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【#27】 帰りの電車で思ったこと

立ち位置

 11/22-24まで、大阪の実家に帰っていました。関西に行く度に、「あれ?どっちだっけ?」と迷うことがあります。それは関西と関東(西日本と東日本?)では異なるエスカレータでの立ち位置です。地元の北見(北海道)でエスカレーターに乗るのは、イトーヨーカドーかイオンぐらいしか機会が無く、基本的に混んでないので立ち位置を意識していません。東京出張の時は、右か左かを意識しないままにとにかく人混みに流れていきます。関西に帰ってくると、微妙な混み具合なので、いつも分からなくなります。(最近は事故防止のために「歩かず2列並び」を推奨しているようです)

▲ 今回の旅のおとも『丘の上の邂逅』を空の上で読みました。

通い慣れた道

 最寄り駅から実家までの道を歩く度に、「狭いなあ」と思います。高校1年生の時から、東京の聖書学校に入学するまでの約13年間、通学、通勤のために歩き続けました。結婚した当初、大阪へ嫁いできた妻が「大阪はどうしてこんなに道が狭いの?」「この狭さなのに一方通行じゃないの?」「どうして歩いている人や自転車に乗っている人は、車が来ても避けないの?」と恐怖を覚え、大阪では車の運転をしなかったのです。北海道に移り住んで約13年、妻の気持ちが分かるようになってきました。

▲ 通い慣れていた駅までの道。もちろん一方通行ではありません。

義兄の母を訪問

 実家の隣に家を建てて住んでいる姉夫婦がいるので、長男夫婦である私たちは安心して北海道にいることができます。義兄は福祉施設の管理者、またチャプレンのような働きもしていて、さらに自称「十字架職人」として紋別の教会の十字架を制作してくれました。(参照「#18 十字架職人」)

▲ 義兄の作業場

 今回、その義兄のお母さんであるM夫人を、母と一緒に訪問しました。M夫人は牧師夫人としても長い間、牧師の夫を支え、主の教会に仕えてこられました。先に夫のT先生を天国に送り、今は福祉施設で一人ひとりに寄り添う尊い主の働きをなされています。

 T先生が優しく、確信を持って「負けるが勝ちですよ」と、私たち夫婦に語られたことを時折り思い出す旨をお伝えしました。すると「それは主人が何かがある度にそう言って実行してきたことです」と話されていました。

▲ 赤丸のところにおられるM夫人は、車が去るまで手を降っておられました。

 アポ無し訪問でお届け物をお渡しし、挨拶程度の予定だったのですが、玄関先で長めの立ち話となり、マンション中に声が響いていたかと思います。最後にお祈りをさせていただきました。するとM夫人も祈ってくださいました。

帰りの電車

 昨年の11月30日、父に洗礼を授けることができました。聖なるものに包まれているような、神の業だと思わずにはおれない畏れと、感謝な思いでいっぱいでした。昨年は帰りの電車で、前日のことを思い出しては溢れる涙をこらえるのに必死だったのです。

▲ 2022年11月24日 最寄りの羽衣駅

 今年の帰りの電車では、自分の現在の立ち位置はどこか(右に左に逸れていないか)、真理に至る狭い道を歩んでいるか、十字架の道ではなく自分が勝つことを求めていないか、そんなことを改めて自問するのでした。

 さあ、明日はアドヴェント第2週の礼拝です。今週は今年一番の冷え込みのマイナス12度の最低気温を記録し、今シーズン最初の水落しをしました(妻が!)。しかし心までも冷え込んでしまわないように、心からの礼拝を捧げます。

今日も主の恵みと慈しみが追いかけてくる1日でありますように。

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