香川県公安委員会です。公安委員会では、警察官と警察行政事務職員の採用試験があります。警察行政事務職員とは、来署者や電話での問合せへの対応、統計資料作成、行事の運営や署員への各種手当て支給事務、予算執行、設備・備品の管理、各種届出の取扱いなどの事務を行います。
 現在では、警察行政事務職員は大卒の方しか受け入れていないようですが、27年前の当時は高校卒・短大卒・大卒の受入れがありました。私は高専卒業でしたので、短大卒業扱い。短大卒の職務は交通巡視員と決まっていたのです。前にも述べましたが、交通巡視員は、警察官の職務の一部を担い、警察官とともに道路交通に関する取締りや指導、交通整理などを行います。専ら、交通取締りがメインの職務になるのです。
 取締りを好んでする人もいないと思いますが、私は、地域の安全を守る業務とはいえ、相当過酷な仕事だと思っています。誰にも感謝されず、嫌味を言われ、怒鳴られ…割に合わないなと感じたのも事実です。
 県民の安全を守る大事なお仕事だからこそ、どんなに嫌だと思っても、正義感を持って頑張ったものです。付け加えておきますが、正義感があったから警察に入ったのではありません。与えられた仕事を全うすることに注力したまでです。警察を選んだ本当の理由は、皆さんもご存知の通り、「収入・時間・休暇」を兼ね備えた組織だったからです。
 何とか難関を突破し、香川県警察に入ることができた私は、高松北警察署交通課に拝命され、交通巡視員の道を歩み始めました。警察13年間の中で、最も過酷だと感じた4年間。といっても、内2年間は育児休暇を頂きましたので、たった2年間でしたというお話です。
 交通巡視員になって気づいたことは、女性社会であるということ。女性ばかりの場所が苦手で、高専に入ったのに、ここに来て女性に囲まれた職場に来るとは夢にも思いませんでした。今では、あれこれ経験を積んで、女性に囲まれた職場や場所でも全く気になりませんが、当時は、そのことがとても気になりました。女性を非難すると言うわけではないのですが、若い頃は、色々な意味で苦手だと感じていました。男性社会のなんとさっぱりしていることか。サバサバしすぎて、すっかり男のような性格になってしまったかと思った程です。高専は44人中女子が4人。もはや女として扱ってもらえないのです。女として扱われないことよりも、さっぱりした状況の中に慣れてしまって、こっちの方が心地よいとさえ感じました。からの、女性社会です。「あぁ〜あ」「なぜ、ここ?」と毎日のように朝起きては、衣装部屋に寝転がり、出勤する度に胃の痛い思いをしたものです。
 唯一、毎朝お気に入りのJAZZに乗って通勤していたことが、何よりの喜びでした。アメリカンだけど50cc、私が乗ると大きく見えてしまうので、びっくりされていました。思い出してもニヤニヤしてしまします。後に、このバイクは盗難にあって、私の手元から無くなってしまったのが残念です。
 職務に就くと、初めての経験ばかり。お茶汲みも朝の準備も職務内容も人間関係も…覚えることもやることも、沢山ありすぎて、要領よくこなさないと終わらないのです。朝一番のお茶汲みは、25人分くらい。お茶汲みが終わったら、次は取締りに出かける準備をします。必要なものを車の台数分準備、出かける時間が決まったら、出る順番に車を並べ替える。狭い駐車場で大きなパトカーとミニパトが直ぐに出られるようにしておくのです。運転もままならないのに入れ替え…これが意外と大変。でも、やってみるしかないので、チャレンジです!正直、ぶつけても知らないよ〜くらいの気持ちじゃないと出来ません。
 取締りが終わって帰ってきたら、全ての片付けをして帰宅になるのですが、取締りをした案件についての後処理は隙間時間で行うしかなく、一番下っ端の私にとって、後処理をする時間は貰えなかったのです。ちなみに、残業はしてはいけない。全員で挨拶をして帰宅すること。決められている中での仕事は本当に大変でした。しかし、こうした中にいると、賢くもなります。日々のルーチンには変わりないので、いかに隙間時間を有効活用するか。ほんの数分で終わらせられるように、いかに効率よく事務を行うか。が出来るようになるのです。よくよく考えると、この時に【時間の有効活用】について学んだのだと思います。22歳で時間管理について学んだことが、今でも役に立っています。
 取締りはこのように、日々過ぎて行きました。日々のルーチンに加えて、先輩に教わったことは沢山ありました。とても熱心な先輩に今でも頭が上がりませんが、一言一句逃さないようにと気を配りもしました。当時、交通巡視員は10人近くいたのですが、トップの先輩と一番下の私。そして、その次の先輩と私の同期生。という組み合わせで実務を学び職務を行う。先輩は部下を指導し、注意点があれば教育する。即実践ですから試しに…などという甘いことは一切ありません。一般の方から見れば、誰でも同じ交通巡視員です。待ったは聞かない。当たり前のことですが、なかなか難しいものです。時間との勝負。いかに正確に捉え、いかに素早く書くかを問われます。分刻みどころか秒単位のスピードです。いつだって真剣勝負。間違いなく鍛えられました。そして、無線の扱いも上手になりました。西と東を間違えて怒られたことしばしば。地図を読むのも得意になりました。マイ地図を購入して、どこのページにどの町が記載されているかを覚えるのです。瞬時に住所地番をひかなければなりません。ここは何処?なんて言っていたら、怒られます。車を見たら、住所地番を記載完了くらいでないと間に合いません。スピード勝負というのはこのことです。こうして、猛烈なスピードで仕事をこなすことも覚えました。
 1年半が経過したころ、私は妊娠したため、内勤になりました。内勤では、車庫証明業務や免許証の内容変更業務などを預かります。多い日では、一日300件以上です。ここでも、いかに素早く判断し、数をこなしていくかが問われます。もたもたしていては、待機人数が増える一方です。のんびりした日もあるけれど、私が任務についていた頃は混雑する時期でしたので、結構過酷にこなした記憶があります。ここでは、記憶力と洞察力、そして反射神経を鍛えられました。内容の把握から判断すること、そして的確な指示を出すこと。印鑑を機械のように回転させながらどんどん押していく。隣に座っている上司によく笑われたものです。「君の手はどうなっているんだ?速過ぎるな。」って。ちなみに、上司は最後の印鑑を押していく係だったのです。懐かしい…忙しいところが大好きな私にはぴったりの期間でしたけどね。
 産休に入り、第1子を出産し、育児休暇を取りました。当時は、育児休暇が1年間取れたのですが、巡視員で1年取っている人が少ない中、当然の権利だと主張して、きっちり1年間の育児休暇を取らせて頂きました。
 そうして育児休暇中に出会ったのが「革」です。革に出会うまでは、第1子が男児にも関わらず、可愛いフリフリのワンピースを作り、喜んでいました。お座りができるようになった頃には可愛いワンピースを着せて遊んでいたものです。身の回りのものは全て手作り。おむつ入れに始まり、救急箱、お出かけバッグ、子供の洋服等々。革と出会ってからは、母の協力もあり、お教室に行っては一日中黙々と制作していました。課題は、1日に1作品仕上げることです。通い続けていると、自宅でできる作業も増えましたので、次のお教室までに下ごしらえをしておいて、お教室で一気に仕上げていきます。まだ、ミシンも革漉きも持っていなかったので、厳密に言えば、道具を借りに行っていたという方が正しいかもしれません。
 そして、1年間の育児休暇で修行し、復帰した時には、実は第2子計画を企んでいたのです。子供2人は年子で産みたい!と考えていた私。きっちり計算して2月か3月に産むと決めて復帰したのです。ということは、復帰後半年で産休に入る計算。流石の私も、復帰後の妊娠については、しばらく口を封じ、5ヶ月の安定期に入るまで、一切口外しませんでした。厳しい職務の中での発言は、大変勇気が要りましたが、「当然の権利だ!」主張はさせて頂きまして、半年後に第2子を出産、1年間の育児休暇を頂きました。
 13年間の型にはまった社会での経験は、こうして始まり、交通巡視員という職務を通して得た、沢山の学びをご紹介しました。そして、自分の趣味を実益に変える先駆けとなる革に出会った貴重な時間について。今の私は、このスピード感で進んでいるからこそ、誰よりも楽しめるのかもしれないと思います。

【fusenKazura.】
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