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【#43】ああ食べらさる(メッセージの断片集14)

合同礼拝(北見&紋別)

 1月8日(日)の礼拝は、紋別と北見をzoomで結んでの合同礼拝でした。神学生が派遣されていない時も合同礼拝と言えばそうなのですが、zoomを用いずにYouTubeでライブ配信をして、紋別の教会ではYouTubeにアクセスして一緒に礼拝を捧げています。zoomは双方向性がありますが、画面共有その他、お互いにひと手間ふた手間が必要となります。奉仕者が充実していれば問題はないのですが、現在のところは特別なことがない限りは、礼拝そのものに集中するために手数を減らしてYouTubeライブ配信としています。

 8日(日)をzoomで配信した理由は、この礼拝で今年の標語にそったメッセージが分かち合われること、前の週に紋別で新たな神学生を迎え入れたので証しをしてもらうこと、そして聖餐式を行うことによるものでした。

 北見では東京から3名の親子、紋別では山形から1名の方が集われ、共に礼拝を捧げることができ感謝します。紋別では礼拝後に新年愛餐会の時を持ち、深谷から送られてきた煮ぼうとうを美味しくいただいたとのことです(いいなあ〜。私、とっても好きです)。北見では、2時から始まる虹の会(三浦綾子読書会)がありました。下記で読書会のレポート読むことができます。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ クリックをすると、250字のメッセージのエッセンスを読むことができます。

食べらさる

 妻のお母さん、Mさんと同居するようになって、2度目の冬を迎えています。今のところ、平和に仲良く暮らしていますので、ご安心くださいませ。お祈りに支えられて感謝します。

 Mさんがよく口にする言葉に、「食べらさる」があります。道外出身の方、その意味が分かるでしょうか? 同じ北海道でも地域によって、また年代によってよく使う、自分は使わないけれど意味は分かるということがあるようですが、ある一定(どの一定?)の年齢より上の方は、よく使うそうです。北海道米のCMにもなっていて、シリーズ第5弾まである中で第4弾が下記のものです。

見えざる力!?

 「ああ、食べらさる」というのは、思わず食べてしまうという感じで、なんか食べずにはおれないという意味だそうです。先週も食後に「お腹いっぱい」と言われながらも、デザートを目にすると「食べらさるよね〜」と、Oさんからいただいた大福シュークリームなるものを食べておられました。

 「〜さる」という言葉の意味合いは、自分の意志を超えて、自然発生的に、状況が自動的にそうしてしまうということだそうです。どう見ても自分の意志で食べているように見えるのですが、誰かに背中を押されるような、見えざる力が働いているような感覚なのだそうです。 

 他にも「押ささった」(間違えてこのボタンを押すつもりはなかったのに、ついつい押してしまった)、「書かさる」「見ささる」などなどがあるようです。

▲ 2023年度の教会標語ポスター①

今年の標語

 今年の御言葉は、所属グループと同じ使徒の働き4章31節「彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした」です。ここから標語となる言葉を「祈らさる、満たさる、語らさる」と、北海道バージョンにしてみました。

「祈らさる」気づくと文句や悪口や裁く言葉、つぶやいているという罪の法則ではなくて、聖霊に励まされて置かれた場所で主の名を呼び続けて主を体験し、「よし、祈ろう」とますます祈りに導かれていきたいのです。

「満たさる」不安や心配で心がいっぱいになっていくのではなく、こんなに聖霊に満たされたことがないほど、神の思いに満たされていきたいのです。

「語らさる」美味しい店をみつけたら、誰かに話したくなります。命のパンである主イエスを、あの5つのパンと2匹の魚のように分かち合えば分かち合うほど恵みが広がっていったように、主イエスの恵みを語らずにはおれない、外向きの信仰を持たせていただきたいのです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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