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【#214】球根の中には(メッセージの断片集67)

2月25日(日)の様子

 この日の礼拝では、初めて「球根の中に」という讃美歌を歌いました。日本人の好む合唱曲風で、歌詞と音符もあっていて、日本人が作った讃美歌かと思いきや、どうやらアメリカ人らしいのです。

 1番の歌詞の「春はめざめる」、3番の「未来を拓く」、3番の「永遠の朝」の部分のコードを聞くと、胸の奥にじ~んとくるものがあり、それぞれ「その日、その時をただ神が知る」につながっていくところが、本当に訳詞だろうと思うほど秀逸です。

 1音に乗せる言葉の違いで、英語の歌詞を全て日本語にできないません。原詩にある「in the seed, an apple tree」は、私の大好きなたとえです。普通はリンゴの中にある種を見るのです。しかし主イエスを信じる者は、種の中に多くの実があるリンゴの木があることを見つめることができる、という希望が与えられています。

 礼拝をご一緒に捧げられた皆さんに、そして私が祈りに覚えている方々に、神が知っていてくださるその日、その時があることを願いつつ賛美を歌いました。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックするとメッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

主の光を輝かせる

 主イエスから神の国の福音という光、神の言葉という光を私たちはいただいています。その福音の光をどこかに隠してしまうような生活をしてはいけません。私たちの歩みは、光である福音、光である主イエスをオープンにする、宣べ伝えるものになっていくのです。自分のことが中心になって、隣人への愛や伝道への重荷が小さいクリスチャンは、心が暗くなっていきます。私を通してキリストの愛や喜びが広がっていくように、「私を用いてください」「主の光を輝かせてください」と、聖霊に満たされて力をいただきましょう。

全ては明らかにされる

 隠れているもので、あらわにならぬものはない、という主イエスの言葉を聞いて、どう思われるでしょうか? ドキッとするでしょうか? ぜひ、ドキッとしていただきたいのです。何が明らかにされるのかと言いますと、私の罪が明らかにされるのです。他の誰かということ以上に、主の御言葉の種が撒かれると、私の罪が明らかにされるのです。人の前に隠すことができたとしても、神の前に隠し通せることは1つもありません。どんなに言い訳を重ねても、神に嘘をついても、それは通じません。

 同時に知っていただきことは、私たちの罪を明らかにされるお方は、その罪を癒して、赦すお方だということです。全てをご存じの主なる神は、今さら私たちの罪深さを知って、「お前は駄目なやつだ」とは言われないのです。むしろ赦しと癒しと聖めの御手を伸ばしてくださる、愛と憐れみの神なのです。つまり、御言葉の種が撒かれると、罪が明らかになるだけではなく、神の愛と憐れみも一層明らかになるのです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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