見出し画像

【#133】あなたの代わりもいない(メッセージの断片集43)

8月6日(日)の様子

 先週木曜日まで暑い日が続いていたかと思うと、金曜と土曜は一転、かなり涼しくなりました。着るもの、寝具などなど、季節をまたぐかのような変わりようで、日曜日の礼拝時には、冷房を入れなくても大丈夫なぐらいでした。

 久し振りにKさんが来られて、共に礼拝を捧げました。麻痺を抱えている半身に、少しずつ痒みや痛みがあるとのこと。痛みがあるというのは生きているという証拠で、神経や筋肉が回復しつつあるという希望を持っています。鮮やかな青い服が印象的で、心も晴ればれとして今月も歩んでいけますように。

 礼拝ではユースキャンプ(8/1-3)の証しが語られ、礼拝後にはキャンプの様子が編集された10分弱の動画を皆さんで見ることができました。このblogでも紹介できればと思っています。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックするとメッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

嫉妬は混乱を生む

 「ラケルは自分がヤコブに子を産んでいないのを見て、姉を嫉妬し、ヤコブに言った。『私に子どもを下さい。でなければ、私は死んでしまいます。』」この1節を読んで、どう思われますか? 正直なところ、ラケルは私の苦手なタイプだなあと思いました(笑)ラケルの姿形は美しいのかもしれないけれど、ちょっとしんどいなあと。
 もちろんラケルは死ぬほど苦しかったのです。それは確かなことですし、事実です。辛かっただろうと思います。しかし反面、自分の願いがかなわないと死んでしまうと生き方には、命の主権者である神を信じる信仰が小さくなっていることがよく分かります。

 ラケルは夫に愛されているのです。にもかかわらず、「死んでしまいたい」と思うほどの不幸を抱えています。レアがどうやっても得られない夫の愛情を、ラケルは努力も無しに自分のものにしています。しかしラケルは夫の愛に満足できず、彼女の内側は満たされず、嫉妬で満ちています。神の愛以外のもので心の深いところを満たそうとしても、満たされないのです。むしろ海水を飲むように、嫉妬が湧き出てきて、その結果、様々な混乱を生むことになります。

主の恵みを見出す

 1−8節の嫉妬心に燃えたラケルに対して、9−13節のレアは落ち着きがあるように感じます。4人の子どもを得ても、相変わらず夫の愛を得られないレアなのです。しかしレアからは、ラケルのように激しく燃える嫉妬の炎は感じられません。

 レアは4人目の子どもユダを産んだ時、「今こそ神を賛美しよう」と神を賛美する者に変えられました。神を賛美する者は、神に心を向け、神を見つめるようになるので、日々の生活の中で与えられる主の恵み、幸いを見出す者となることができるのです。

 神の愛を心の王座にしめていないと、嫉妬が代わりに芽生えてきます。もしかすると自分でも驚くほどに、素直に人の喜びを喜べないことがあるでしょうか。もっと自分は人を祝福し、人の喜びを喜びとする者だと思っていたのに、遠くの誰かは祝福できるのに、近くの誰かを心から祝福できず、裁く思いになること。自分が嫌になるほどに、隠しても隠しきれないほどに、嫉妬がある、混乱がある、もういい、嫌だ、死んでしまいたい、そう思う兄姉、あなたは幸いです。正直にそう認められる方は幸いです、もう既に聖霊があなたに働いています。そこを今朝、十字架の主イエスは癒やしたい、救いたいと私たちのすぐそばにおられるのです。

 神の代わりになるものは何もありません。神の愛だけが心の深みを埋め、神の愛だけが心の闇を照らし、心の傷を癒やすのです。そして神の愛を知る時、神の恵みが見えてくるのです。最悪だと思っていたところに、神の祝福が見えてくるのです。神の代わりはなるものは何もありません。その主なる神は言われます、「あなたの代わりもいない」と。「あなたはかけがえのない者」だと。主はあなたを神の愛で満たし、溢れさせ、神の愛で隣人を愛し、祝福する者としてくださるのです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?