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【#130】今こそ(メッセージの断片集42)

7月30日(日)の様子

 寝苦しい土曜の夜でした。暑くて、湿気もあって。窓は開けているのですが、頼んでもいないのに遮光カーテンが風まで遮っているようです。遮光カーテンを少しだけ開けるとまだ4持頃なのに、まぶしくて・・・。おまけに明け方からカラスがギャーギャー、ギャーギャーうるさいのです。でもあのカラスたちもこの暑い中、ギャーギャー言いながら懸命に生きているのかと思うと、私も負けてられぬ(?)と早く起きた日曜日の朝でした。

 この日の礼拝には、3名の高校球児が出席しました。皆と一緒に賛美を歌っているようにも見えたので、「きっと3人の中の誰かはどこかの教会に行っていて、試合か何かで北見に来て、フリータイムになって日曜日の午前中、インターネットで探して教会に来たのだろう」と思っていました。礼拝後、よくよく話しを聞いてみると、キリスト教主義の学校に通っていて、教会の礼拝に出席することを勧められてのことでした。出席の証拠(?)は、週報で良いそうです。

 真っ黒に日焼けした3人の高校球児はとても礼儀正しく、気持ちよかったですね。学校の課題で教会の礼拝に出席したことで、彼らの内側に目に見えない大切なものが種となって蒔かれ、これからの人生に実を結んでいくことをお祈りします。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックするとメッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

主はご覧になり、聞いてくださる

(31)「主はレアがきらわれているのをご覧になって、」
(32)「主が私の悩みをご覧になった」
 主なる神は、レアがきらわれているのを、その悩みをご覧になられました。そこでレアは「子を見よ」という意味を込めて、第一子を「ルベン」と名付けました。主なる神は私たちの悩みを無視されず、また見て見ぬふりをされません。主なる神は今日も私たちをご覧になっておられるのです。

(33)「主は私がきらわれているのを聞かれて、」
 第二子のシメオンは「聞く」という意味です。夫ヤコブが自分をきらっている、その苦しみの叫びを主は聞いてくださったのです。聞かれたということは、レアは祈っていたということです。辛くて、しんどくて、主の名を呼んで祈っていたのです。そして主なる神は、世界の片隅にいるような者の祈りを、聞いてくださるお方なのです。

主に結びつき、主を賛美する

(32)「今こそ夫は私を愛するであろう」
(34)「今度こそ、夫は私に結びつくだろう」
 3人も子どもを産んだんだから、きっと夫ヤコブは変わるに違いないとレアは願うのです。それでも現実は厳しいのです。ヤコブは全く変わりません。

 しかし4番目の子どもユダ(「ほめたたえる」の意味)が与えられて、レアの信仰が変えられていきました。
(35)「今度は主をほめたたえよう。」と言った。
 今までは「今度こそ夫が変わるように」と周囲や現状が変わることを願っていました。しかしユダが生まれて、今度は、今こそ「私は主を賛美します」という信仰が与えられているのです。現状が変わったから賛美したのではなく、レアの心が主と結びついたから(「レビ」は結ぶ)、現状が変わらなくても、レア自身が変えられて、主を賛美せずにはおれなくなったのです。
 現状ばかりを見つめて自分の不幸を嘆く女性から、主の愛の眼差しを知り、祈りを聞かれる主なる神にしっかりと結びつき、神を賛美せずにはおれない女性に変えられたのです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。


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