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【#64】主のもとへと走り出そう(メッセージの断片集20)

2月26日の様子

 前日の25日(土)午後10時27分、釧路沖を震源とする地震があり、北見は震度3でした。教会の建物は古いので体感としては4弱でした。少し長い揺れで心配しましたが、被害などはありませんでした。お義母さんはスースー眠っておられ、安眠が妨げられなくて良かったです。夜勤中の甥から無事を確かめる電話があり、優しい青年だなあと思ったことでした。

 翌日曜日。2月最後の礼拝の中で久しぶりに「主のもとへと走り出そう」(I will run to You)を賛美しながら、主の御顔を見る日のことを思うと込み上げてくるものがありました。一足先に天に行かれた方々のことも思い出され、天国につながる礼拝なんだなあと思わずにはおれませんでした。

 ユースの礼拝に、Kちゃんが久しぶりに集いました。中学1年生になり、すっかり身長が伸びていました。また音更町からKさんご夫妻も集われ、あったかいものを持っておられる夫婦でした。

 午後、函館の教会会議があり、オンラインで参加しました。和やかな雰囲気の中にも、I先生を想う兄姉の信仰を垣間見ることができました。そして早速1月「神のあわれみだなあ」と思うことも報告され、2023年の函館の教会に主が素晴らしいことをしてくださることを期待しました。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックすると、メッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

主イエスに話す

 バプテスマのヨハネの目に見える現実は、ヘロデという悪が支配しているようにしか見えないものでした。そういう中で「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちはほかの方を待つべきでしょうか」と主イエスに尋ねました。それは「主よ、他の誰かを待つ必要はありませんよね」「主よ、おいでになる方、すなわち救い主はあなたなのですね」「主よ、あなたおひとりだけが、私の真実の救いだと信じて良いのですね」という主イエス御自身への問いかけでした。他の誰に聞いたのではなく、主イエス御自身に尋ねたのです。主イエスを信頼しているからこそ、主イエスご自身から聞きたかったのです。

 つぶやくのでもなく、他の誰かに愚痴を言ったのでもありません。主イエスご自身に自らの思いを話していく時、私たちはつまずかないで歩んでいけるのです。

主イエスは答えられる

 もし私たちが獄中にいるヨハネだったら、どんな答えを聞きたいでしょうか。おそらく「ヨハネよ、そうだ、わたしこそが救い主だ、安心しなさい。あなたは今、獄の中にいるけれど、必ずわたしが救い出す。ヘロデ王を政権から引きずり下ろし、王の王としてわたしがイスラエルを治める」というような答えでしょう。獄の中にいる者として、誰かの目が見えるようになったとか、足が治ったとかという答えではなかったはずです。

 それでも、主イエスがここで答えられたのは、目に見えている現実は、イザヤ書35章と61章の言葉が成就しているということでした。何百年も前に書かれた預言、神の約束が、現実になっている、主の御言葉は真実だということでした。

 私たちは自分の聞きたい答えを求めているところがあります。しかし自分の思いにこだわってしまうと、神の思いが分からなくなりつまずいてしまいます。主の答えは、私たちの思いよりも遥かに大きな答えなのです。神の御心を小さくしてはいけません。天が地よりも高いように、神の思いは私たちの思いを遥かに越えています。私たちの人生に、主の教会に、神の御心は必ずなる、そういう主の答えを私たちはいただくことができるのです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。


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