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【#49】希望の道を(メッセージの断片集16)

1月22日の様子

 天気の良い日曜日でした。こんな日は、特に冷え込みます。Mさん(女性)の車が、バッテリーの不具合を起こしたそうです。軽トラに乗り換えて1時間弱の道のりを走り、教会にたどり着いた時には、礼拝の最後の方でした。それでも一緒に祈り、賛美を捧げ、軽トラに乗ってさっそうと(?)帰って行かれました。

▲ 左がMさんが乗って来られた軽トラ。かっこいいですよね〜。(2023年1月22日)

 この日の午後は、教区の「ユース冬のワンデイ・オンライン・キャンプ」があり、北見からは3人のユースが参加しました。私たち夫婦は別のミーティングがあったので参加できませんでしたが、夏のキャンプ(こちらは対面)以来の再会(画面上で)を懐かしんでいたのと、楽しく恵まれるひと時になったようです。

 紋別では、中国の春節(旧暦のお正月)ということで、中国出身のEさんたちが神学生夫妻や何人かと一緒に、食事に行かれました。とっても美味しそうな画像が送られてきました。良き交わりとなったようです。

▲ 教会の北側は屋根からの落雪がどんどん溜まっています。(2023年1月23日)

 この日、ショックだったことは、礼拝のライブ配信で賛美の音が良くなかったことです。ギターの音が割れていました・・・。会堂ではとっても良い音色がバランス良く奏でられていただけに、残念さと申し訳無さでいっぱいです。対策を練ることとします。

 ユースの集会で賛美すると聞いていた「主イエスと歩く道」を、先週と今週の礼拝で賛美しました。冷え込みが厳しく、ツルツル道路の中を運転しながら遠くからも礼拝に集われます。この賛美のように、今週の歩みも主イエスと共に、恐れることなく賛美と感謝を絶やさない、希望の道でありますように。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックすると250字のエッセンスを読むことができます。

希望にあふれる

 「使徒の働き」の著者は、ルカです。テオピロという人物に向けて書かれたことが、1節から分かります。「テオピロよ。私は前の書で・・・」この前の書というのは、「ルカの福音書」のことです。「使徒の働き」も「ルカの福音書」もかなりの分量があります。希望がないとこんなに長い文章、希望に溢れた文章は書けないはずです。

 聖霊に満たされてクリスチャン生活を送るということ、それは色々あっても、基本的には希望の歩みとなります。ルカのように誰かを励まさずにはおれない、あふれるほどの希望が湧いてくるのです。現状を見て嘆くよりも、そこに神がどんな風に働かれるかを見る希望です。そういう希望を、私たちも聖霊に満たされる時、持つことができるのです。

今いる場所で

 どうして主イエスは、わざわざ「エルサレムから離れないで」と言われたのでしょうか。そう言わなければ、弟子たちがエルサレムを離れてしまう可能性があったからです。なぜなら、この時のエルサレムは、弟子たちにとって恐れのある場所でした。ついこの間、主イエスが拒絶され、十字架に架けられた場所でした。弟子たちにしてみれば、このまま生まれ故郷のガリラヤに戻っていたい、ここでいいと思っていたかもしれません。

 しかし、主イエスは「エルサレムを離れないで」と弟子たちに命じられました。主イエスを拒否し、十字架に架けたそのエルサレムから神の業が始まるということです。だからそこから逃げ出さなくてもいい、意気消沈しなくてもいい、そこに神の霊が下り、そこから神の業が始まっていくと、弟子たちを励まされました。

 父なる神は、私たちのエルサレムに聖霊を注ぎ、神の業をなすと約束しています。私たちの遣わされたところ、今いるところ、通っているところ、そこを諦めなくても、失望しなくてもいい、逃げ出したり、投げ出さなくてもいい。そこは聖霊の注がれるところとなり、神の業が始まっていくのです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。


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