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【#203】どんな時でも(メッセージの断片集63)

1月28日の様子

 この日は前の週に行われた、冬のユースワンデイオンラインキャンプに出席したユースに、受け取った恵みを礼拝の中で証しをしてもらいました。キリスト教会での「キャンプ」とは、各教会のユースや青年たちが宿泊しながら、一緒に賛美を歌い、聖書のメッセージを聞き、共に祈る集まりのことを指しています。昔はテントを張り、キャンプファイヤーも当然行っていたのですが、今は野外施設などに泊まっているので、一般的な「キャンプ」という響きとは異なっています。ましてや今回は「オンラインキャンプ」なので、いわゆるキャンプ感は全く無いのですが、大切なメッセージは受け取っていました!

 礼拝後、4月に結婚をするK君と、結婚式などの打ち合わせをしました。今、招待状は郵送ではなく、URLが送られてきて、オンライン上に素敵なページが現われて、そこで出欠をお知らせするようになっていました。確かにそれは便利だなあと思いました。今までのように招待状の返信に、二重線を引っ張ること、「様」に変えることなどなどのマナーは、もう過去のことになっているのかもしれません。

 夕方には、来週日曜日の午後に開かれる教会会議の資料を確認しました。3教会の責任を負っているので、3つの教会会議の資料、会計監査、役所や税務署などへの書類を揃えることなどいろいろとあります。それでも事務的なことを事務的に済ませること無く、忠実に、信仰と希望と愛を持って進めていきたいと願っています。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックすると、メッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

どんな時も賛美しよう

(2)わたしの魂は主を誇る。
この時のダビデは、ゴリアテを倒したような英雄ではありません。なりふり構わず、気が狂ったふりをして、よだれを垂らして、惨めで、恥かしい姿でした。しかし、神は、そんなダビデを救い出してくださいました。ただ神のあわれみによって、恐怖の中から、惨めな敗北の中から救い出してくださった主を誇って賛美を歌ったのです。自分を誇る気持ちなどひとかけらもない、純粋な賛美と言えるでしょう。

(1)私の口には、いつも、主への賛美がある。
今はとても賛美なんてできない、そんな気分じゃない、そういう時も通ります。しかしそういう時こそ主を賛美するのです。私たちの口、唇は、恨み言、不満を言うためではなく、主を賛美するためにあるのです。

(5) 彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた」
つぶやきや批判、泣き言、言い訳ばかり言っていると、どんどん心が暗くなっていきます。しかし主なる神を見上げて賛美を捧げる時、私たちの内側が輝き出すのです。状況がよくなったら、私たちの心が明るくなるのではありません。置かれた場所で、天を仰いで主を賛美する時、もうそこに暁が始まっているのです。

兄姉と共に賛美をしよう

(2-3)・・・苦しむ者はこれを聞いて喜ぶであろう。私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。

 苦しみの中にあると、自分が置かれている苦しい状況にばかり目を向けるものです。その状態が長く続くと、その苦しみが永遠に続くように思ってしまうものです。しかし一人が心から主を賛美する時、苦しみの中にある方も一緒に心を主に向けることができるのです。一人ではその苦しみから抜けきれないけれど、一緒に主を賛美ささげる時、苦しいと思っていた現実よりも、主なる神の方が大きいことがよく分かり、喜びが湧いてくるのです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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